19.花の乙女③
花を象った衣服や小物を付けている姿は華やかで、確かに『花の乙女』という見た目をしている。
赤毛の少女は派手に降りかかる水飛沫も気にせずに噴水の縁に上がると周囲に手で静かにするよう合図を送る。すると騒ぎ立てていた人達は瞬く間に静まっていく。
これから何が始まるのかと不思議に思うリーリヤを余所に、花の乙女なる少女は手に持っていた木製の綺麗な箱から一枚の布を取り出す。遠目で見づらいがおそらくハンカチだろうか。
彼女は手に持ったハンカチらしき布を器用に折りたたんで両手で包むと噴水に向けて祈るようにしゃがみ込む。
目を瞑り何かを話しているようであったが如何せん距離があるのでそこまでは聞き取れない。
「泉の精よ。どうか清純なる乙女の願いをお聞き届けください」
リーリヤの正面に座っているイレネが唐突に小声で唱えた。
リーリヤが困惑しているとイレネは花の乙女を手で示す。そこでやっと花の乙女が口ずさんでいた言葉を教えてくれたのだと理解する。
その間にも花の乙女は次の動きに移っていた。彼女は立ち上がると、両手で挟み込んでいた布を広げてみせた。
「なっ・・・!」
リーリヤが思わず声を上げたのはあり得ない光景を見たからだった。
その布はなんと光を発していた。リーリヤの鋭敏な感覚が、魔女としての感性がそれを捉える。
あれは魔力だ。
花の乙女が街の人々の前で堂々と魔力を発している。いや、より正確には言うのであれば、花の乙女が魔力を発しているのではない。
彼女の手にある一片の布きれがやんわりと、しかし確かに魔力を帯びているのだ。
淡い青色の光を放つ布を花の乙女がふわりと揺らす。すると布から光が離れるように浮き上がり、宙を舞った。
それはまるで光でできた花だった。
空気を含ませるように布を小さく揺らす度に空中に青く光る花が咲き誇っていく。その数はどんどんと増えていき、噴水の周りをくるりくるりと優雅に回る。
観客と化した住民の誰もが感嘆の息を吐き、見とれている。
やがて花々は渦となり、噴水を、広場を、空よりもなお濃い青色が埋め尽くす。
「来る」
言葉にはできないぞわぞわとした感覚に従い、思わずリーリヤは口に出す。人々が息を飲んで見守る先でそれは現れる。
噴水の水が弾け飛び、膨大な水が花々と共に宙に浮かぶ。
その中心にはリーリヤが予想していた存在がいた。透明な水が人に似た姿を形作る。それを見た人達から、わっと声が上がる。
「妖精・・・!」
リーリヤの呟きは歓声にかき消された。
それは妖精であるはずだった。
もちろん白霞の森にいた妖精達とは似ても似つかない。昨日の妖精もそうだが、森の妖精達はあんなにも人を思わせる姿はしていない。
違いを挙げるのであればそれだけではない。目に見えない感覚としての違和感はやっぱりある。
しかし、魔女であったリーリヤからしても、噴水の上に浮かぶ人型の水の塊は妖精にしか見えなかった。
妖精が姿を現すや花の乙女は布の振り方を変えた。
小刻みに揺り動かす動作から大きく波打たせる動きへと。それはまるで踊っているようだった。
青い光の花々はより速く、より複雑に空を飛び、妖精の周りを巡る。それに応えるがごとく妖精もまた水飛沫を広場に散らす。
花の乙女と妖精による幻想的な光景はほんの一時だけであった。
やがて妖精は大量の水と供に噴水の中へと戻っていった。いつの間にか青い光の花も消えている。
驚くべきことにあれだけ勢いよく水を噴出していた噴水は、今は穏やかに水のベールを作り出している。
一仕事を終えた花の乙女である赤毛の少女は周囲に一礼すると大きな拍手を背に受けながら忙しそうに走り去ってしまった。
「綺麗だったでしょう?今のが花の乙女のお役目なのよ」
イレネが誇らしそうに言う。イレネだけではない、広場を中心に集まっていた人達は皆どこか満足そうな表情をしていた。
