03 調律院直属

 カーセスタ王国の王都カーセステス。

 その中心街区クェントルは繁華街でもあるが、王城からごく近いこともあって、行政機関も多い。

 「調律院」の本部は王城内部にあるものの、ほとんどの理術士や理報官が所属する「理術局」の建物は城下にあった。


「ミッ、ミルフ村からきました! あの、これ! と、届いたので!」


 受付で用件を聞かれたリーネは、緊張しながら合格通知を取り出した。ああ、と相手は理解してうなずく。


「着任おめでとうございます、リーネ・フロウド理報補官。ご案内しますのでそちらでお待ちください」

「はっ、はい……!」


 村ではずっと「ただの子供」だったから、こんなふうに丁重な態度を取られることなんてなかった。理報補官に合格してからこそ一目置かれたが、それでも「村の子供が、やるもんじゃないか」という調子で、大人として扱われた訳ではなかった。


(リーネ・フロウド理報補官、かあ……)


 少女は浮かんでくるにまにま笑いをこらえようとしたが、当人の思っているほど巧くできてはいなかった。

 彼女の身分はこれから、「調律院理術局所属」の理報補官、ということになる。


(何だかくすぐったい)


「フロウド補官」

「はいっ」


 呼ばれ方を噛みしめていたリーネだが、別の声に呼ばれてぴょこんと跳ね上がった。


「荷物はそれだけですか?」

「あっ、はい! あの、冬服とかは別便で送ってもらうことになってます!」

「そう」


 やってきた相手は、何も少女の荷物が少ないことを案じた訳ではなく、ただ確認をしただけだったようだ。リーネは少し赤くなる。


「ようこそ、調律院へ。私はティア・ランドン。調律院直属の理報官です」


 ティアと名乗ったのはリーネの祖母より年上に見える女性だった。きっちりとまとめた頭髪はほとんど白く、顔には深いしわが刻まれている。


「リーネ・フロウドです! よろしくお願いします!」


 ぶん、とリーネは勢いよく頭を下げた。くすり、とティアの笑う声がする。


「元気がいいこと」


 その言葉にまた赤くなった。


「いいでしょう。あなたの所属は理術局ではなく、調律院になります」

「……は?」

「私は専理術士の理報官。あなたは、私の補佐役として、同じ専理術士の理報補官となるの」

「せ……専理術士様の!?」


 彼女が素っ頓狂な声を上げてしまったのも無理はない。専理術士に付くなんて、考えもしなかったからだ。

 理術士には、専理術士と汎理術士がいる。もっとも、ただ「理術士」と言えば普通は理術局所属の汎理術士である。いちいち「汎理術士」と言うことはあまりない。

 一方で専理術士は、王国中で十名もいない、精鋭中の精鋭。所属も理術局ではなく、調律院直属になる。理術士自体を雲の上のように思っているリーネからすれば、雲の上の人どころではなかった。


「詳しくは改めて。ひとまず、城内に部屋が与えられるので、案内しましょう」


 王城のなかに入るのだ、という衝撃も、専理術士付きになるのだ、という衝撃の前には薄く、調律院直属となった理報補官リーネ・フロウドはただ呆然とうなずいていた。


―*―


 カーセスタ王城――。

 理術局の辺りからも見えていたが、近づけばその大きさには圧倒された。

 リーネからすると、王城と言えば「王様のいるところ」くらいの認識だ。しかし、国王をはじめとする王族はもとより、政治の中枢を担う識士などといった人物は、理術士以上に現実味がなかった。

 それはカーセスタ王国が平和で安定している証でもある。何もない時代だからこそ、祭列以外で国王の名が叫ばれることはなく、行政の主導者たちの名が怨嗟とともに呼ばれることもない。

 これはリーネに限らない大多数の感覚だ。彼女のような東部地域出身の少女に限らず、王都に暮らしている大人たちでも同じなのである。王都であれば祭りなどで王族の姿を目にする機会もあるので、「実在している」ことはもちろん知っているのだが、逆に言えばその程度だった。


「まあ、それくらいでいいでしょう」


 道中、リーネとティアはぽつぽつと世間話をしていたが、「王様なんて現実味がない」というようなことを言ったリーネに対し、ティアはそんなふうに返した。


「王城で仕事をしていても、陛下のお姿を拝見することはありません。一口にお城と言っても棟はたくさんあって、陛下は業務棟においでになりませんし、こちらが王室棟を訪問することもまずありません」


 城内にいても現実味の薄さはそう変わらない、と老理報官は言うようだった。


「私たち理報官が接し得るいちばん『偉い』方は、そうね……調律院なら応用理術監督官かしら。でも中央応理監はいまサレント自治領に赴任しておいでだから、実際には王国軍の将軍辺りね」

