31.秘密のお茶会⑥
「それは・・・、知りませんけど」
なんだ、ヘレナだって大袈裟に言うわりにそんなに詳しくないじゃないか。
リーリヤがそんな気持ちを込めて口元に笑みを浮かべるとヘレナはむっとした表情をした。
そこでセルマが慌てて仲裁に入ってくる。
「わたしも詳細までは。けど、小さい頃に教会で『黒い靄を纏った精霊様には近づいてはいけない』と教わるんです。それは『悪堕ち』の証だからと。昔、この街でひどいことがあったみたいなんですが実際に何が起きたかまでは」
「そうです。そもそもそうなる前に精霊様に異変があれば花の乙女に依頼するものなんです。そうそうそんな精霊様と遭遇すること自体が滅多にないんです」
リーリヤもそこまでその『悪堕ち』とやらに興味があるわけではない。
重要なのはその花の乙女に相談するべきであろう異変とやらが今起きているのかどうかだ。
「話は大体わかったわ。あなたの両親の喧嘩が、その、精霊に悪い影響を及ぼしているというのね」
リーリヤの確認にセルマは顔を俯かせてしまった。
セルマとしては仲の良いと評判の両親がそこまでひどい喧嘩をしていることに内心思うところはあるのだろう。
「確かにこのままだと良くないですね。そこまで精霊が荒れているわけではないのなら、ご両親の喧嘩を止めて仲直りして貰うのが一番いいと思うんですが」
それができれば苦労はしないとリーリヤでさえ思う。当然、セルマも考えたはず。
「わたしもそう思ったよ。でも、なんで二人が喧嘩しているのかわからなくて。二人ともわたしの前では普段通りにしようとするし、聞いてもはぐらかされてしまって・・・」
少し黙った末にセルマは震えるような小声で寂しげに言った。
「それにわたしにはきっと教えてくれないよ」
家族であり娘でもある人物の発言とは思えなかった。
その意図を問おうとしたリーリヤの耳元にヘレナがそっと口を寄せてきた。反射的にリーリヤは距離をとる。
もちろん、眉間に深い皺を寄せたのは言うまでもない。ヘレナもまた苦虫を噛んだような表情をしていた。
それでもヘレナは耳を貸せと無言で手招きをしてくるので、リーリヤはしょうがなくヘレナの方に顔を寄せる。
「セルマさんは養子なんです」
それがセルマが両親に対して喧嘩の原因を問い詰めることができない理由だった。
ああ、とリーリヤは小声で漏らした。
だから、彼女らは祖父母と孫くらいに年が離れているのだ。そして、いくら仲が良く見えても本当の親子でなければ踏み込めない領域があるとセルマは思っているのだ。
まどろっこしいとリーリヤは思う。本当だろうが偽物だろうが『家族』ならば気にせず聞けばいいものを。
そういう思考をしてしまうのはリーリヤが未だに人の機微を理解できていない証左なのかもしれない。それとも家族を持たないが故の幻想を抱いているのか。
「では、わたし達、いえ、わたしがご両親の喧嘩の要因を聞いてくればいいんですね」
わざわざ言い直す必要はないのに、ヘレナはリーリヤを見てから主語を変更した。
言いたいことはわかる。ほぼ初対面のセルマの両親相手にリーリヤがそんな家族間の私的なことについて聞き出せるわけがない。
話術的にも心理的にもまず無理だ。わかっていても初めから戦力外として扱われるのもやはりむかつくのだ。
しかし、セルマは首を横に振った。
「違うの!そこまで迷惑はかけられないよ。それにね、もし、今よりも喧嘩がひどくなっちゃったらと思うと・・・」
そう言われればリーリヤにもヘレナにもどうしようもない。
セルマは寂しさの滲む笑みを浮かべる。
「わたしはこのお店で仲良く働く二人が好きだから」
儚げだった。そして、健気でもある。
セルマは本当に両親のことが好きなのだと他人のリーリヤにも伝わってくる。大事にしているからこそ家族の仲を守りたい。なにより大事にしているからこそ関係を壊すのが怖くて踏み込めない。
適当な気持ちで他人が安易に搔き乱すことは憚られた。
「こう言ってはなんですが、いい年した大人達ですから。自然と仲直りするのを待つのが一番ですか」
