第六十一話





 ずかずかと人の家に上がり込んで来た九条礼子を見てトールが思ったのは、何時間か前に別れたときと服が違うな、ということだった。


 朝に推参したときは薄青色のデイドレスだった。

 今は月白げっぱく色の、すらりとしたシルエットのワンピースだ。これもドレスの一種なのかも知れないが、トールには知識がないのでなんとも言えない。昼よりは胸元の開き方が控えめだが、サイズの問題で目立つのは避けられない。


 そして九条礼子当人は、目立たないでいようなんてつもりはさらさらないらしく、さっと台所側へ身を避けた執事の丈一郎とは裏腹に、するする歩を進めて配信用カメラの画角に収まり……つまり、トールの隣に座らせた河合咲穂のさらに隣へ腰を下ろし、またもや思いっきり高笑いをした。


「おーっほっほっほ! 視聴者の皆様、呼ばれず飛び出てじゃじゃじゃじゃーんでございますわ! 先に言っておきますが、トールニキ様の配信が始まった瞬間にはホテルを出てこちらまで車を出させましたわ! 私の出番が来たと思った瞬間に乗り込もうと思っていましたのよ! ぎりぎりで間に合いましたわ!」


“めちゃくちゃで草”

“さっきから冤罪女がなんも言えてないぞ”

“なにしに来たんだ、お嬢はwww”


「あら、そういえば初対面の方がいらっしゃいますわね。私、九条礼子と申しますわ。配信を見させていただきましたので、シェンナ様、ミカ様、そして問題の河合咲穂様の名前は知りおいていましてよ」


 にっこりと微笑んで台所に避難している猫獣人親子に手を振る九条礼子である。ちなみにというか、丈一郎が今朝の再現とばかりに腰の魔法鞄マジックバッグから菓子折をシェンナへ手渡していたのは、さすがというべきか。


「あー……デラックスエクストラ巻き髪の九条さんは、なにしに来たんすか?」


「『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』ですわね。確かに私の髪は巻いておりますが、実は以前に大怪我をしたときに飲んだポーションの組み合わせが悪かったらしく、髪の色と質が変わってしまいましたのよ。魔力の影響もあるのではないか、とお医者様が言っておりましたので、再現性はありませんわね」


「昔は金髪ドリルじゃなかったんすか」


 へぇ、とトールは普通に驚いてしまった。金髪ドリルでない九条礼子を上手く想像できなかったからだ。


「私、純日本人ですから。ちなみに出番がないと判断した場合は、丈一郎とドライブしてコンビニのアイスを買ってホテルに戻る予定でしたわ。トールニキさまにお願いがあるのは変わりありませんので、配信後に通話かメッセージをしたでしょうね」


「コンビニのアイス食うのか……」


「菓子パンも食べますわよ? いえ、そんなことはどうでもよろしいのです。ヒートアップしている視聴者の皆様と、トールニキ様、そして河合咲穂様の意見の摺り合わせをするために、交通整理に来たのですわ」


「交通整理……っていうと?」


「人はしばしば感情的になると論理的整合性を失いますわ。そのような状態で下した決断が、はたして後の後悔を招かないと言えるでしょうか。いいえ、言えません!」


 わざわざ反語で宣言し、九条礼子はずいっとトールへ顔を近づけた。間に挟まっている河合咲穂は九条礼子に胸を押しつけられる形になっていたが、さておき。

 トールを真っ直ぐに見つめてくる九条礼子の眼差しは、相変わらずあまりにも濁りがない。どうしてこのお嬢様はこんなにも純粋でいられるのだろう、とトールは不思議に思ったが、それをやっかむ気分にはならなかった。


 こういうやつがいてもいい。

 そして同時に、こうも思う。

 こういうやつだけしか存在を許されないわけでもないはずだ、と。


「では、現状を整理しましょう。視聴者様方におかれましては、あれこれ意見をコメントしていただいて構いませんわ。議題は『河合咲穂様がトールニキ様を手伝うことに関しての問題点』といったところですわね」


“それは九条のエージェントが冤罪クソ女を監視監督するって条件を含んだ上で考慮しろってことか?”

