04 専理術士様
何でも、専理術士がああして直接修繕に出向くことは滅多にないのだと言う。
ただ、交通の要衝でもある〈守り石橋〉については迅速性が重視され、そうなると正確性も強く求められた。適切な汎理術士を複数名選抜し、連携して行わせるよりも専理術士をひとり出向かせるほうがよい、と判断されたのだとか。
「ティア。私の報告書はこれ。あとはまとめて」
「承知しました。それじゃフロウド補官のことはお任せしても?」
「判った」
「え゛っ……?」
ティア・ランドン理報官が席を外すということは、つまりミアンナ・クネル専理術士とふたりきりになるということで、それはリーネにとっては「神」から直接話しかけられたり話しかけたりするということであるからして、珍妙な声が出てしまったのも致し方なかった。
「ではフロウド補官、また後ほど」
「えっ、え……あの……」
〈枯葉の囁き〉という表現はこのためにあるのだというほど、少女の声は頼りなく、か細くなった。だがティアはかまわず、ミアンナに会釈をすると部屋をあとにしてしまう。
「フロウド補官」
「はははははいっ、理術士様っ」
「そこに座って」
「はいっ、理術士様っ」
過剰な緊張をミアンナはどう思うのか、表情ひとつ変えずに客用と思しき長椅子を示し、リーネがガチガチになりながら腰を下ろすのを見守った。
「――言っておくけれど」
ミアンナが向かいに腰掛け、話し出すのをリーネは引きつった表情のままで聞いた。
「私も新人。専理術士の任に就いたばかりで、ティアにいろいろと教わっている。だからあなたが私に対して、そんなに固くなる必要はない」
「えっ……いえ、その……」
新人でも熟練でも関係ないのだ。相手が理術士だというだけで。
「あの……すみません。り、理術士様のことをすごく……その」
「神のように思っている」はまずい、というくらいの理性はあった。
「その、すごく尊敬していまして……ええと、昔わたしの村で大きな災害があったとき、調律院から派遣された理術士様が助けてくださったんです。あのまま土砂崩れが起きていたら村中飲み込まれていたかもしれないって……だから、たくさんの人が救われて、それで……」
もそもそと言いながら、リーネは恥ずかしくなってきた。こんな話、専理術士様は興味がないのではないか、と。
「それは私ではない」
まずミアンナは、首を横に振った。
「あなたやあなたの村が『理術士』という概念に謝意を覚えるのは自由だが、私自身はあなたの村を救っていない」
「そ、それは判っていますけど、でも」
もっともな返答だと思った。同時に、「理術士」という存在全てに敬意を抱く気持ちも伝えたくてリーネは反駁しようとした。
そこでミアンナが、すっと片手を軽く上げた。
「――その上で、私は調律院の理術士として、あなた方の『気持ち』を受け止めよう」
「あ……」
それはまるで、ミアンナの年齢より二十年も三十年も年を重ねた人物のような返答だった。相手によっては「成人したかどうかの『子供』がずいぶん大人ぶって」とでも笑うだろうか。
だが、その言葉はリーネの胸の奥に強く響いた。
受け入れてくれるのだ。この人は。
同じくらいの年で、調律院の専理術士という雲の上のような地位にいる人が。
純朴に理術士を尊敬するミルフ村の人たちを笑うことも貶めることもなく。
ただ受け入れてくれるのだ、と。
「有難う……ございます……!」
何だか涙が出そうだった。しかし、こんなことで泣いては相手を困らせる。リーネは必死にこらえた。
「わたし! 理術士様のために何でもします!!」
感情のままに少女が叫ぶと、向かいの少女はまた首を横に振った。
「発言には気をつけたほうがいい。理術士は魔術師とは違うが、魔力を持つ。もし私がいまの言葉を利用しようと思えば、あなたは本当に『何でも』しなくてはならなくなる」
「え?」
リーネは目をぱちぱちさせた。
「でも、わたし、何でもしますよ?」
「……気をつけたほうがいい」
