23.魅力的なお誘い①
店内は静かなものだった。今日は店も開けていないので客は誰もいない。
壁際に所狭しと設置された棚にはたくさんの商品が並んでいる。改めて見回すと雑貨屋とは興味深い店だとリーリヤは思う。
置かれた品々には統一性がなく、瓶詰めされた保存食やワインといった飲食物から肩下げバッグやコップといった小物、野菜や花の種に加えて机や椅子といった家具まである。この中にはアルマスが作ったという魔具もあるのだろう。
しかも雑多に置かれた商品は種類が多すぎて何処に何があるのか判然としない。初めて来た客はきっと少しの困惑とともに未知の物を探し当てる些細な喜びに心が躍るに違いない。
そんな多くの棚と品物に囲まれた空間にヘレナはいた。かちゃかちゃと瓶同士が擦り合う甲高い音だけが店内に響いている。
トビアスやイレネの代わりにヘレナの考えを聞くこと。
勢いで引き受けたはいいもののどう話しかけるべきか。無言でジャムを棚に配置するヘレナを観察しつつリーリヤは逡巡する。
よくよく考えればリーリヤはヘレナとまともな会話が成立したことがない。どう話しかけたところで無視されるのが落ちな気もする。
悩んだ末にリーリヤは考えるのを止めた。ヘレナと一緒に作業をしつつ話せれば話す。トビアスに手渡されたジャム瓶の入った木箱はそのための物だ。
無視されたらそのときはもうしょうがない。作業場への通用口で心配そうに覗き見をしているイレネとトビアスには悪いがダメでもともとなのだ。
「あ~、その・・・。手伝う、わよ」
ヘレナがいたのは店の入り口正面、入ってきた客が一番に目に付く場所にジャム瓶を並べていた。
声をかけたリーリヤにヘレナはちらりと目線だけを寄越す。そして、何も言わずに作業に戻った。まるで見知らぬ他人がたまたま側に近寄ってきたとでも言いたげだ。
予想通りの反応である。ヘレナはとことんリーリヤの存在を認めたくないようだ。
これはもうどうしようもない。
リーリヤは早々に諦めた。百歩譲ってリーリヤがこの生意気な少女に歩み寄ってやったとしても、相手にその気がないのでは意味がない。
人間関係の経験が少ないリーリヤには既に手詰まりだ。
リーリヤはヘレナと付かず離れずの微妙な距離を保ったまま黙ってジャムの瓶を棚の上に置いていく。
ジャムの種類はまったく同じ物なのにリーリヤもヘレナも互いに好き勝手にジャムを並べていくせいで見た目にまとまりがない。こういうところを見ても気が合わないということがよくわかる。
持ってきた木箱が空になったらさっさと退散しよう。リーリヤがそんなことを考えていたとき、ヘレナがリーリヤの置いた瓶の列を見ているのに気付いた。
「下手くそですね」
小声で、それでもしっかりとリーリヤの耳に届くようにヘレナは呟いた。ついでに鼻まで鳴らしている。
ぴくりと自分の眉が跳ねたのがわかる。
我慢だ。リーリヤは言い返したくなるのをぐっと堪える。喧嘩をするためにわざわざこんなことをしているのではないのだ。
逆に考えよう。あのだんまりだったヘレナが自分からリーリヤに話しかけているのだ。これは会話の切っ掛けになるのでないか。
よく見ればヘレナが並べたジャム瓶はラベルの向きが揃えられ、傍目にも整頓されている。
なにも考えずに並べていたリーリヤよりも客の目線に立っている証拠だ。ここは褒めて年上の余裕を見せてやろう。
「さすが手慣れて―――」
「いい歳して陳列すらまともにできないなんて恥ずかしくないんですか」
せっかく褒めようとしたリーリヤの言葉に被せるようにヘレナから追撃が入る。もう隠す気もないのか小声ですらない。
リーリヤの口元が勝手にひくつく。リーリヤは両手で口の端を揉むように抑え込んだ。
