14.孤独な魔女は寂しさを知る①

 リーリヤは冷たい石畳の上に座り込む。


 自分の馬鹿さ加減が本当に嫌になる。

 見上げれば空は既に暗く染まっている。夕方を知らせる鐘はとっくに鳴ってしまった後だ。


 真っ黒な影に覆われた路地には人の気配はなく、怖いほどの静けさを湛えていた。


 道ばたにぽつんと1本だけ立っている街灯はリーリヤの頭上で頼りなく周囲を照らしている。


 壊れかけなのか、街灯に取り付けられた結晶は羽虫の羽ばたきのような低くて不快な音と共に点滅を繰り返していた。


「何してるんだろう、私」


 街灯の真下でリーリヤは黄昏れる。

 リーリヤの胸に去来するのは否定しがたい自己嫌悪だ。


 折角、アルマスが気を遣ってくれていたのに。


 そう心の中で呟いてリーリヤは膝を抱えて顔を埋める。

 アルマスがリーリヤを市場に誘ったのがリーリヤの気分転換のためだということくらいわかっている。昨日、今日と失敗が続いたことはリーリヤの気分を落ち込ませるには十分だった。


 昨日は散々だった。今まで『働く』なんてしたことがないリーリヤにとっては初めての仕事で、ついでに言うなら喫茶店という種類のお店があることだって昨日初めて知った。


 接客、調理、会計、掃除。


 どれをとっても初めての経験だった。それを差し引いてもひどかったのは言うまでもない。机に躓いて転ぶし、飲み物は床にぶちまけるし、客だって両手で数えられないくらい怒らせた。挙げ句の果てにはお金の計算を間違えて一悶着さえ起きた。


 今日だって昨日ほどではないにせよ、上手くいったなんて到底言えない。


 小さな子どもに本を読み聞かせるだけと聞いて、今度こそ簡単にできると思った自分はなんだったのだろう。


 まず、泣かれた。

 それはもうギャン泣きされた。

 本なんて読ませる以前の問題で、リーリヤは最初のうちはあからさまに子ども達から距離を置かれた。なぜなのか理由はさっぱりわからないけれど、子ども達はとにかくリーリヤを避けていた。


 そのせいで大人達が子ども相手に忙しくしている端っこの方でリーリヤはぽつんと一人でのけ者になっていた。


 明らかにリーリヤよりも何歳か年下に見える少女が気を利かせてリーリヤのもとへと小さな女の子達を連れてきてくれてからも思うとおりにはいかなかった。


 後からアルマスに聞いたところによるとリーリヤの知っている言葉とこの街で使われている共用語なる言語はまったくの別物らしい。


 結局、リーリヤは本を読み聞かせるのではなく、10歳以上も離れている小さな女の子達に逆に文字の読み方を教えてもらう始末だった。


 もっと出来ると思っていた。


 別に根拠があったわけではないが、自分なら上手くやれるとそう思い込んでいた。


 偉大なる魔女の系譜に連なる者として、村や街で暮らす普通の人達とは違う特別な存在であろうとしてきた。


 だからこそ、なんの特別な力もないただの一般人にすら出来ることなら自分に出来ないはずがないとリーリヤは考えていたのだ。


 現実は違った。

 リーリヤが魔女として十数年も修行してきたことはまるで役に立たなかった。


 でも、仕方がないではないか。やったことがなかったのだから。出来ないのは当たり前なのだ。


 そんな鬱屈とした思いを抱えていたことをきっとアルマスは察していたのだろう。


 市場を散策することはリーリヤにとっても良い気晴らしになった。懐かしい思い出と重なるようで、違う街の違う市場での出来事なのに驚くほど自然体でいられた。


 せっかく、楽しかったのに。


「ほんと、何してるんだろう」


 アルマスから逃げ出したリーリヤはとにかく走った。こんなに走ったのはいつぶりだろうかというほど。みっともなく息を荒げて足を動かした。


 けれども走るのはそんなに長く続かない。リーリヤは情けないことに自分でも自覚するくらいに体力がなかった。


 疲れた脚を引きずってふらふらと彷徨っていたリーリヤは、広場だか大通りだかの見知らぬ場所にいた。多分、その頃には最初の広場から結構離れていたと思う。


 しかも、夕方が近づいてきたせいか時間が経つにつれてリーリヤの周りにはどんどん人が増えてくる。仕事帰りと思われる人々が道いっぱいに押し寄せてきて、無意識に人混みを嫌ったリーリヤは人気のない方向を選んで進んでいたらしい。