理報補官は心から言い、専理術士は肩をすくめて繰り返した。
―*―
そうしてリーネの新しい生活がはじまった。
最初はもちろん判らないことだらけだったが、ティアは厳しくも優しく少女を指導してくれたし、何より憧れの理術士の間近で過ごせるのは夢のような日々と言えた。
「あっ、あなた、新しい理報補官! だったよね?」
着任から一旬ほど経ったある日、ひとりの理術士が彼女に話しかけた。
「は、はい」
調律院の人々についてはひと通り紹介されている。さすがにまだ全員覚えきれてはいなかったが、専理術士の顔と名前はばっちり頭に入っている。何しろ「神」だ。
「何でしょうか! レーベス専理術士様!」
「そんな、敬礼でもしそうな勢いで言わなくていいよ。それに、ネネティノでいいから」
ネネティノ・レーベスは二十代後半の、体格のよい女性だ。玉状の飾りを長い銀髪に編み込み、爪を青く塗っているのが目立つ。
「あと、ミアンナもミアンナでいいんだよ? クネル理術士って呼んでるの聞いたけど」
「えっ、いえ、でも……」
「あはは、あたしが勝手に許可出しても駄目か」
陽気に笑う姿は、リーネのなかにあった「理術士様」像とは少し異なる。
だからと言ってネネティノを苦手にするようなことはなく、むしろ自分の考えが偏っていたと気づいて反省しているのだから、リーネという少女もなかなか大したものであった。
「ご飯食べた? よかったらお昼一緒しない? お話してみたかったんだよね」
「えっ、そんな、お恥ずかしい……!」
「お恥ずかしい!?」
思いもかけない返事だったのだろう。ネネティノは目を見開いてから大声で笑った。
「あっはっは、面白いな。リーネって呼んでいい?」
「恐れ多い……!」
「あっはっはっは」
リーネが両頬に手を当ててふるふる首を振ると、年上の専理術士は大笑いして目に涙まで浮かべた。
「いーね、いこいこ! ミアンナも呼んでこよ!」
「おおおお許しください……!!」
少女の懇願に、ネネティノは手を叩いて笑い続けた。
――そうして半ば強引に昼食の席へ引きずられていったことは、そう長くない本部での思い出のなかでもなかなか強烈なものだった。
ネネティノは本当にミアンナを呼んできたし、ふたりの女神の前で固まったリーネは、大好物の卵料理を食べても味を感じなかったくらいだ。
「てかミアンナもさ? もうちょっとリーネに気を遣ってあげなよ。休みの日に街を案内してあげるとかさあ」
「ひっ……」
「案内できるほど詳しい訳ではないが」
「知ってるお店くらいあるでしょ。本部の食堂も美味しいけど、たまには外に行くのもいいし。連れてってあげたら?」
「フロウド補官本人が特に望んでいない」
リーネの顔が引きつっているのを見て、ミアンナはネネティノの案を一蹴した。
「『フロウド補官』」
ネネティノはミアンナの口調を真似て繰り返した。
「理術士と理報官なんて長いつき合いになるんだからさー、さっさと打ち解けときなさいよっての。ほら、フロウド補官じゃなくて、『リーネ』」
「……リーネと呼んでも?」
ネネティノの言うことももっともだと思ったのか、ミアンナはリーネに許可を求めてきた。
「こここ光栄ですっ」
「はい、リーネも。『ミアンナ』」
「えええ、そ、それはいくら何でも……っ」
「私はかまわないが」
「無理です! 無理無理!」
「ティアだって、ミアンナって名前で呼んでるよね?」
「呼ばれている」
「そ、そうは言っても」
「じゃあ百歩譲って、『ミアンナ理術士』?」
「私はそれでもかまわない」
「はいっ、行ってみようー!」
楽しげにネネティノが促す。リーネは気が遠くなりそうだった。
「み、ミミミア……ミア……」
「
「うう……もう少し時間をください……」
がっくりとうなだれるリーネを見て、ネネティノはけらけらと笑うのだった。
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