30.秘密のお茶会⑤

 スコーンを口に放り込んだリーリヤは想像よりもパサパサしている上に味のしないスコーンに顔をしかめた。


 はっきり言って美味しくない。

 最近はイレネの手の込んだ料理ばかり食べているので余計にそう感じる。そう思って顔を上げたリーリヤは二人の表情が硬いことに気付く。


 そこでリーリヤは察した。

 ひょっとしたらまた距離感を間違えてしまったのかもしれない。


 リーリヤとしては今更過ぎて当たり前のように答えてしまったが、もしかしたらこういうことは聞かれたからといってほいほいと答えるものではなかったのだろうか。


「ごめんなさい。辛いことを聞いてしまって・・・」


 セルマは悲しげに俯き、ヘレナは納得したように頷いた。


「思ったよりも複雑で不遇な家庭だったんですね。なるほど。だからですか」


 なにが『なるほど』なのか。ヘレナは一人勝手に難しい表情をしている。

 しかし、そのことを問い詰める前に彼女はやってきた。


「まあまあ。セルマがなんか変なこと言っちゃった?ごめんなさいね、この子ちょっとのんびりしてて抜けているところがあるの。これでも食べて気分を入れ替えてね」


「あっ、お母さん」


 年の頃はさっきの男性と同じくらい。薄茶色の髪を綺麗に纏め上げている柔和な老女こそ、セルマに母と呼ばれた女性だ。


 やっぱりリーリヤには母子というよりも祖母と孫に見えてしまった。今度は間違っても口にしないように心の中で思うだけに留めた。


「やっぱり若い女の子のお茶会には甘い物が必要よね。あの人はこういうところに気が利かないから」


 セルマの母親は厨房にいる旦那の方を見てそれだけ言うと独特な香辛料の匂いが鼻をくすぐる砂糖のまぶされたパンをテーブルに置いていく。


「わっ。シナモンロールだっ」


「お茶会の定番ですね。わたしも大好きです」


 次いでセルマの母はリーリヤの前に苺ジャムの入った瓶を置いた。


「あっ、どうも」


 しかもご丁寧に一匙ジャムを掬うとスコーンの載った皿に添えてくれた。なるほど、スコーンにはこれをつけて食べればいいのか。


 リーリヤが立ち去るセルマの母を見送っている間にも、セルマとヘレナはさっそく大皿から自身の取り皿へとシナモンロールを移していた。


 リーリヤがセルマに尋ねる。


「ねぇ。あなたの両親って仲悪いのかしら?痛っ!」


 ヘレナがリーリヤの臑を靴先で小突いたのだ。


「本当に失礼な人ですね。どこを見たらそうなるんですか。とんだ節穴さんですね。セルマさんのご両親はおしどり夫婦で喧嘩一つしない仲良しさんって有名なくらいなんですよ」