“なんでお嬢がその女にトールニキの手伝いをさせたいのか全く判らん”

“信用できないだろ。もっとマシでまともな人材がいる”


 というようなコメントが流れていくが、九条礼子はそれらをひとまず無視して、人差し指を立てて見せた。


「まずは現状確認ですわね。河合咲穂様は、トールニキ様の事務手続きを代行する仕事がしたい。貴女自身は『手伝わせてください』と仰っていました。実際的にはトールニキ様が報酬を支払う形になりますが、それでよろしいですか?」


「形は、どうでも構いませんけれど……」


「トールニキ様を手伝いたい、と。では、むしろどのような形がよろしいとお考えなのか、訊いてもよろしいですか?」


「雇用関係ですと法的拘束力が強いですから、請負仕事にするのがいいかと思います。たとえば『何でも屋』に報酬を払うような形であれば、私が早坂さんの支払う分のお金の税務処理をして、私が早坂さんからいただく分の報酬の税務処理を自分でします。サインと、せいぜい確認くらいの手間は発生してしまいますけど……」


“だから信用がないんだって。何回言えば理解すんの?”

“いや、その信用を九条のエージェントが担保するって話だろ”

“にしたって、その女よりずっとマトモで有能なやつがいるだろ”

“わざわざ冤罪クソ女を雇う必要ある?”


「トールニキ様はどう思います?」


「どうもこうも、そういう事務的なこと、あんま判んねーすよ。手伝ってくれるって言うんだからそうしてくれりゃいいじゃん、ってだけ」


“バカなんじゃねーのこいつ?”

“よしんば雇うにしてもどっか別の場所で信頼を積み重ねてからだろ”

“その女が仕事できるかどうかも判らんだろ”


「仕事できんのかって言われてるけど、河合さん、できるんすか?」


 だんだん面倒になってきたトールは、雑な問いを河合に投げてしまう。河合は申し訳なさそうに眉尻を下げて、それでもはっきりと頷いて見せた。


「これでも迷宮支所の職員でしたから、探索者が得る収入ですとか、役所が探索者に求める提出書類のことは一通り把握しています。それに……判らないことがあれば、普通に調べますし……事務処理は、得意な方です」


“だとしても冤罪かけてくるぞ、そのクソ女”

“今度はセクハラされたとか言いかねない”

“仮にまともになったとして、なんでわざわざそいつなんだよ。もっと社会的な信頼のあるやつじゃないと、今後のトールニキの活躍考えたら、冤罪クソ女を雇うメリットなんかないと思うけどな”


「あー……」


 面倒くさい。トールは若干苛ついてくる気分をごまかすためにがりがりと頭を掻き、シェンナの言うままに配信なんてしてしまった自分をとりあえず内心で罵倒しておいた。あまりにもどうでもよくて、うっかり言われるがまま配信してしまったが、こうなるなら配信なんてするんじゃなかった……。


 ――いや、違う。


 なんてトールには

 もちろん河合咲穂だって、こういう展開になるだなんて予想もしていなかったはずだ。そんなことを言い出すならトールが『聖剣』と『妖刀』を手に入れたこともそうだし、その流れで『アンセム』を助けたことも、彼女たちに協力することになったのも、カミオカダンジョンが消失したのも……『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』が起きて、それをティアとトールで鎮圧したのも、予想なんてできるわけがない。


 こうなるなんて――じゃない。

 のだ。


 トールはいつの間にか通話が切れている――通話相手当人がそこにいるのだから当然だ――自分の携帯端末を手に取り、ついさっきまで見ていた河合の携帯端末を持ち主に返してから、配信に流れるコメントたちを確認する。


“だからおまえら落ち着けって”

“バイアスかかりすぎじゃね?”

“擁護する気はないけど言いすぎてるやつらもいるぞ”


 よくよく見れば、河合咲穂やトールの判断に腹を立てているコメントは、全体のうちせいぜいが三分の一ほどだ。それでも量としては多いが、トールの判断や話の流れを見届けようという類いのコメントも、きちんとある。

 どちらもある。

 それでいい。

 単にムカつくものばかりを視界に入れていただけだ。



「さて――問題点を整理しますわよ」



 にんまりと、楽しい遊びを始めるみたいに九条礼子が言う。

 トールは小さく息を吐き、雑に肩を竦めてから頷いた。


「まずは具体的なところから行きましょう。仮に河合咲穂様の『お手伝い』が十分でなかった場合、つまり九条のエージェントが監視監督した上で彼女の働きが不適格であると判断した場合、トールニキ様はどうなさいますか?」


「そりゃ、仕事できてねぇなら辞めてもらう……っつーか、依頼を止める、って形になんすかね? どうでもいいけど、仕事しないやつに金払う趣味はないっすよ」


“じゃあ雇う必要ねーだろ。頭腐ってんのか?”

