第3話
***
私の家から、不良校までには距離がある。電車を乗り継いで四十二分、家から歩いて二十六分。同じ中学出身の生徒は、数えるほどしかいない。
白い月が姿を現した。子どもの頃に遊んだ、なんて記憶など持ち合わせていない公園の前に差し掛かる。鞄を持つ両手に、ぎゅっと力を込めた。ぎりぎりと揺れるほど、乱暴な力を込めてしまった。
ほぼ駆け足で、通り過ぎる。その直後、どこからか断末魔のような悲鳴が聞こえた。つんのめる勢いで、足を止める。転ばなかった自分に拍手を贈りたい。
妙な速さで心臓が暴れる。キョロキョロと大袈裟に首を動かした。辺りに人はいない。
でも、と唇を噛み締める。
手遅れになったら、と震えるつま先を公園に向けた。
赤いレンガで造られた入り口を抜ける。月明かりと街灯に照らされたひとつひとつは、茶色く染まっている。
錆びたシーソー。
ゾウを描いた滑り台。
カラフルなブランコ。
狭い四角形の砂場。
置き去りにされたスコップ。
大中小に並んだ鉄棒。
黄色いジャングルジム。
噴水型の水飲み場。
全てを通り過ぎ、街路から死角となっている奥を覗いた。震える両手は、激しさを増す。
「が、っ」
そこには、見覚えのある男が立っていた。渾身の蹴りを受けてしまったのか、生まれたての小鹿のよう知らない男がうつ伏せに倒れていく。目を凝らせば、周りにも同じようなポーズで何人かくたばっていた。
倒したんだろう男たちを見下ろす姿。恐ろしい無表情に、鋭く息を吸い込んでしまった。小さくもカン高い呼吸音が、思わず飛び出る。浅い呼吸を繰り返す男たちに割り込むよう、酷く目立った。
風が吹く。男に月明かりが届く。振り返った相手は、長くはない前髪を煩わしそうにかきあげた。綺麗で冷たい瞳が現れる。
昔から有名だった。中学のときから、クラスの女子たちにとって〝憧れ〟という存在で〝不特定多数の熱視線〟の恰好の餌食だった。
高校に入学したとしても、その人気は衰えることを知らない。
二年に上がって暴走族の総長として崇められるようになってからは、もう宗教に近い崇拝を周りから浴びるようになっていた。
遠矢仁。
この街で、唯一無二の存在。
「…………なにしてる」
見つめてしまっていた自分に気付き、慌てて視線を逸らす。けれどそれも、苦しそうに呻く男を間近に見てしまっただけで更に落ち着けない。
「…………悲鳴が、聞こえて」
「ああ、」
「その、女の子のかと、思って」
「なんだよそれ」
遠矢仁を覆う空気が和らいだ。重くないため息を吐いて、近付いてくる。
咎めるような声の遠矢仁は、私の存在を認識しているようだった。中学が同じ、だとか。今はクラスメイト、だとか。
思わず半歩だけ、下がってしまった右足。鋭く私の後退を見抜いた遠矢仁は、さり気なく歩みを止めた。
わざとなのか偶然なのか、判らない行動に唇を閉じ合わせる。そんな私から目を逸らして、相手の口が小さく開いた。
「……今、帰りか?」
その質問の行方さえ分からない。ただ、コクリと控えめに頷く。スクールバッグの持ち手を掴むそこに、ぎゅうっと力を加えた。キーホールダーもぬいぐるみも何も付いていない、味気ない私の相棒。
私を現したよう、無愛想なバッグの横を、遠矢仁が通り過ぎる。
数メートル進んだところで、私に視線を向けた。そこにはやっぱり、何の感情も乗っていなくて困る。それでも、日々向けられる濃く深いなナニカとは正反対で、私にとって嫌なモノではなかった。
なんとなく、なんとなくだけれど。遠矢仁の言おうとしてることが分かって、後に続いた。
案の定、遠矢仁は私の家に着くまで、私の側から離れない。ただ黙って、黙々と月に照らされて歩いた。
孤独にも重なった2つの影を、踏まないように。
遠矢仁の不器用な優しさを、蔑ろにしないように。
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