ヘレナの言葉にセルマがこくんと頷いた。
何もせずとも解決するのであればその方がいいに決まっている。
仲直りをしなかったらどうするのかということは言っても仕方がない。見守ると決めた以上はどうせできることは何もないのだ。
「なら、結局相談ってなんだったの?」
リーリヤの疑問はもっともである。
セルマの気持ちはもともと定まっていたように見えた。
ならばわざわざヘレナだけでなく、リーリヤまでお茶会に誘ったのはなぜなのか。気持ちの整理や意思の表明ではないはずだ。ほとんど関わりのなかったリーリヤにそんなことをする意味も必要性も見いだせない。
セルマが本当に相談したかったのは、きっとこの先だ。
セルマはその愛らしい顔立ちに陰を宿し、さっきよりももっと小さな声で罪を打ち明けるように告げた。
「精霊様の気持ちを鎮めたくて。できれば花の乙女様は頼らずに」
セルマの沈痛な様子とは裏腹にリーリヤは心が逸った。
これはきっとリーリヤが望んでいた展開だ。
セルマの両親の喧嘩を直接止めることはできない。しかし、このままでは妖精に悪影響が出る。いや、すでに出始めているという。そして、この状況を放置すればやがては『悪堕ち』なるとてもよろしくない事態に発展しかねない。
となれば、今度は対症療法が必要となる。つまりは荒ぶる妖精の鎮静化だ。原因である喧嘩の仲裁をしない以上は当然の帰結であろう。
「それは・・・」
ヘレナが言葉に詰まる。
本来であればこの街の妖精の専門家である花の乙女とやらが対応すべき事案なはずだ。
「わかってるんです。本当は花の乙女様にお願いするべきことだって。でも、大事にしたくないんです。もし精霊様がお怒りになったなんて知られたらお店にどんな影響が出てしまうかわかりません」
セルマは意を決するように両手で包んだカップに入ったお茶を飲み干す。
「それにどのみち今の状態では依頼できません。さっきもお伝えした通り、精霊様の様子はそこまで表面化したものではないんです。多分、家族の中ではわたししか気付いていません。両親を説得して正式に依頼するのは難しいでしょうし、わたしのお小遣い程度じゃとてもお金を用立てることができませんから」
だから自分でどうにかするしかない。
それはセルマの決心だった。
そのための協力をセルマは得たかったのだ。おそらくリーリヤをお茶会に呼んだのは、お嬢様であるリーリヤならば上流階級の嗜みとして妖精の扱いに多少の心得があると考えたのだと思う。
もともとリーリヤのお嬢様設定に基づく噂話をセルマが知っていたことからもこれで話が繋がった。
リーリヤはテーブルの下でそっと拳を握る。不謹慎かもしれないがこれはリーリヤが活躍する絶好の機会だ。
「そういうことならアルマスさんを呼びましょう。アルマスさんなら何か良い考えを教えてくれますよ」
ヘレナが余計なことを言う。
アルマスなんて頼らなくても、ここには妖精の専門家の最たるリーリヤがいるのだ。
「その必要はないわよ。私に任せなさい。さぁ、その『精霊』のもとに案内して」
「あ、はい!」
リーリヤが快諾の返事をしたことにセルマは瞳を輝かせた。
リーリヤがセルマと共に席を立ち上がると、ヘレナが慌てて引き留めてきた。
「ま、待ってください!」
リーリヤは小さく舌打ちをする。
まったく面倒な少女だ。大人しくリーリヤの勇姿を眺めていれば良いのに。
「今、舌打ちしましたね?まったく、あなたという人は上品さの欠片もありません。セルマさんも落ち着いてください。話を聞く限り急を要することでないようですし、まずはアルマスさんに相談するところから―――」
ヘレナの煩わしい声が途中で止まる。
ヘレナだけではない。一瞬だが、あれだけ騒がしかった店内がしんと静まり返った。
店の奥、厨房の方からそれほどの怒号が飛んできたのだ。
リーリヤはセルマ達と顔を見合わせる。セルマの顔は蒼白に染まっていた。
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