“だからこいつじゃなくていいだろって言ってんだろ。聞けよ、話を”

“でも事務処理はできるんじゃね?”

“まあ、腐っても迷宮支所の受付やってたわけだから、当人が言うように探索者に関わる事務処理はできそうではあるが……”

“もっと優秀な人がいるだろってのも事実ではあるよな”


「なるほど。やらせてみて、ダメなら切るということですわね。その場合は九条で用意したエージェントが契約期間内の事務手続きは請け負いますわよ」


「つーか、俺自身は河合さんが仕事できてるかできてねぇかなんて、よっぽど仕事できてない場合じゃないと区別つかねーんすけどね」


「あらまあ。そうであれば、私が派遣するエージェントの信頼性はどのように担保いたしましょうか?」


 おほほ、と上品に微笑む九条礼子だったが、これは愚問だ。


“九条のエージェントで信頼できないなら誰も信頼できないだろ”

“お嬢がトールニキを裏切るとも思えん”

“利用するつもりなら今日の探索配信中にいくらでもつけ込む隙があったぞ”

“そういう意味においてはトールニキ、ガバガバやぞ”


 うるせーな。まだ底辺マインドなんだから仕方ないだろ。

 と思ったが、さすがに混ぜっ返すのは面倒だった。


「さて、それでは次に――『河合咲穂様でなくてもいいではないか問題』ですわね。これについて、トールニキ様からはなにかございますか?」


「そりゃ、別にどうしても河合さんにやって欲しいわけじゃねーよ。仕事できねぇなら辞めてもらうくらいのノリだし、すげー信頼してるわけでもない」


“じゃあ他のやつでいいじゃん”


「とかいうコメント多いけどさ、じゃあその『信頼できる有能なやつ』を目の前に連れて来いよ。俺に探せってか? いるっつってんだからいるんだろ? 心当たりあるから言ってんだろ? 信頼できて社会的地位があって有能なのにわざわざ新米探索者の『お手伝い』をしてくれるやつ、目の前に連れて来てくれよ。そんで俺がわざわざそいつにお願いをしなくてもいいように、あらかじめ説得しといてくれよ」


“無理難題で草”

“九条のエージェントを直接雇えばええやん”

“それか、お嬢に紹介を頼む?”

“……結局、トールニキが頭下げる形になるな”


「ちなみに、申し訳ありませんが私としても河合様を信頼しているわけではございませんわ。ですが河合様の態度に嘘はないと感じましたし、トールニキ様が薄々感じていらっしゃるように、河合様は大変都合のいい存在ですのよ」


「あー……? ああ、はいはい。うん」


 別になにひとつとして薄々感じてはいないのだが、適当に合わせておく。台所の方でシェンナが吹き出したのが見えたが、無視した。

 ぴっ、と二本目の指を立ててピースサインをつくり、九条礼子は言う。


「今朝も言いましたが、現在トールニキ様には多大な注目が集まっていますわ。それこそ世界中から注目されていると言って過言ではないでしょう。そんなトールニキ様の事務手続きの請負人。もし募集すれば『我こそは』と手を挙げる者で溢れ返りますわ。整理券が必要になりますわね」


“じゃあトールニキの事務員オーディションすればええやん”

“わざわざ冤罪クソ女を雇う必要なし!”


