05 対等だということ(完)

 それからしばし、リーネにとっては気が気でない食事会――と言っても、場所は公務官専用の食堂で、特に改まった店などでなかった――が続いた。


「ああ、ネネティノ。ちょっといいか」


 そろそろ解散かという頃、ちょうどネネティノに声がかかる。


(また専理術士様!)


 それは三十代から四十代ほどの男性で、「理術士」という存在の印象からかけ離れたたくましい人物だった。彼を見て職業を当てろと言われたら、十人中十人がまず「戦士」と答えるに違いない。


「なーにサクヤ」

「ちょっと相談がある。向こうでいいか」

「えー? まさかラズトのこと?」

「それもなくはないが」


 サクヤはミアンナとリーネをちらりと見て会釈した。


「こいつ持ってっていいか?」

「こいつとは失礼な! 理律違背の報告あげちゃうぞ」

「悪い悪い。……『持ってく』はいいのか?」

「ネネティノさんは体重に自信があるからね、そう簡単に持っていけないよ」


 奇妙な軽口を言いながらネネティノは立ち上がった。


「んじゃね、ミアンナ。リーネ、つき合ってくれてありがと」

「ととととんでもないです! お疲れ様です、専理術士様がた!」


 立ち上がってリーネはこたえ、やはりネネティノは笑うと手を振って、サクヤも苦笑じみたものを浮かべつつ、その場を去った。


 残されたリーネとミアンナは、はたから見れば固い会話を少し続けた。即ち、出身だとかこれまで学んできたことだとか構文に関してだとか、面接のような内容だ。

 もっとも「話すことがなくて困った結果」という訳でもない。ミアンナからすると、まだそうしたことを話す機会がなかったので聞いてみようという感じであり、リーネは尋ねられれば全力で答えるので、それなりに話は弾んでいた。


「そろそろ戻ろう」

「あっ、はい!」


 昼休憩時間は厳密に定められてはいないが、長々と休んで業務を疎かにする者など調律院本部にはいない。彼女らは話を切り上げ、仕事に――。


「仕事の前に少し話をしたい。私の部屋に来てもらってもいいか」

「え」


 リーネはどきりとした。


「は、はい」


 答えるとミアンナはうなずいて、専用の片付け場所に食器を持って行った。はじめは専理術士も自分で片付けるこの仕組みに驚いたリーネだが、この平等ぶりにも少しずつ慣れてきた。

 もっともこのときは、呆然としていた。


(話、って……?)


 いい話、ではないような気がした。


(まさか……クビとか……?)


 そんなことを思うと、ネネティノが突然誘ってきたのも「最後だから」というような含みがあったのでは、などと突拍子もなく考えてしまう。ネネティノは「理術士と理報官は長い付き合いになる」とふたりに対して言っていたのだが、そんなことはリーネのなかから抜け落ちていた。


 無言のミアンナについて調律院の廊下を歩く。何だかとてつもなく長く感じた。一歩ごとに鼓動が激しくなる気がする。じんわりと手のひらも熱くなってきた。

 ミアンナの執務室とティアおよびリーネの執務室はすぐ隣で、中からは直接通じる扉もある。だからミアンナと一緒にこの執務室に入ること自体は、そこまで珍しいことでもおかしなことでもない。これまでにもそうしたことは何度もあった。

 ただ、このときのリーネにはその扉が大層重く、扉の奥の空間が暗いように感じられた。


「――リーネ、思うのだが」


 執務室に入り、振り返ってリーネを見たミアンナは話しはじめたが、そこで目をぱちくりとさせた。リーネがあまりにも悲壮な顔をしていたせいだろう。


「ああ、解雇を言い渡す訳じゃない。気を楽に」

「えっ」


 的確に心理を読まれたリーネは、安堵するより先に驚いた。


「呼び方の話」


 言いながらミアンナは、リーネに座るよう促した。


「よっ……呼び方? あ、その、ネネティノ理術士様の言われるように、お名前でお呼びしたほうが……?」


 腰かけながら、リーネは混乱した。名前で呼ぶのは難しいことだが、専理術士の指示であれば努力しなければ、などと考えた。


「名で呼ぶかどうかは好きにしていい」

「え」

「関係性は様々だ。名で呼び合えば親しいという記号にそれほど意味はない、と私は考える。もちろん、それで親しさを示すやり方もあるし、効果も皆無ではない。人や状況次第」

