02 王都

 ミルフ村から王都カーセステスまでは、馬車で半月の道のりだ。

 さすがに本当にひとりで送り出すことは危ぶまれたので、王都までは村になじみの商人夫妻が送り届けてくれた。

 とは言え、彼らにも用事がある。助けはそこまでで、少女は初めての大都会をひとりで歩かなくてはならなかった。


「ええと、この道を行ったら大通りで……」


 合格通知と一緒に届いた王都の地図は何度も見て、行き方はすっかり頭に入っていた。リーネは実際の街路を確認しながら理術局に向かって歩いていく。


(王都……すごいなあ。お祭りみたいな人の数。それに、景色も夢のなかみたい)


 話には聞いていたが、やはり実際に目にすると強烈だ。田園風景のなかで育った少女からすると、建物だらけの光景はまるで現実味がない。

 どこを見ても人人人、高い建物がぎゅっと立ち並んでいて見通しが悪く、目が痛い。道路は不自然にまっすぐな上、四角く曲がる。故郷のミルフ村はもとより、試験で訪れた近くの町や、道中にあった大きめの街とも全然違って見えた。


「あった、〈守り石橋通り〉」


 呟いて角を曲がると、目の前には通りの名前の元となった大きな石橋が――。


「ちょっとちょっと! 通行止めだよ、入っちゃ駄目! 見て判んないか!?」


 強めの声がかけられて、リーネは目を見開いた。言われてみればそこには赤と黄色の縞模様でできた看板や、腰ほどの高さのある柱状のものが何本か置かれている。


「通行止め……? これって、入っちゃ駄目ってことなんですか?」

「あー」


 係員は、叱った相手が見るからに「田舎から出てきた子供」だと気づいて少しバツの悪そうな顔をした。


「そこの橋に亀裂が見つかったんで、封鎖してるんだよ」

「え」


 想定外の出来事である。まさか予定していた道が通れないなど。


「あー、もう少しだけ待てば、すぐ通れるようになるが」


 リーネが絶望的な顔でもしたのか、係員は同情的に言った。


「え、もう少しでいいんですか?」


 亀裂が入った石橋がそんなすぐ通れるようになるものだろうかと、少女は思わず問い返した。


「そりゃ、あんた」


 係員は石橋のほうを指差した。


「――理術士がきたからな」


 ぶわりと、風が吹いた。

 その先には、深い青色の制服姿。

 マントの背に刺繍された調律院のしるし、天秤の意匠が施された調律院式双理交織象紋――通称・調律院理紋は、日に煌めいてかすかに光った。


「り……!」


(理術士様! 本物だ!!)

 少女は荷物を取り落とし、両手を口に当てた。

 鼓動を覚えながら彼女が見つめていると、理術士は不思議な形に手指を動かした。すると、青白い紋様が宙に浮かび上がる。


(り、理紋だ! あれが、本物の理紋!)

 象徴としての調律院理紋とは異なり、構文が構成され、理術として発動するときに浮かび上がるものがこうした光の理紋だ。理術が行われている証、とも言える。


(なんて……きれいなんだろう)


 その幻想的な美に魅入られたかのように、少女はふらふらと歩みを進めた。が、係員に止められる。

 次の瞬間、石橋の一部分から閃光が走り、バチッと鋭い音がした。リーネはびくっとした。


「お、できたかな。思ったより早い」


 係員は、まるで食事処で料理が出てきたかのような気楽な調子で言ったが、初めて本物の理術を見たリーネは震える思いだった。


「い、いまのって熱量構文ですか!? あと位相構文!? 石を溶かして材料を流し込んで、冷やし固めたときに起きた反応ってことですか!?」

「お、おおう!?」


 「田舎の小娘」と見えるリーネからそんな言葉が出てきて、係員は怯んだ。


「何だ何だ……嬢ちゃんは理術に詳しいのか? だがこっちは知らんよそんなこと」


 王都の人間は理術に慣れているが、逆に詳しくもないし興味もない。彼らにとっては日常だからだ。


「うん、終わったらしいな。通っていいか確認するから、向こうに行きたいならついてきな」


 ほら荷物、忘れるなよ、と係員は、リーネが取り落とした荷物を指差して教えてくれた。


 石橋のたもとには数名の人物がいた。係員はそこに割って入って通行の許可を取り、リーネを促すと先ほどの場所へ戻った。通行止めを示していた看板や足止めの柱を片付けるのだろう。

 リーネは改めて地図を思い起こし、橋を見た。しかしそのまますぐ渡らないのは、やはりそこの理術士が気にかかるからだ。

 本物。

 物心ついた頃から憧れてきた「理術士様」という存在が、いま初めて本当に、彼女の目の前に立っている。


「あ……あの、理術士様!」


 報告やら相談やらは済んだと見え、「お疲れ様でした」などという声が聞こえて彼らが解散したとき、我知らずリーネは声を出していた。

 その呼びかけに相手が振り向いたときの胸の高鳴りをリーネはずっと覚えている。


「何だろうか」

「あっ、あの」


 何を言おうとしたのか、彼女は自分でも判らなかった。まだ王都の住民とも言えないのに修繕の礼を言うのは不自然だし、いくら理報補官になるからと言ってここで自己紹介をはじめるのもおかしな話だ。


「あ、あの、り、理術局はどっちですか!?」


 出てきたのはそんな質問だった。行き方は判っているのに。


「この橋を渡って三つ目の角を左、突き当たりの建物の左側に〈沈丁花小路〉があるからそこを通ると地図より簡単に行ける。小路を出たら道を渡って右に三つ目の建物。入り口は判りやすい」

「あっ、えっ、あ、有難うございます!」


 無表情ながらも詳細かつ親切な説明が返ってきてリーネは一瞬混乱した。


「案内できればいいけれど、まだやることがある」

「い、いえ、とととんでもないです! 有難うございます!」


 繰り返してリーネは深々と頭を下げ、それから顔を赤くして橋を駆け渡った。


(び、びっくりした)

(……すごくきれいな人)


 灰色の髪を肩上で切り揃えたその理術士はたいそう若い少女で、リーネと同じくらいに見えた。


(声も……涼やかで素敵だった)


 その驚きと凜とした姿にぽうっとなったリーネは、理術士が彼女の地図の内容を把握していたことについて、何も不審に思わなかった。


―*―

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