「この街にはね、至る所に精霊様がいるの。そこの噴水もそうだし、それ以外にも狭い路地とか、風車の屋根裏とか。本当にいろんなところにね。ただの民家のかまどにだっていたりするわよ。普段は私達人間と上手く折り合いをつけて暮らしているの。この街の人達は精霊様のことを尊重している。そして、逆に精霊様から恩恵も受けている。そうやって共存しているのね。でも、やっぱりたまに不和が起こったりもする。そういうときには花の乙女がああやって精霊様とお話をして問題を収めてくれるのよ」
今回は噴水から出る水の調子が狂わされてしまったので、その原因である妖精をなだめたのだという。
ここの噴水はあの妖精の棲み処となっているため、定期的に花の乙女が対応しているそうだ。
イレネの話の中でリーリヤが気になったことは二つあった。
イレネがあの存在を精霊と呼んでいることはただ単に呼称の違いなのだと察することができる。
リーリヤの前にいた土地とこの街は遠く離れていると聞いたから、同じ妖精のことであっても呼び名くらい変わっていても不思議ではない。
だから、このことはそんなに気にしていない。
リーリヤが気になっている一つ目はそんなにも街中に妖精―――街の人に合わせて言うのであれば精霊だろう―――がいるというならば、なぜリーリヤがまったく気付かなかったのか。
経験上では近くに妖精がいれば直接見なくても気配で察知できるのだ。
さっきの妖精自体は大して力は強くなかった。もしリーリヤが全力で使役しようものならおそらく一回か二回くらいで使い潰してしまう程度。それを踏まえてもその存在を感知することができていなかったことがおかしく感じた。
もう一つは花の乙女のやり方だ。見たまま感じたままを言うならば、花の乙女は妖精と交感しているように思えた。
人間で例えると会話のようなものだ。魔力をわざわざ花の形状へと変化させてちまちまとやりとりをしていた。それがリーリヤにはもどかしく感じた。
魔女ならば対話なんてしない。妖精など強烈な魔力を持ってして支配してしまえばいい。なぜそうしないのかをリーリヤは疑問に思ったのだ。
だがどちらにせよ、そんなことをイレネ相手に言うことはできなかった。
にこにことしてリーリヤの反応を待っているイレネになんと返事をしたものかと悩んでいたリーリヤだが、ふと閃きが舞い降りた。
「イレネさん。花の乙女になるにはどうすればいいんですか?」
「え?」
「私、花の乙女になりたいです」
これこそがリーリヤの思いついた名案だ。
アルマスも人が悪い。こんなにもリーリヤに適した仕事があるのに紹介してくれないなんて。
花の乙女というのが妖精を相手に問題を解決する仕事なら、魔女だってやっていることは似たようなものだ。
妖精に命令して言うことを聞かせるなんて魔女の修練で散々やってきた。さっきの赤毛の少女よりも妖精を遙かに上手く扱えると自信を持って言える。
なぜ魔女は世間の嫌われ者なのに、同じようなことをしている花の乙女があんなにも人々から支持されているのかは疑問が残る。
けれど、要は魔女ということを黙ったまま花の乙女と名乗ればいいだけの話だ。
「う~ん。念のため確認させてね?リーリヤちゃんって幾つだったかしら?」
はて、なぜイレネはそんなことを聞くのだろう。そう思ったが隠すことでもないので素直に答えることにした。
リーリヤは思い出すように指で歳を数える。年齢なんてほとんど気にしてこなかったから、改めて問われると咄嗟には出てこなかった。
「18、です」
誕生日が来れば19歳になるので、今は18歳で間違いない。リーリヤは真冬の生まれなのでまだまだ先のことだ。
「・・・そう。それじゃ、ちょっと、ね」
イレネの顔が申し訳なさそうに曇る。
言いづらそうに口ごもってからイレネは眉を下げながら続けた。
「花の乙女になるにはね、15歳までに花の乙女のお師匠様に弟子入りしなきゃダメなの」
リーリヤの浅はかな思いつきは早くも瓦解した。
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