「は、はあ……」


 ではこのままでもかまわないのか。なら何を言われているのだろうかとリーネは頭が回らないまま考えた。


「ただ、判ってほしいのは、理術士と理報官は対等だということ」

「えっ、ええ!? そんなことなくないですか!?」


 衝撃のあまりリーネは叫ぶようにしていた。理術士は特殊技能者で、理報官はそうではない。少なくとも彼女はそう判断していた。


「できる業務の違いについてではなく。人と人との関係として」


 ミアンナの説明は淡々としていたが、しっかりリーネに視線を合わせる姿からは真摯さが伝わってきた。


「あなたが理術士を『理術士様』と呼び続けても、おそらく多くの理術士たちは受け入れる。あなたがそう呼びたいことを尊重する。ただ、周りはそう見ない」

「周り……」

「まずひとつ。あなたにそうしたつもりがないことは知っている。ただ、時に『理術士様』は皮肉になる」

「えっ」


 思いもかけない話にリーネは目をしばたたいた。


「たとえば『理術士様はご立派だから何でもご存知なんだろう』という言葉は、本当に褒めているのではなく、当てこすりになることがある」

「あ」


 確かに、対象こそ理術士ではなかったが、ミルフ村にもそういうことを言う人はいた。お偉いんだねえ、というような皮肉。


「もちろん、あなたがそんなふうに言っているのではないことは、私もほかの理術士も理解する。でももし通りすがりの他人に聞かれて誤解されたら、あなたが損をすることになる」

「考えたことがありませんでした」


 素直にリーネはうなだれた。


「それからもうひとつ」


 ミアンナは続ける。


「私とあなたがいて。私があなたを名で呼び、あなたが私を『専理術士様』と呼べば。人は、私を上、あなたを下と見る」

「で、でもそれは」

「私たちは対等」


 「それは正しいのでは」と言いかけたリーネを遮るようにミアンナはまた言った。


「もしかしたらネネティノもそれを案じてあんなことを言ってきたのかもしれない。やり方は強引で唐突に見えるけれど、彼女の行動にはきちんと理由がある」


 ミアンナの言葉をリーネはじっと考えた。

 対等、だとはやはり思えない。神のようだと教え込まれてきたということももちろんあるが、それだけではない。学べば学ぶほど、理術士がどんなに卓越した存在であるか判っていったのだ。


 ミルフ村を災害から救った理術士だって、何もお話の魔法使いみたいに、遠くからぱっと呪文を唱えて土砂崩れを止めてくれた訳ではない。どんな種類の構文を組み合わせてどんな強さで稼働させるか、現地に近づかなくては判らないはずだ。つまり、その理術士は、いまにも災害が起きそうな場所に身を晒して理術を行使した。おそらくは縁もゆかりもない、ミルフ村のために。

 そんなことができる人たちなのだ。よく知っている。だからとても、対等だなんて。


「……あなたの根底には、故郷を救った理術士の物語がある。それは理解できる」


 ゆっくりとミアンナは続けた。


「でも聞いてほしい。その理術士はひとりで災害に立ち向かったように見えても、実際にはその人を支える人々がたくさんいた」

「え……?」


 リーネはぴんとこなかった。理術士が誰かと一緒にきていたとは聞いていない、と思ったからだ。


「理報官は、その筆頭」

「あ……」


 はっとした。「一緒にきていた」というような単純な話ではなかったことはもちろん、最初に理報官という存在が上がることに。


「理報官は、理術士が理術とだけ向き合えるように補佐してくれる。きっとその理術士も、王都を任せられる理報官がいたからこそ、ミルフ村へ向かうことができた」


 静かにミアンナは続ける。


「個人のことに限らない。理報官という職がなければ、理術の発展はいまよりずっと遅れていたはず。となれば、そのときその理術士が適切な構文を作り上げられたかどうかも判らない。そうして理報官をはじめとする人々が理術士を支え、そして理術が行使されている」