「だからって蹴ることないでしょ」


 リーリヤがヘレナに抗議をすると、ヘレナからもう一度蹴りが飛んでくる。リーリヤは慌てて椅子ごと後ろに下がってやり過ごす。


「まったく、この人は何度言えばいいのか。セルマさんからも何か言ってやってください」


 ヘレナの憤りはセルマには聞こえていないようだった。セルマはぽつりと言葉を溢す。


「凄い・・・。なんでわかったんですか」


「へうぇ?」


 奇声を上げたのはヘレナだ。


 リーリヤの不躾な発言にさすがのセルマも怒るのかと思いきや彼女は逆に感銘を受けていた。


「誰に話しても全然信じてもらえなかったのに」


「ふぅん。そうなんだ。あんなにもわかりやすいのに」


 リーリヤからしてみれば一目瞭然であった。


 セルマの両親は互いに向けて負の感情を抱いている。それも強く、暗い感情だ。店内にいる客の誰よりもあの二人は仄暗い感情を向け合っている。


 魔女の感性を持つリーリヤがそれを見逃すはずもない。悪意に満ちた負の感情こそが魔女にとって最も身近なものなのだ。


「やっぱり。リーリヤさんを呼んで良かったです。わかる人にはわかるんですね」


「ど、どういうことです?説明をお願いします」


 セルマは話をする前にテーブルの裏面を見て魔具が起動していることを改めて確認した。


 おそらくだがこれこそセルマが相談したかった話なのだろう。

 その翠色の大きな瞳を揺らしてセルマが話し始める。


「うちに精霊様がいることは知っていると思います」


 リーリヤもヘレナも頷く。

 そうでなければわざわざリーリヤもお茶会に参加しようなどとは思わなかった。


 リーリヤは店内をぐるりと見回す。店に入ってから何度も確認をしていることだが、この客のいる室内からは妖精の気配が読み取れない。


 セルマも補足するように続けた。


「さすがにこの場にはいません。精霊様は厨房の方です」


 それにしたってここまで気配が感じ取れないことがリーリヤとしては気になるところだ。


 よっぽど力が弱いのか、それとも別の要因か。

 どうにもリーリヤにはこの街の妖精が捉えにくくて仕方がない。靄でもかかっているような奇妙な感覚があってしっくりこないのだ。


「精霊様がうちにいらっしゃったのはつい1か月ほど前なんです。ある日、普段は使わないかまどから煙が出ていたので覗いてみると可愛らしい精霊様がいたんです」


 セルマは両手で包む動作をしてその大きさを表現している。どうやら本当に小さな火の妖精らしい。


「しばらくの間はなんの問題もありませんでした。けど、1週間くらい前から様子が変わってきてしまって」


「まさか、『悪堕ち』ですか!」


 ヘレナが急に大声を出す。

 セルマが慌ててヘレナの口を塞ぐ。


 会話を聞こえなくする魔具とやらが作動しているのだから気にする必要はないのにと思いながら、リーリヤは苺ジャムを付けたスコーンを口に運ぶ。スコーンは冷めてしまっていたが、ほろほろ崩れる生地と酸味のあるジャムが調和して美味しい。


 それにしても『悪堕ち』とは。また知らない用語が出て来た。リーリヤがスコーンを咀嚼している間にも話は進んでいく。


「ヘレナちゃん、声が大きいって!それにまだそこまではいってないと思うんだ。だって『悪堕ち』するときって黒い靄が出るんだよね?それはまだ出てないから」


「じゃあ、まだ影響は軽いんですね。いや、それにしても、セルマさんのお家に限ってそんなはずは。・・・っ!それでご両親の喧嘩が関係するのですか」


「どういうこと?」


 話についていけないリーリヤに対してヘレナはダメな子を見る目をする。


「あ-、もう。本当にあなたは何も知らないんですね。いいですか。精霊様が普段わたし達と共存しているのは言うまでもありませんね。でもそれは互いに干渉しあうことと同義なんです。基本的には良いことばかりです。精霊様の『祝福』は特別ですから。けれど、中には悪いことだってあります。そうですね、簡単に説明すると精霊様がお怒りになっていればわたし達の生活にも影響が出ます。極端に言うと水道管が破裂したり、火災が起きたりです」


 ここまではわかりますね、と指を突きつけられリーリヤは首を縦に振る。


「逆に言えばわたし達が怒っていても精霊様に影響が出ます。人同士が喧嘩したり、いがみ合っていると精霊様もまた攻撃的な性質になってしまうんです。つまりはわたし達の怒りが伝播して精霊様がお怒りになります。ちょっとの喧嘩ならどこだって日常茶飯事ですし大したことありません。ですが、度が過ぎると大変なことになります。お怒りになるだけですめばいいですけれども、もし『悪堕ち』なんてしまったら目も当てられません。そうなればお店の評判にも関わってきますし、ひどいと人の生き死にも関わるとか」


 リーリヤは不満げに唸る。


 妖精が人の感情をくみ取ることは珍しくない。奴らはそうして最も人間が恐怖し、忌避することをする。それが妖精という存在だ。しかし、人の感情が妖精の本質を揺らがすというのはリーリヤも知らない。


 どんな善良な人間が妖精に笑いかけたところで、奴らは嬉々として人間を嵌め殺そうとしてくる。妖精が人に心を開いて仲良くしようなどとすることは絶対にない。周りの人間がどうであろうと妖精の本質は変わらない。


 だから妖精が人に害を与えないように魔女が力づくで抑える必要があるのだ。


 こうして話を聞いていると彼女らの言う『精霊』が本当にリーリヤの知っている『妖精』と同じなのかと疑問が出てくる。


「具体的には?」


「へ?」


「その『悪堕ち』ってやつになるとどうなるのよ」

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