生意気な子どもの戯れ言くらい聞き流さなければ。そうだ、これくらいなんてことない。気にすることなんてまったくないのだ。
内心荒れまくりのリーリヤは自分に何度も言い聞かせる。
リーリヤが自身の心と葛藤している間にヘレナは持ってきた木箱の中のジャム瓶が空になったようで立ち上がった。
リーリヤはヘレナが別の木箱を取りに行くのだと思った。作業場にはまだまだたくさんの木箱が積み上がっているし、目の前の棚だって全部が埋まっているわけではない。
しかし、ヘレナは脇に置いてあった自分の鞄を手に取るとリーリヤに告げた。
「居候さんがいるんだから、わたしはもういいですよね」
「は・・・?」
それだけ告げて外に出て行こうとするヘレナ。
リーリヤは理解するのに一呼吸の間が必要だった。それはつまりヘレナは自分の仕事を放棄して、あの大量のジャム瓶を片付けるのをリーリヤにやらせようとしているのだ。
いくらなんでもそれはない。リーリヤはヘレナの腕を慌てて掴んで引き留める。
「ちょっと待ちなさいっ」
ヘレナは嫌そうに振り返る。ヘレナの腕を掴んだリーリヤの手を見てひどく冷たい声を発した。
「放してください」
そう言われて放すわけがない。このままヘレナを行かせるわけにはいかなかった。
リーリヤ達の険悪な雰囲気を察して遠くで見守っていたトビアス達が慌てる気配が伝わってくる。だが、そんなことを気にしている暇はない。
「あんた、私に全部押しつける気?」
なんで手伝いに来てあげたリーリヤがヘレナの仕事を押しつけられなければならないのか。しれっと自然にやらせようとするなんて性格が悪いにもほどがある。
「他人の家に居候しているんだからそれくらいしたらどうですか」
「それを言うなら、この家の子どもなんだからあんたがするべきでしょ」
リーリヤとヘレナは睨み合う。
だいたいリーリヤも我慢の限界だった。リーリヤはあの広大にして峻酷なヴェルナの森を治める偉大な魔女になるべき立場だった。こんな子どもらしさすら抜けない容貌の小娘にいつまでも嘗められるいわれはない。
燻っていた炎が再燃する。今まで積もった不満と鬱憤をもとにふつふつと怒りが燃え上がる。世話になっているステーン家の娘だからと配慮するのはもうやめだ。
「その『居候さん』っていう言い方やめなさいよ」
居候、居候といい加減に鬱陶しい。ヘレナが言う『居候さん』はいかにも嫌味ったらしい。お前はこの家の住人ではなく他人に過ぎないのだと突きつけてくるようだ。
「私にはリーリヤという名前があるの」
「そうですか。穀潰しの、い・そ・う・ろ・う・さ・ん!」
「こんの・・・!」
さすがにただの喧嘩のために魔力を練り上げるのはやり過ぎだとリーリヤも思っていた。
だから自制はしていたのだ。けれども、思わぬヘレナの煽りにむき出しになった感情につられてちろりと魔力が漏れ出した。激情に染まった魔力はどす黒い紅色をしている。
リーリヤは冷や汗を流す。自分の意思とは無関係に魔力が噴き出したことに焦りを覚え、怒りは一気に吹き飛んでしまった。自分自身に驚いてしまって掴んでいたヘレナの腕も放してしまう。
ほんの少しの量であったし、慌てて魔力を引っ込めたのでヘレナも目で捉えられたわけではないはずだ。それでも至近距離にいたヘレナは何か恐ろしいものを感じ取ったみたいに怯えの表情を滲ませた。
このままではまずい。どうにかして挽回しなければ。そう思った矢先だった。
「お邪魔します~」
雑貨屋の出入り口となっている扉から誰かが入ってきた。
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