第8話 俺はNTRヒロインかもしれない 前編
曇天模様の放課後。
俺は椎名先輩との騒動のあと、楓と遭遇したのをきっかけに一緒に帰路についていた。
しかし彼女と一緒に帰宅している俺であったが、その顔は曇天と同じように曇っている。
俺は浮かない表情で呟いた。
「何で俺ってこんなに面倒事に巻き込まれるんだろうな……」
「何でだろう……?」
「ほんと何でだろうね?」
楓をジト目で凝視しながら、俺は彼女の言葉を繰り返す。
自覚がないというのは本当に恐ろしい。
そんな生産性のない会話を続けていると、散々な俺の日常に追い打ちをかけるように曇天からポツンッ、ポツンッと水滴が降ってくる。
雨だ。
「まっず……走るぞ、楓」
「うん」
もう七月で梅雨も明けたばかりだというのに、またしても雨。
まるで散々な俺の日常に追い打ちをかけているようであった。
雨は次第に強まって土砂降りとなり、湿ったそよ風もいつしか暴風へと変わり果て、俺と楓を襲う。
俺達はそれらに晒されながらも走り続け、やがて聳え立つ一つの横長のマンションに辿り着く。
その横長のマンションこそ、我が家である。
俺はそんな我が家と楓を交互に見て、ゴクリと唾を飲み込む。そのまま決意を表明する。
「その、楓……、今日、時間あるか……?」
「うん、あるよ」
「そっか……だったらさ……、うちで雨宿りしてかない……?」
背筋に緊張が走る。
彼女を、家に誘ってしまった。
楓は俺からのまさかの誘い言葉に目をきょとんとさせ、微笑む。
「フフッ……、じゃあお言葉に甘えて」
楓のやんわりとした承諾に、胸中でガッツポーズを決める。だが俺は彼女に有頂天の感情を悟られないよう、舞い上がる心を抑え込み、クールな彼氏を演じてみせた。
「お、おしっ……んじゃ行くか……」
楓と一緒に我が家に向かっている最中も、俺の心臓はドキドキと鳴り止まない。感情をいくら抑えても、それは同じであった。
近づきそうで近づかない、絶妙でもどかしい彼女とのやり取りに、俺は久方ぶりの感覚を覚える。
その感覚に駆られるように、俺は玄関へ続く扉を開けた。
そうだ……この感覚こそ……本来の青春なん──
「おっかえり~二人とも! 愛しの妻、雀ちゃんだぞっ☆」
──青春は終わった、一瞬で。
扉を開けた先、そこにはフリルの付いたエプロンを身に着け、お玉をブンブン振り回して会心のポーズを決める雀の姿が。
俺と楓はそんな雀をジト目で見据えて、言葉を失う。
だが雀は俺と楓の無言など気にも留めず、続けた。
「お嬢様? 旦那様? お風呂にする? ご飯にする? それとも~?」
「…………」
「…………」
「……や、やっぱこれ、はずい……」
「不法侵入するのは恥ずかしくないんだな」
「綾乃さん……、その……凄いね……」
俺と楓は冷ややかな視線と冷ややかな言葉を目の前の幼気な少女に浴びせる。
雀はそれに耐え切れず、うずくまってしまった。
俺は更に追い打ちをかける。
「てかそんな事よりも、何で綾乃さんがうちに居るんだよ⁉ まさかマジで不法侵入したんじゃ──」
「──あたしが入れたの」
廊下の奥、リビングから甲高い声が上がる。声の主は廊下の奥からゆっくりと歩いてきて、堂々と胸を張りながら現れた。
俺含め周囲の視線は、その歩いてくる少女に釘付けとなる。
シュシュでサイドテールに纏められた菫色の髪、まだまだ幼くあどけない容貌、楓や雀と比較して一回り小柄な体躯、まん丸の目の中で輝く赤紫色の瞳。
俺はそんな中学生ぐらいの少女の名を口にした。
「『あむ』! お前、余計な事を……」
「余計な事って何よ。お兄ちゃんは女の子が雨風に晒されてもいいって言うの?」
「え……? お兄、ちゃん……?」
喧嘩が始まりそうになる直前、楓のか細い疑問の声が間に落ちる。
俺はその声に気付き、答えた。
「あ、紹介するよ。妹の『あむ』だ」
あむは会釈する。
「はい、『国枝(くにえだ)あむ』と申します。いつも『愚兄』がお世話になっております」
「おい」
ビシッと、俺は手の甲で虚空を叩く。
