22.年頃乙女は理不尽とともに③

 睨み合うヘレナとトビアス。


 リーリヤとしてはあの生意気な少女がどこに行こうとどうでもいい。けれど、この場の雰囲気を悪くするのは止めて欲しいところだ。それもすでに手遅れだとは思うが。


「それに家の手伝いだって碌にしないで。今が忙しいのは知っているだろう。学校のない日くらい家のことを手伝ったらどうだ。リーリヤちゃんを見倣いなさい」


 ヘレナは中等教育なるものを受けており、ほとんど昼間は外出している。なんでも基礎的な学問を学ぶ場であることはリーリヤも知っている。


 リーリヤも先日アルマスに初等教育からやり直せと本を渡されたのが記憶に新しい。その本はアルマスの言い方があまりにもむかついたのでその場で叩き返してやった。


 学校というのは毎日ではなく、だいたい7日間のうち5日あるそうだ。今日と明日は土曜日と日曜日で一般的にはお休みの日の認識であり、学校も同様なのだという。


 リーリヤは未だにこの曜日の感覚が乏しくて何曜日と言われても咄嗟に反応するのはまだ難しい。


 この話を聞いたとき、7日間のうち2日間しか休みの日がないのは少なすぎるとリーリヤは思ったものだ。


 街の人達は働き過ぎだ。休みの日と働く日を逆にするべきだとリーリヤは主張したい。


 それにしても、ここでリーリヤを引き合いに出さないで欲しかった。どう考えてもリーリヤにとって良い方向には話が転ばない。声なき叫びは誰にも届かず、無情にもヘレナの視線がリーリヤの方を向く。


 その冷たい視線に唾を飲み込むも、リーリヤは瞳を逸らさなかった。


「そこの居候さんは暇なんですよね?わたしは忙しいんです。一緒にしないでください」


 イラッと来た。


 なんか言ってくるだろうとは思ったがそこを突いてくるのか。

 リーリヤが言い返そうとすると機先を制するようにヘレナは大袈裟に溜め息を吐いた。


「今日はセルマさんと約束しているんです。だからお手伝いもできません。もうこれでいいですか?」


 融通が利かない頑固な父親にしょうがないから譲歩してやる、そんな言い方だった。


 トビアスは口元が引きつっている。しかし、怒るのは耐えたようだ。感情にまかせて怒鳴らなかったのは父親としての矜持だろうか。


 ついでに言うとリーリヤも文句を言う機会を逃してしまった。なんか悔しいので手元の苺を恨めしげに睨み付けてやる。


「わかった。じゃあ、ここにあるお父さんが作ったジャムをお店に並べてくれ。そうしたら今日は終わりでいいから」


「・・・・・・・」


 それでもトビアスは仕事の手伝いを譲らなかった。トビアスの前にはジャム瓶が詰まった木箱が何箱もある。店の棚に並べるだけでも結構な手間がかかりそうだ。


 ヘレナは無視して出て行くかと思いきや意外にも木箱の一つをひっつかんで店の方へと向かっていった。


 もちろんその顔はふくれっ面であったのは言うまでもない。


「ごめんね。あの子も難しい年頃みたいで」


 イレネがリーリヤに謝ってくる。


 ああも無造作に噛み付かれればリーリヤも黙ってはいられない。年下の子どもの癇癪だからと受け流せるほどリーリヤも大人ではなかった。だが、世話になったイレネの申し訳なさそうな顔を見ると心の中で燻っていた炎も鎮火せざるを得ない。