「あ、あの、専理術士様は……? 読んだ本では、軍部の将軍級に相当するって、ありましたけど……」


 おそるおそるリーネは尋ねた。ティアは片眉を上げる。


「そんなところよ」

「ほんとなんですか!? すごくないですか!?」


 思わず大声を上げた少女は、すれ違った者たちの注視を浴びた。


「王国軍と調律院で上下をつけると面倒なのは判るでしょう。それでも有事の際に備えて順位は付けておかないといけないから、馬鹿馬鹿しいほどの決まりがある」


 もちろん最終的な決定権は国王にあるが、そこに行くまでの判断について、これこれこういう場合は王国軍、こういう場合は調律院、と事細かに定められている。ティアはそんな説明をした。


「だから、専理術士が将軍級、というのは……間違ってはいないのだけれど、両組織を比較していることになる。あまり声高に言わないほうがいいわね」

「あっ、す、すみません」


 ぴょこっとリーネは頭を下げた。またティアはくすっと笑う。


「本当、元気で可愛らしい子だこと」


 ティアのこの言い方は、まるで孫のような少女を心から可愛く思ってのことだ、とやがてリーネも理解するのだが、このときはからかわれているように感じて恥ずかしかった。


「私室は狭いけれど一室が与えられます。まずそこに荷物を置いて。制服が届いているはずだから、大きさを確認して。あまりに合わないようなら交換するので早めに申し出なさい。それから――」


 などなど、ティアは細かくたくさん案内をして、リーネは懸命についていった。これも老理報官の親切心であるのだが、初めて都会へやってきた少女には少々早すぎる速度だったろう。


「こ、これでいいのかな……」


 指示に従って身ぎれいにし、真新しい制服に袖を通し、髪を結い直したリーネは、ここで急に不安を覚えていた。

 あまりに常識のない「田舎娘」と思われないか。いや、実際自分がそうしたものであるという自覚はあるが、もしそのために「合格はなかったことに」なんて言われたら――?

 もちろん、そんなことを言われるはずがない。調律院は年齢も性別も本当に関係なく、純粋に実力だけを見る希有な組織だ。リーネ・フロウドという人物は、理報官にこそ届いていないものの、理報補官として赴任することを調律院から正式に求められているのである。


「あら、いいわね」


 連絡を受けて再びリーネの前に現れたティアは、暗めの緑色をした理報官の制服に身を包んだ少女を見て、顔をほころばせた。胸元の階級線こそ一本足りないが、ティアと同じ制服だ。リーネも少し照れ笑いをした。


「調律院全体への紹介は後日になるけれど、ひとまず専理術士に顔見せに行きましょうか」

「えっ、え……も、もうですか!?」


 次の瞬間には表情が強ばる。


「何を焦っているの。当然の流れでしょう」

「うう……はい!」


 一回うつむいたあと、彼女は覚悟を決めた。

 理報補官として、「神」に会う覚悟。


(そう、わたしは、そのためにここまできたんだから!)


 「りほーかんになる」と口にしてから、十年強。

 理術士に恩を覚えているミルフ村には、理術士に関する書物や資料もたくさんあった。両親も子供の夢を馬鹿にせず、家の手伝いが疎かになっても叱ることなく、応援してくれた。おかげで彼女は子供の頃から学ぶことができたし、視察にやってくる王都の公務官が驚くほどの知識を得た。だから試験も受けさせてもらえたし、こうして合格し、王都の理術局――いや、調律院本部にまでやってきたのだ。

 敬愛する理術士のもとで働く。

 そのために。


「よろしいですか」


 ティアが扉を軽く叩き、室内の誰かの許可を取った。背後にいるリーネにはよく聞こえなかったが、何か返答があって、ティアが取っ手をかちゃりと回す。

 鼓動が跳ねた。


(ええい、震えるな、リーネ!)


 自分に言い聞かせ、少女は、専理術士の執務室に足を踏み入れた。


「リッ、リーネ・フロウドです! よろしくお願いします!」


 勢いよく名乗って頭を下げると、またティアの笑い声がした。カッと頬が熱くなる。ティアが紹介して、それから名乗るべきだったのだ。先走ったのが判った。


「――よろしく頼む」


 涼やかな、声がした。


「えっ……」


 顔を上げたリーネは目を見開いた。


「ミアンナ・クネル。調律院所属」


 淡々と名乗ったのは、橋のたもとで出会った、灰色の髪をした少女理術士だった。


―*―

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