20.年頃乙女は理不尽とともに①

「ふんっ」


 がん、と鋭利な鉄の刃が分厚いオーク材の木面を打ち付ける。

 叩き付けられた勢いにあわせて赤い雫が飛び散り、リーリヤの身体の前面を汚す。


 リーリヤは不機嫌そうに鼻を鳴らした。そして、刻み損ねた標的を見据えて冷たい光を帯びる重たい刃をもう一度振り上げる。


「ぬんっ」


 転がって逃げる獲物を狙って打ち付けられた刃はまたも外れた。虚しくも木の板だけを傷つけた刃物を恨めしげに睨み付ける。


 リーリヤはいらつきを露わにして髪をかき上げた。


 思い通りにいかない状況に対し、言葉にできない暗い感情が胸に渦巻く。そこにどこかの誰かへの私情は交ざっていない。交ざっていないといったら交ざっていないのだ。込み上げる感情を込めに込めてリーリヤは刃の柄を握り直す。


「あ、あの~。リ、リーリヤちゃん?」


 誰かに声をかけられた気がしたが、リーリヤは構わず作業台に向けて刃物を叩き付ける。獲物どころか作業台さえも両断する気概だった。


「ふんぬっ」


「おぅわっ!?」


 一際大きな打撃音とともに背後で上がる野太い悲鳴を余所に、リーリヤが振り下ろした包丁をすり抜けて、赤く熟れた苺がころりと転がる。


 へたを切るべく狙った苺はリーリヤを嘲笑うように作業台に静かに佇んでいる。


「もうっ。なんなのこの生意気な苺は!」


 リーリヤは怒りに震える。

 当然のことながら苺が勝手に動き回るはずがなく、狙いを外しているのはリーリヤの問題だ。


 諦めずに苺に狙いを定めて両手で包丁を構えるリーリヤに背後で別の作業をしていたトビアスが慌てて止めに入った。


「ちょ、ちょっと待って!いったん待ってくれ!頼むから!」


「へ?」


 きょとんと振り返ったリーリヤを見て、トビアスは疲れ切った顔で脱力した。


「あ、あー。頑張ってやってくれているのはよくわかっている。その上でもう少しだけ、そう、もう少しだけでいいから丁寧にお願いできるかい?ほら、やっぱり刃物は危ないから。できれば片手で苺を押さえて優しく切って欲しい。両手で握って振り下ろすのだけはやめてほしいな、おじさん」


「あっ、・・・はい」


 トビアスの説教というには押しの弱いお願いを聞いてリーリヤは冷静さを取り戻す。


 作業台の周りを見渡せば苺の残骸らしき欠片が散らかっている。果汁も床に滴っており、まるで苺が破裂した後のようだ。この惨状にはさすがにリーリヤも反省せざるを得なかった。


 最初はリーリヤも教わったとおりにやっていたのだ。しかし、そのうち包丁を握っていた右手が疲れてくると、包丁が途端に重く感じてしまい、最終的に両手で持つという判断に至った。


 良い案を思いついたと調子に乗っていざ切ろうとしたところで、ころころと台の上を転がる苺相手に熱くなった結果がこれである。


「いやいや。わかってくれればいいんだ。うん」


 トビアスは安堵の息を吐いてから自分の作業に戻っていった。

 苺の悲惨な状態についてはお咎めなしだった。どうせ後で形がなくなるまで煮詰めるから問題ないとのことだ。


 リーリヤはトビアスの忠告を心に留めて、作業台と向かい合う。

 作業台の端にまで転がっていった苺に手を伸ばそうとして途中で止まる。籠いっぱいになった苺の山から遠く離れた苺の姿がリーリヤの姿と重なったからだ。


 先ほどリーリヤに声をかけてきたトビアスは明らかに及び腰となっていたし、話す言葉もかなり選んでいる様子だった。


 ステーン夫妻はリーリヤにとても優しくしてくれている。けれども、何かと気にかけてくれるイレネと比べるとトビアスはリーリヤに対して触れがたい物を扱うような慎重すぎる気遣いを感じる。


 今だってそうだった。そういう扱いを受ける度に、やっぱりリーリヤはこの家に上手く馴染むことができていないのではないかと気落ちしてしまう。


 リーリヤは沈み込む気分を振り払うようにして頭を振った。後頭部で一つにまとめた髪がぱさぱさと頬を叩く。


 気合いを入れ直すように息を吐き、リーリヤは伸ばしかけていた手で転がっていた苺を掴む。折角イレネから頼まれた手伝いだ、期待にはなるべく応えたい。


 今日のリーリヤは早朝からステーン家一階の作業場で苺ジャムの作成を手伝っている。


 イレネと買い物をした日から何日も経つが、実はリーリヤはまだ新しい仕事が決まっていない。


 そんな暇を持て余したリーリヤを見て、イレネがトビアスに相談してくれたのだ。そうして裏方としてではあるものの、イレネやトビアスに声をかけられたときだけお手伝いをしている。