息ピッタリの兄妹の連携に、楓と雀は口を開けて唖然となった。
「ケー君……、妹さんいたんだ……」
「ね、うちも最初『ケン君の家から若い女の子の声がする⁉』って驚いちゃった」
「え、お兄ちゃん学校であたしの事話してないの? どういう事? お兄ちゃん?」
あむは瞠った目で周囲を見渡し、最終的に俺に睨みながら問い詰めてきた。
俺は後ずさり、視線を彷徨わせてやり過ごそうとする。
「そ、そんな事今はどうだっていいだろ……! それよりも、綾乃さん!」
話題を変える為、雀を指で差す。
「え、うち?」
「そりゃそうでしょ! 何で綾乃さんは俺の家を知ってんだよ⁉ 楓にも友達にも住所までは話した事ないぞ!」
「そ、そうだったんだ……」
雀は視線を落として、口籠る。数秒経過したのちに顔を上げ、満面の笑みを浮かべながら首を傾げて言った。
「それはまぁ……ねっ?」
「ねっ? じゃないよ⁉ 怖いって! その笑顔無理あるって!」
下手過ぎる誤魔化し方に、ツッコみが止まらない。
俺はもはや雀を相手にするのが馬鹿らしく感じ、呆れてため息をついた。
「はぁ……じゃあ聞くけど、どうして綾乃さんはうちに来たんだ?」
「……だって、今日ケン君、うちから逃げてばっかで寂しかったんだもん……」
「ストーカーから逃げるのは当然でしょ……」
「……ストーカーじゃないもん、……彼女公認だもん」
「俺の人権は適用されない感じ?」
支離滅裂過ぎて話にならない。
ここには俺以外に常識人はいないのか……。
助けを求めて、俺は視線を彷徨わせる。すると視界にあむが映り込み、縋る思いで手を伸ばしたが、
「ケッ」
「ですよねー!」
順平と同じく、軽蔑の眼差しを向けてきた。
分かっている、分かっているさ! 他人から見たら、俺は二股しているクズ男だって!
俺は苦悩する。けれど事実は覆ようがなくて、言い訳が頭に浮かんでこない。
焦る俺に、あむに軽蔑の眼差しを向けられながら侮辱してきた。
「彼女さんがいるのに別の女の子はべらかしてるんだー。言い御身分だねー?」
「ヒッ……、こ、これには込み入った事情がありまして……」
嘘だ。すぐに拒絶すればいいものを、性癖が巨乳のせいで躊躇っているだけである。
改めて考えてみると、マジでダサいな……。
俺が悲壮感に打ちひしがれている間にも、あむは問答無用で詰め寄ってくる。
「はべらせてるのに事情があるんだー? へぇー?」
「そ、そうそう事情が──」
「──なわけないでしょ」
「ハイッ」
低い冷徹な声音で食い気味に遮られ、俺は動揺して声が上擦ってしまう。
我が家では、妹が最高権力を保持している。可愛い愛娘を目の前にすれば、父は勿論、母すらもあむの言う事をすんなりと聞き入れてしまうのだ。かくいう俺もそんな感じで……。
まさに絶対王政ならぬ、絶対妹政と言ったところであろう。
故にこの状況は、非常にマズい。もしあむが両親にこの事を口伝てすれば、俺は学校どころか、家ですら立つ瀬がなくなってしまいかねない。
俺はこの状況を打開すべく、思考した。そして、逆転の発想に至る。
多様性の時代と言われる昨今……寧ろ胸を張ってもいいのでは……?
それはつまり、穢れないよう言い訳を並べるのではなく、あえて穢れて『そういう』多様性を認めさせるという事であった。
一見、馬鹿げているかもしれない。だが、有効そうなのは確かだ。
俺は自棄になって、脳裏に過ぎったそれをすぐに実行に移す。
「わ、分かった……、白状する……。だから、これ以上は……」
「フンッ、今更何を言ったって意味なんてないのに」
鼻を鳴らし、素っ気なくあむはそう言う。
そんなあむに対して、俺はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「そう、実は俺……いや、俺たちは──」
一拍置いて楓と雀と肩を組み、宣言する。
「──『オトナ』の関係なんだ」
「え?」「ケン君⁉」「は……?」
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