 じわじわとその言葉は、リーネの内に染み込んでいった。


(支える……わたしが、理術士様を……)


「いますぐやり方を変えてとは言わない。ただ、考えておいて」

「――判りました!」


 リーネは勢いよく立ち上がった。ミアンナは珍しくギョッとした顔を見せる。


「わたし、頑張ります! だからこれからもお願いします、ミ、ミミ……ミアンナさんっ!」


 呼び捨てはどうしても無理だ。リーネの最高到達点がここだった。


「……ああ、よろしく頼む」


 ミアンナは薄い金の目を少し細くして答えた。

 唇こそ笑みの形をしていなかったが、笑んだのではないかと、リーネには感じられた。


―*―


 それから、数月――。


「ミアンナさん、ティアさん、こちらに書類が届いてました」

「有難うリーネ。これとこれと……これはミアンナの署名が要る分ね」

「もらおう」


 リーネもだいぶ業務に慣れ、次の試験では絶対に正理報官になると張り切っていた。


「あ、これって」

「ラズト支部の書類のようね」


 ティアがそれを見て取ると、リーネは少し黙った。


「あの……本当にティアさんは来ないんですか」

「ふふ、もうお婆ちゃんだから。僻地は厳しいの」

「もちろん無茶はしないでほしいですけど、でも……」

「決まったこと」


 ミアンナが書類を手にしながら言った。


「不安?」

「うっ……それは正直、とてもあります……」


 カーセスタ王国の北西端にある調律院の支部、ラズト支部の首位職「統理官」にミアンナの就任が決定したのはつい先日のことだ。何も急に決まったのではなく、以前から話は上がっていて、あとは最終決定待ちというような状況だったのだと言う。

 ラズトは国境近くの山岳地帯――とまではいかず、その手前ではあるのだが、王都からは順調に行っても馬車で十日はかかる距離で、老齢のティアには確かにつらい。無事たどり着いたとしても、何かあったときに王都に頼れる距離でもない。ティアの身体のことを思えばリーネだって無理は言いたくない。

 しかし、自分が――まだ理報補官でしかない自分が、理報官代行としてミアンナにひとりでつくだなんて!


「大丈夫よ、そのためにあなたを仕込んできたんだから」


 老理報官はにっこりと笑った。


 実際には、新人を数月の教育で現場へ放り出すというのは、調律院の基準からしてもかなりの無茶だ。だが、調律院にも思惑があった。

 ひとつは、ラズト支部の二年にわたる統理官不在問題の解決。

 優秀な副統理官の兼任によって回っているものの、本来の形ではない。調律院としては、いち早く正式な首位を任じたかった。

 もうひとつは、ラズト支部の副理術士とその理報官の、孤立の是正。

 調律院本部では熟練から中堅、新人へと自然と引き継ぎや教育が行われるが、若手のふたりしかいない支部では難しい。上も下もいない環境で過ごし続けては、彼らが本部に戻ってきたとき苦労することになる。

 加えて、もちろん、最若手である専理術士とその理報補官の成長。

 優秀であるからこそ多少の無茶は乗り越えるだろうという信頼と、それから期待。語弊のある言い方をすれば「興味」または「好奇心」と言ってもよかった。


 彼女たちはどんな成果を出してくるのか。本部の者たちも、「楽しみ」にしているのだ。


「うう……リーネ・フロウド、頑張ります!」

「頼もしい」


 両の拳を握りしめてリーネが宣言すればミアンナはすっと答える。それを聞いてリーネは、満開の笑顔を見せた。

 凛とした女神の一言は、いつでもリーネに力を与える。


―了―


本編「理術士の天秤」

https://kakuyomu.jp/works/16818792436960446957

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調律片譚 神様のような人 一枝 唯 @y_ichieda

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