?」


 わずかに目を細めて配信カメラを見る、その眼差しと態度は探索者のそれというよりは、明らかに財閥令嬢としてのものだ。


「今のトールニキ様にわざわざ挙手して『我こそは』だなんて言ってくる者など、河合様よりもずっと信じられませんわ。もちろんトールニキ様を利用しようとすることが悪だとは申しません。誰しも自らの利を求めるものです。私自身とて例外ではありませんわ。しかし個人的には、トールニキ様には自由でいて欲しく思いますし、誰かの思惑の中で踊らされるトールニキ様を見たいとも思えませんの」


“それは……ちょっと否定しにくい”

“逆に言えば『俺らを信じろ』も無理筋だよな”


「言っておきますが、この配信のチャットコメントにも、自分の都合や利益を考えている方がいらっしゃるはずだ、と私個人は思っておりますわよ。特にトールニキ様の行動を誘導するようなコメント、怪しいとは思いませんこと? いえ、失礼。これでは単なる言いがかりですわね」


 おほほ、と微笑む令嬢。

 その笑みが、言語化しにくい変化を見せ、トールに向き直る。


「ですから、私からも事務処理の人員を派遣するとは言いません。あくまで河合様の監視監督を請け負いますと言いましたのよ」


 そういう意図だったのか、とトールは普通に頷いた。そして同時に、すぐ目の前にいる九条礼子のコネクションを頼ろうという発想が湧かない自分に、ようやく気づく。どう考えたって頼るならこの金髪ドリルのはずなのに、彼女になにかをお願いするという気持ちにはまるでならない。


「そういう意味において、個人的な贖罪を理由にしている河合様であれば、トールニキ様の行動になにかしらのバイアスをかけることがありません。むしろトールニキ様の望みに沿うように動くはずですわ。彼女の反省が真であるならば、ですが」


“九条の意向に沿うならええやろ”

“お嬢とトールニキでクラン組んだらええやん”

“少なくとも冤罪クソ女よりいいだろ”


「……とのことですが、トールニキ様は、どのように考えますか?」


 楽しそうに問いかけてくるお嬢様に、トールは笑ってしまう。

 早坂透が掃除屋を続けていたのは、間違いなく自己満足だ。河合咲穂が言っていた通り、トールが掃除屋をしたところでさしたる意味はなかったはずだ。皆無ではないというだけ。そしてトール自身はそれでよかった。

 河合咲穂がトールの手伝いをしたいというのも、おそらくは自己満足だろう。いくつか考えられる自己満足の中で、たぶん最も効率がいいものを選んだのだ。そういう意味では頭がいいのかも知れない。どう考えても嫌われているはずの相手に頭を下げに来るという時点で大したものだとも思う。


 ならば、九条礼子。

 彼女もまた自己満足の化身だ。その性格と実力のせいでろくに学友もいなかった、と執事の丈一郎が言っていたが、友人と笑い合うよりも迷宮に潜って魔物をブチ殺す楽しさを九条礼子は選んだのだ。友達がいなかったことを後悔しているようには見えなかったし、探索者としての九条礼子には楽しさばかりが表に出ていた。


 頭の中で言葉を選び、トールは口を開く。


「九条さん。あんたは、俺を友って言った。俺だってダチは無条件で助けたいと思う。友達に助けられたら感謝もする。だけどダチを背負って歩き続けたいとは思わない。おんぶに抱っこ相手をダチとは呼ばない。九条さん、あんたが俺を友達と思ってくれるのは……その、あー……嬉しい。俺もあんたの友達でいたい」


 手を貸すことは厭わない。

 助けられるのは受け入れる。

 けれども、頼り切ることはしたくない。

 ただの自己満足だ。


「うふふ……むふ、うふふふ! あらあらまあまあ! 皆様! 視聴者の皆様! そしてティア様に河合様、シェンナ様、ミカ様、丈一郎! 聞きましたわね! 聞いていないとは言わせませんわ! この九条礼子、トールニキ様のお友達と認めていただきましたわ! なんて素敵な日なのでしょう!」


 おーっほっほっほ!

 照れ隠しなのか、あるいは普通にそうしたのかは判らないが、高笑いをする九条礼子を見て、そう悪い気はしなかった。


“感動的な場面で感動したいんだけどさ、ニキ、本題忘れてる”

“言われてみりゃ確かに『別の誰か』ってわけにもいかないのは理解するが”

“でも、なんで許せるんだよ?”


「……いや、別に許してねーけど」


 と、トールは言った。配信の視聴者たちがますます混乱するのが判ったが、実際そうなのだから仕方がない。




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 モです(挨拶)。

 このくだり、書いても書いても終わんねーので、明日も投稿しておきます。

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