26.秘密のお茶会①

 リーリヤは手に持ったカップを揺らす。


 ちゃぷと音を立てて波打つのは赤みのあるお茶だ。うっすらとした甘みと渋みが同居するこの飲み物は、「クッカ茶」と呼ばれて街の住民に親しまれている。


 茶葉となる乾燥した葉はステーン家の雑貨屋でも扱っている。

 原材料はそこらの森に雑草同然に生えているのでとても安価な庶民の代表的な飲み物である。


 リーリヤはカップを傾けてほんのちょっぴりお茶を口に含む。


「これがお茶会」


 セルマ主催の『秘密のお茶会』とやらはリーリヤの想像よりもちょっとだけ、いや、大分慎ましかった。


 こぢんまりとしたテーブルには人数分のカップとお茶菓子のクッキーが乗っている。中央に置かれた小瓶に生けられた花も派手さはなくて、ささやかな彩りを添えていた。


 白いテーブルクロスに縫われた花の模様は洗練さの代わりに素朴さがある。これは自作だとセルマが言っていた。リーリヤが指先で縁をなぞる木製のカップも表面にちょこんと描かれた熊の絵が可愛らしい。


 お茶会の体裁は整っているのだろうし、セルマなりの拘りや真剣さは垣間見える。それはリーリヤだってわかっているのだ。それでもどこか物足りなさを感じてしまう。


 広い庭園に用意された豪奢な大きいテーブル。その上には白磁の茶器に注がれた香しいお茶とたっぷりのお菓子が並べられ、麗しく着飾ったご令嬢達が談笑する。


 それがリーリヤの乏しい知識から想像した『お茶会』だった。


 そして、そのイメージはセルマの容姿と雰囲気がもたらしたものでもある。首元までのふわふわとした金髪と愛らしい容姿をした少女はどこぞの名家のお嬢様を思わせてならない。それがまたリーリヤの勝手な期待と勘違いを助長した。


 しかし、思い返せばセルマは確かに言っていた。自分は街の小さな食堂の娘だと。てっきり高貴な身分の人が正体を隠すための方便だと思っていた。まさか本当に食堂の娘だったなんて。


 だからこのお茶会がどこか質素で庶民的であってもそこを責めるのは間違っている。これについてはセルマのせいではなく、リーリヤの思い込みが悪いのだ。


 でも一つだけ言いたいことがある。


「秘密の、お茶会なのよね・・・?」


 疑念の籠もったリーリヤの声は簡単にざわめきに飲み込まれた。


 耳を澄まさなくても聞こえる喧騒は人の気配を色濃く漂わせている。リーリヤは目線を横に滑らせる。そこにあるのは活気に満ちた光景だ。


 まだ昼時には早いのに見渡す限りの席全部が飲み食いに興じる人達で埋まっている。どうやらとても繁盛しているようだった。


 ここはセルマの両親が営む食堂だった。何を隠そう『秘密のお茶会』は思いっきり食堂の店内で行われている。


 かろうじて窓際の端っこの席であるとはいえ、果たしてこれは『秘密』と言えるのだろうか。なんなら手を伸ばせば隣のテーブルに届きそうな距離感だ。


「ねちっこい人ですね。黙ってお茶を飲むこともできないんですか」


 リーリヤが漏らした独り言に反応したのは正面に座ったヘレナだった。セルマは席を外していてこの場にはいない。他の参加者もいないのでテーブルに着いているのはリーリヤとヘレナの二人だけだった。


 それはそうとなぜかヘレナはリーリヤを無視することを止めたようだった。何がきっかけでどういう心の変化があったのかリーリヤにはまったくわからない。


 冷たい無言の対応をする代わりにヘレナの言動はトゲトゲしいことこの上ない。リーリヤがすること言うこと全部に皮肉のたっぷり効いた嫌味をぶつけてくる。


 無性にあの沈黙の空間が懐かしい。トビアスの気持ちが少しわかってしまったのが悲しいところだ。

 喉も渇いていないのに何度もカップを口元に運ぶくらいには居心地が悪かった。


「うるさいわね。ちょっと気になっただけでしょ。それにもう十分飲んだわよ。これで何杯目だと思ってるの?」


 むっとして言い返せばヘレナはあからさまに嘲笑した。


「知りませんよ。何も考えずにがぶがぶ飲むからでしょう。・・・というか本当に意味がわかりません。そんなに喉が渇いていたんですか。それともただのおバカさんなんですか」


「うぐっ」


 手痛い返しにリーリヤは黙り込む。


 リーリヤはお茶を飲み過ぎて膨れたお腹を両手でさする。リーリヤだって飲みたくて飲んだわけではないのだ。


 そもそもリーリヤはこのお茶会にさして興味がなかった。本来の目的はセルマから妖精の関わる揉め事について聞き出し、それを見事解決してみせること。


 わざわざお茶会の誘いに乗ったのは無遠慮に断ってセルマがへそを曲げたりしないようにと考えただけだ。


 そのため、お茶会なんてさっさと終わらせたいというのが紛う事なき本心だ。多くの人がひしめき合うこの食堂に入ってからはなおのこと強くそう思った。


 自分で言うのもなんだがリーリヤは人見知りなのである。故郷の森にいたときはまるで気にならなかったのに今は近くに見知らぬ人がいると苦痛に感じる。


 長々とお茶を飲みながらの会話はしたくなかった。セルマに差し出されたお茶をすぐさま飲み干してセルマに話を促すつもりだった。お茶会なんてお茶を飲んだら終わるとリーリヤは思っていたのだ。


 実際は違った。終わりではなくて、これは始まりだった。


 セルマにより丁寧に準備されたお茶は温かくはあっても熱くはなかったので、リーリヤは火傷することもなく一息に飲んでしまった。


 それを見たセルマはなぜか喜んだ。そして、嬉々としてリーリヤのカップにお代わりを注いだのだ。


 リーリヤとしてはお茶を飲んだのだからお茶会も終わりという認識だったのに。


 そこでリーリヤはある疑問に直面する。


 お茶会というのはお茶を何杯飲めば終わるのか。1杯ではない。セルマがお代わりを用意したのだから。では2杯なのか?それとも3杯?


 混乱したリーリヤはセルマに注がれるがままお茶を飲むことを繰り返し、ポットの中身が空になるまでそれは続いた。


 多分、5杯は飲んだ。そして、セルマが嬉しそうにお茶を淹れ直してくるといったところでリーリヤは悟った。


 お茶会はお茶を何杯飲もうと終わらない。これはきっとセルマが『お開き』と判断しない限り終わらないのだ。


 残ったのは何をしているんだろうという虚脱感とたぷたぷとなって苦しいお腹だけである。もっと早く気付くべきであった。


 セルマがこの場にいないのはそういう経緯があってのことだ。未だに妖精の話どころか何一つ話は聞けていない。


 リーリヤはくどくどと止まらないヘレナの辛辣な言葉を甘んじて受けながら待つしかなかった。

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