 その結果、街灯すら疎らな暗い路地で一人惨めに縮こまっている。もちろん、ここがどこかなんてリーリヤにはわからない。


「どーしよ。もう」


 お腹も減ったし、夜風も身にしみるほど寒い。こんなに遅くなるまで出歩く予定ではなかったからリーリヤは上着を着ていない。


 昼間はあんなに暖かったのに、と思うも建物の影で蹲ってせめてもの風を凌ぐしかなかった。


 もう少し揚げパンを食べていれば良かった。ひもじさに後悔しても今のリーリヤには食べ物を得る手段がない。


 屋台や店の場所がどこかという問題もそうだが、なによりリーリヤはお金を所持していない。硬貨の計算もできないのに持っていても仕方ないとアルマスに言われたからだ。


 そう、アルマスだ。


 そもそもの原因は彼なのだ。


「私のために色々としてくれているのはわかってるんだけど」


 でも、リボンだけはダメだ。あんなに気軽に触れて欲しくなかった。


 リーリヤは心の奥に仕舞っていた大切なものをぞんざいに荒らされてしまった気がしてつい拒絶してしまった。


 アルマスは何も思わなかったのか。だって、あれは―――。


 いや、そういえばアルマスはリーリヤと幼い頃に交わした約束すら覚えていなかった薄情者だ。


 リーリヤのリボンに対する思い入れなんて気付くどころか、興味すらないのだろう。


 それがまたリーリヤには虚しかった。自分との思い出はそんなに簡単に忘れてしまうようなどうでもいいものだったのかと。


「寒いし、暗いわね」


 寒さと暗さ。


 森にいた頃は気にならなかったものが今はとても辛く感じる。森の闇はもっと濃く、冬の嵐は極寒であったのに、どういうわけか今の方が身にこたえる。


 それはきっと暖かい光を知ってしまったからだ。


 喫茶店や図書館にいた人達。それだけではない。道行く人々やステーン家もだ。明るい世界で親しげに語り合い、互いに認め合い、何気なく笑い合う。家族や友人に囲まれてなんでもない毎日を過ごしている。


 それにリーリヤは羨望を感じた。


 なによりそれは自分にはないものだった。家族も友人も自分の居場所もリーリヤにはない。ステーン家の人達は優しいけれど、どこまでいってもリーリヤは他人でしかなく、余所余所しさは消えてくれない。


 この二日間だけでもリーリヤはどうしようもなく理解させられた。


 ああ、私は―――


「一人ぼっち、なのね」


 当たり前のことを再確認した。


 霧の深い森の奥でひっそり暮らそうと、こうして街の中で暮らそうと何も変わらない。リーリヤは孤独なままだ。


 アルマスだって急に怒鳴って逃げ出したリーリヤのことなんてきっと追いかけてなんかくれない。


 じわりと浮かぶ涙を拭ったところでリーリヤはその気配に気付く。


 それは魔女であったリーリヤだからこそ、いつも身近に感じていたもの。


 顔を上げたリーリヤの見つめる先にそれはいた。

 

 妖精、だと思う。

 断定しなかったのは、リーリヤの慣れしたんだ感覚とは少しずれている気がしたからだ。その小さな違和感も妖精の姿を視界に捉えたことで薄れていく。


 まさか街に妖精がいるとは思わなかった。思い返してみればアルマスも街には存在しないとは言ってはいなかった。


 影から這い出るように現れたのは人型の小さな妖精だ。


 輪郭だけならばドレスを着た女性の人形のようにも見えなくないが、その身体は濃い緑色の液体でできている。


 妖精が小さな足を動かす度に全身がぷるぷると震える。白霞の森の妖精とは比べるべくもない貧弱な妖精だ。


 どういうわけか妖精は覚束ない足取りでリーリヤに向かってくる。

 妖精から漂う悪臭にリーリヤは眉を潜めるがあえて追い払うことまではしなかった。


「なーに。あんたも一人ぼっちなの?」


 手を伸ばせばなんとか届く距離で歩みを止めた妖精にリーリヤが話しかける。当然、妖精が言葉を返すはずもない。


 しばらくの間、妖精はまるでリーリヤの寂しさを慰めるようにその場に留まった。


 ちなみにリーリヤは妖精に魔女の力で干渉はしていない。この妖精がリーリヤのもとまで近づいてきたのも、リーリヤの目の前で動かないのも妖精自身の判断による行動だ。


 藻の浮く汚れた湖を思わせるどぎつい色と臭いをしているが、不思議といないよりましだと感じた。むしろ人から嫌われる容貌を持つ点がリーリヤに親近感をもたらしていた。


「あっ。ちょっと待って」


 妖精は唐突に動きを再開するとリーリヤを素通りしてしまう。


 ぼてぼてと歩く妖精にリーリヤは慌てて立ち上がって後を追う。


 もしかしたらどこかに連れて行ってくれるのかと期待するリーリヤだがあいにく相手は妖精だ。人間の感情の機微など理解できるはずもない。


 妖精の目的地はすぐ近くだった。街灯のすぐ側にあった地面に嵌まる円形の金属の蓋の上に乗ると唐突に人型の身体を崩してどろどろの粘液へと変化し、金属の蓋に空いていた小さな穴に吸い込まれるようにいなくなった。


 リーリヤは物言わぬ金属の蓋を前に力なく座り込む。


「もう。おいてかないでよ」


 また一人ぼっちに戻ったことに落ち込むリーリヤの頭上から突然影が射す。

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