 6月に入って春の季節も終わり、初夏が訪れたフルクートの街ではこれでもかというほど大量の苺が市場に並んでいる。


 そのまま甘酸っぱい実に齧り付いて味わうのももちろん良いのだが、いくらなんでも食べ尽くせる量でもないので、保存のきくジャムにするのが一般的だそうだ。


 ステーン家が家族経営している雑貨屋でも季節ごとに作られるジャムは人気の主力商品だと聞く。


 そういうわけで先日市場から大量に買い付けた苺をジャムにすべく、人手不足のステーン家のためにリーリヤもかり出されている。


「あらあら、まあまあ」


 苺のへたをナイフで切り落としては赤い実を大きな鍋の中に放り込むことを繰り返していると、のんびりとした、けれども聞いているとなんだか落ち着く声が聞こえてリーリヤは顔を上げる。


 ちょうど二階の台所で苺を煮詰めていたイレネが降りてきたところだった。


「頑張ってるわね。リーリヤちゃん、苺、どう?」


「は、はい。今これくらいです」


 リーリヤは切り終わっている苺が入った鍋をイレネに渡す。だいたい鍋の半分くらいは埋まっていると思う。


「うん。もう一踏ん張りね。上は一段落したから私もこっち手伝うわね」


 そういうとイレネはリーリヤの正面で苺を切る作業に加わる。


 おっとりとした雰囲気に反してイレネの手元は素早い。リーリヤが1個切る間に5個は鍋に放り込んでいる。


 自分の手際が悪いのか、それともイレネが凄いのか、困惑するが暢気に呆然としている暇はない。リーリヤもとにかく手元の苺に向き合うしかない。


「それにしてもその服似合っているわ」


「へ?」


 手を真っ赤な果汁だらけにしながら一心不乱に苺のへたを切っていたリーリヤは突然の褒め言葉を受けて顔を上げた。


 ほのぼのとした口調をしているがその間もイレネは手を休めることはしていない。


 リーリヤはイレネと違って作業しながら返事をするなんて器用なことができないので手は止まっている。


「そう、ですか?」


 リーリヤは汚れを防ぐための前掛けをずらして、下に着込んだ衣服をイレネに見せる。


 イレネに褒められた服は先日古着屋で購入してきた一着だ。暗めの緑系で所謂草色と呼ばれる色味をした長いスカートの裾には白いレースが縁取られ、身体の動きに合わせてふわりと揺れる。


 スカートと同じ色合いのストライプ柄のベストとゆったりとした白いブラウスを組み合わせればまるで清楚な花のようだと鏡を見た自分自身に思ってしまったのはリーリヤの内緒だ。


 因みにベストは服の調整をしているときにイレネがどこからか持ってきた物で、首元のリボンのブローチと腰の大きなリボンが今風のアレンジだという。


 素直に褒められるとこそばゆく、リーリヤは身を捩らせた。

 街に来る前はゆったりとした黒いワンピースばかり着ていたし、見せる相手もいなかったので特にこだわりもなかった。


 しかし、こうして似合っていると言われると悪い気はしない。服装にもっと気を配ってもいいかもしれないという気持ちくらいは湧いてくる。


 というか今更ながら前掛けをしていてよかったと思う。これがなければせっかくの洋服が苺の汁塗れになるところであった。


「とっても可愛らしいわ。リーリヤちゃんは線が細いからしっかりめのベストが似合うと思ったの。どこから見ても立派な王国淑女よ。元々良いお家の育ちだって聞いたからこっちの方がリーリヤちゃんも落ち着くかなって」


「あ、やっぱりそういう・・・」


 街中で見た女性達よりもなんだか形式張った服装だなとは思っていたのだ。


 なんというか、しっかり見たことがないのであくまで想像の中でしかないのだが貴族とかお嬢様とかそんな感じなのだ。


 一応は田舎の箱入りお嬢様という謎の設定をされてしまっているので、イレネの中では違和感がないのかもしれない。リーリヤとしては違和感しかないのだが。


 正直、マナーや礼節なんてお嬢様らしいことは何もわからないので、こんな格好をしていると勘違いが加速していく気がしてリーリヤとしてはちょっと怖くもある。


 アルマスはそこまで考えてこんなアホな設定にしたのだろうか。いや、きっとそんなに深く考えていない気がする。アルマス・ポルクは思いつきでリーリヤを振り回す軽薄男なのだ。ほんと馬鹿じゃないかと思う。いろんな意味で。


「アルマス君に見せられないのが残念ね」


「うっ・・・!」


 イレネの見透かすような視線にリーリヤは呻く。

 ちょうどアルマスのことが頭に浮かんでいたので咄嗟に否定できなかった。


 このやりとりも初めてではない。イレネはことあるごとに服装のことを揶揄ってくる。何回言われようとリーリヤの返す言葉は同じだ。


「だから見せるつもりなんてないですって」


「本当に?」


「本当です。絶対に」


 そうだ。別に見せてやろうなどとは思っていない。

 あんな軽薄な上に薄情な奴、リーリヤの知ったことではない。


「そう?なら私の勘違いだったのかしら。だからここ最近機嫌が悪いのかなと思ってたのだけど」


「んぐっ・・・!」


 イレネは楚々として笑っている。

 近頃、リーリヤはイレネの手の平の上で転がされているように思えてならない。


 思い当たることがあってリーリヤは目を逸らしてしまった。

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