「どうすればいいんだ。あの子が何を考えているのかまるでわからない。若い女の子との接し方は難しいなぁ」


 トビアスもまた泣き言を漏らしている。

 額に手を当て天井を仰ぐトビアスの仕草を見てリーリヤは気付いた。


 イレネがいないときのトビアスがリーリヤに対してやたら及び腰になっていたのもこれが原因だろう。


 要するにトビアスは年頃の女の子の扱いに困っているのだ。リーリヤ然り、ヘレナ然り。特に娘のヘレナについてはより一層手を焼いている様子だった。


 トビアスに対するヘレナの荒れ模様はなかなかのものだ。

 まず挨拶代わりに文句を言う。何でもかんでも突っかかるし、気に入らなければガンガン噛み付く。


 その上、同じ部屋に入れば不愉快そうに顔を歪めてこれ見よがしに席を外す。これでは父親としての威厳も何もあったものではないだろう。


 肩を落としてイレネに慰められている姿をよく目撃する。


 自分にもそんな頃があったのだろうかとリーリヤは思い返してみる。しかし、すぐに無意味だと思い直した。


 母親は幼いリーリヤを師に預けてそれっきりだし、父親にいたっては見たことすらない。師はいてもあの人は家族ではない。甘えさせてもらった記憶だってまるでない。


 優しい両親に囲まれたヘレナとリーリヤでは比較するだけ無駄であった。


「アルマスがいた頃はここまでひどくなかったんだが。何が悪いんだろうな」


 トビアスの嘆きを聞き流しながら、リーリヤは苺のへた取りに戻る。


 可哀想な気はする。それでもヘレナのことでリーリヤができることはない。少なくともリーリヤはそう思っていた。


「・・・そうだ」


 ショリショリと苺を切る音に交ざり、トビアスの呟きが耳に入る。


 振り返ればトビアスがリーリヤを見ていた。

 嫌な予感がする。咄嗟に目を逸らそうとするがもう遅かった。


「なぁ、リーリヤちゃん。悪いが頼まれてくれないか」


「はい?」


 一体何をしろと言うのか。この件でリーリヤが役立てることはないと考えたばかりだというのに。


「ヘレナに話を聞いてみて欲しいんだ。あの子が俺達の、いや、俺の何が気に入らないのか。父親としてどうしても知りたい。本当は俺が直接話し合うべきだというのはわかっている。けれど、今のあの子はきっと俺とは向き合ってくれないだろうから」


「そうね。私達が聞こうとしても意固地になっちゃうものね。けど、リーリヤちゃんが相手なら違うのかも。あの子も年の近いリーリヤちゃんの方が話しやすいと思うし」


 イレネがリーリヤの肩にそっと手を置く。


 トビアスだけでなく、イレネも同調する。二人とも巫山戯ている様子もなく、真剣な眼差しをしている。


「無理にとは言わない。けど、できるのならば頼みたい。我が家でヘレナと喧嘩をしないのはリーリヤちゃんくらいだ。このまま家族の間にわだかまりがあるなんて嫌なんだ」


「お話を聞くだけでもあの子の気持ちが少しは収まるかもしれないから。リーリヤちゃん、お願い」


「えぇ・・・!?」


 二人の正気をリーリヤは疑わざるを得なかった。


 リーリヤはトビアスみたいにヘレナと口喧嘩になることはほとんどない。でもそれは仲が良いからというのとは違う。逆だ。言い合いに発展しないほど仲が深くないからそうなっているだけなのだ。

 

 というかヘレナのリーリヤに対する反応は一貫している。この家で暮らすようになってからずっとヘレナはリーリヤのことを異物として扱っている。


 顔を見ようとしない。視線も合わさない。返事をしないのも当たり前。こうして思い返してみると直接的な嫌がらせを受けていないのが不思議なほどだ。


 以前アルマスに愚痴を漏らしたことがあるが、原因はリーリヤにもわからない。初めて顔を合わせてからずっとヘレナはリーリヤに厳しい態度をとってくる。


 関係の改善をするべくリーリヤなりに努力はした。そのうち態度が変わるだろうというアルマスの言葉を信じて、なるべく声をかけて会話をしようと試みた。


 元来人見知りのリーリヤにしては頑張っていたと思う。それなのにヘレナの返答はせいぜい冷たい目で睨むか、不機嫌そうに鼻を鳴らすことしかない。


 あまりにも徹底しているものだから、リーリヤも意地になって声をかけ続けている。


 そのせいか、ヘレナの態度は露骨になってきており、完全に悪循環に嵌まっていた。もはやリーリヤも仲良くなろうだなんて思っていない。


 リーリヤとヘレナの間で行われているのは静かなる冷戦なのだ。


 第一、今さっきリーリヤに対してヘレナが嫌味を言っていたのを聞いていなかったのか。


 喧嘩や罵り合いみたいに表面化していないだけで、この家でヘレナに最も目の敵にされているのはリーリヤである。当事者であるからこそ断言できた。


 そんなリーリヤがステーン夫妻の代わりにヘレナとのわだかまりを解くなんてどう考えても無理だ。ステーン家の和解どころか家庭崩壊になる結末しか見えない。


 断ろう、そう思ってリーリヤは顔を上げた。


「うっ」


 イレネもトビアスも切実な目でリーリヤを見ていた。


 二人は本気でリーリヤに期待しているのだ。


「ああ、もうっ。・・・わかりました、やってみるだけやりますけど。上手くいかなくても文句言わないでくださいね」


「おおっ!本当かい!?」


「よかったわ。これで安心ね」


「だから期待しないでくださいってば」


 トビアスがジャム瓶が入った木箱を差し出してくる。ヘレナが引っ掴んでいったものと同じだ。これで一緒に作業をしながら会話を試みろということだ。


 リーリヤはやけくそになってトビアスから木箱を受け取った。

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