第3話 癖の強い彼女 矢野楓


 俺が矢野楓を初めて目にしたのは、入学式の時だった。

 あの時、楓は校庭横の桜の木の下に寄りかかって黙々と本を読んでいて、その凛々しい姿に、俺は一目惚れしたのだ。


 そして、GW。


 俺は楓に告白し、承諾を得て、晴れてお付き合いをすることができた。

 楓とのお付き合いは円満で、我ながらかなり良い男として頼りにされていると思う。

 実際こうして学校内で会う約束をするぐらいには。


「ごめん待った? 楓」

「ううん、私も今来たとこ」


 電話で指定された一階の保健室に到着すると、そこの前に楓は立っていた。


 か細い体躯、良く伸びた背筋、透き通るような空色の長髪、幼くも何処か凛々しい顔、宝石の如く深い琥珀色の瞳。


 楓は、ただただ美しかった。儚く、端麗で、つい見惚れてしまうほどに。

 しかしそうして魅入っていると、楓が訝しんで訊いてくる。


「? どうしたの?」

「あ! いや! その……今日も綺麗だなって」


 瞬間、俺は口から零れたキザな台詞に顔を赤らめ、視線を逸らす。手持無沙汰に、頬をポリポリと掻く。

 楓はそんな俺の羞恥を感じ取ったのか、にんまりと口角を上げ、愛でた。


「嬉しい」

「!」


 か細く放たれた言葉は、俺の心を締め付け、放さない。

 仮に天使がいるとしたら、それはきっと彼女の事を指すのだろうと、俺は感じた。

 俗に言うキュン死なるものを実感して、俺は身を捻じらせる。だがすぐに平静を装い、本題に入った。


「そ、それで、何の用なのかな? 電話してまで『会いたい』なんて」


 いつもなら「声を聴きたかった」や、「顔を見たかった」というような理由で楓は電話をしてくるのだ。しかし今回はわざわざ電話で、しかも学校内で、「会いたい」ときた。


 これには流石の俺も鼻の下を伸ばさずにはいられない。


 あー彼女に求められるって、マジで最っ高……!


 俺が人生有頂天と言わんばかりに胸を高鳴らせていると、楓は若干気まずそうに尋ねてきた。


「その……ケー君は、海とか山とか平気……?」

「え……? 別に平気な方だけど……」

「そっか、なら良かった」

「……? あ、もしかして!」


 夏休み目前、彼女からの意味深な質問、それらが差す答えは想像に難くない。


「うん、夏休み一緒に旅行に行けたらいいなぁって」

「おおっ! 行く行く! 絶対行く!」


 俺は鼻息を荒くして、楓の手を勢いよく掴む。

 楓は俺の接近を認識すると、はにかんだ。


「そ、そう……? フフッ」


 あぁ、尊い……。これだけでご飯三杯いけちゃいそう……。


 天使の微笑みに俺は目を瞑って昇天しかけるが、寸前のところで意識を保つ。

 続けて楓は笑みを引っ込めて、上目遣いで問うてきた。


「……あと、してほしい事があったら遠慮なく言ってね? 私、頑張るから」

「してほしい、事……?」


 至れり尽くせりの楓からそんな言葉が発せられたものだから、俺は首を傾げた。とはいえ彼女からの要望とあらば思考を巡らせ、『してほしい事』を考える。しかし……、


「うーん……別にないかなぁ。寧ろ楓には気を使わせてばかりというか……」


 楓という存在が居るだけで嬉しい俺は、そう口にした。

 それを聞くや否や、楓は掴んでいた俺の手を掴み返し、言い寄ってくる。


「本当に何でもいいんだよ。そう、ケー君が望むことなら……何でも」


 秋波を送るような目つきで、楓は囁く。

 俺はその双眸に、その言葉に、息を呑む。


 何でもって、それってつまり……。


 思春期男子特有の妄想力が爆発し、脳裏が煩悩で満ちる。

 首筋を伝う汗、シットリとした柔肌、愛らしい乳房、スカートから覗かせる色白の太もも。

 彼女は、魅力的だ。それ故に、狂いそうになってしまう。

 俺は首を振ることで邪念を払った。続けて楓の肩に両手を添え、言い聞かせる。


「大丈夫、その気持ちだけでも十分俺は嬉しいよ」

「……そっか」


 楓は分かりやすく、しょうぼりと項垂れる。

 その凹む姿が見てられず、俺はすぐさま楓を励ました。


「わ、分かった! だったら今度、デートしよう! 実はこの前のデートで行きそびれたカフェがあるんだよね!」

「そうなの……?」

「うん! マジマジ!」

「……じゃあ、それ驕らせてくれる?」

「っ……それは流石に割り勘かなぁ……?」

「シュン……」

「何でだよ⁉」


 可愛いよりもめんどくさいが勝り、俺は溜まった文句を吐き捨てる。


 ほんと一体何なんだ、この貢ぎ癖は……。


 付き合い始めてからというもの、ずっとこうなのだ。楓は事あるごとに俺に貢いでは、その身を亡ぼすかのように全てを捧げてくる。それは時に限度を超えている事もあって、俺はそれに常にヒヤヒヤとしてしまう。


 一体楓のナニがそこまで突き動かすのか、分からない。けれど一つだけ分かる事があるとすれば、それは彼女が本気で俺の事を好きでいてくれているという事だけだった。

 俺は困惑と動揺に頭を抱え、楓と目を合わせて、問う。


「ねぇ楓、どうして君はいつもそうなんだ……?」

「……どういう意味?」


 当の本人は弁明するどころか、何食わぬ顔でそう言い返してきた。

 そのピンと来ていないような表情から察するに、恐らく嘘はついていない。……本当に無意識だったらしい。

 いよいよ何も理解できなくなり、俺は苦慮する。

 そうして楓に振り回されていると突如、背後から声が上がった。


「あ! いた‼」

「え」


 声の主がドタドタと近づいてくる音が聞こえる。俺は咄嗟に足音の方を振り返り、靡く赤髪と、揺れる豊満な胸を視認。

 間違いない、その女の子は学校一のギャルと名高い綾乃雀であった。


「⁉」

「急でごめん! とりあえず付いてきて!」


 雀は有無を言わさず俺の手を取り、強引にも連れ出す。

 その大胆不敵すぎる怒涛の展開と雀の雄姿に、俺は呆気に取られた。そのまま為すすべなく雀に引っ張られ、走り出し、次から次へと階段を駆け上がる。そして目の前に立ち塞がった扉を勢いよく開けて──眼前に一際大きな入道雲と眩い太陽が現れ、真っ青な空が視界一面に広がった。

 俺は雀と手を繋いだまま学校の屋上を見渡し、仰いで、太陽に手を翳す。


 ミーンミーンという蝉の鳴き声が、飽和する。

 照り付ける太陽が、肌を焼く。

 真っ青な空に、心酔する。


 その瞬間、確かに、俺と雀は青春の真っただ中にいるような気がした。

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