13.むかしむかしのえいゆうたん③
まずは小腹を満たすための定番から。 どこの街でも売っているこの国の名物は、発酵させた小麦の生地を丸めて油で揚げてから砂糖をまぶしたもの。
揚げパンの一種でふわふわもちもちで甘くて美味しい。市場を歩くときの必需品だ。
「わっ。おいしい」
屋台で買った揚げたてに早速かぶり付いたリーリヤが目を丸くする。
素朴な甘さと柔らかい触感にあっという間に一つ食べてしまった。
「おかわりはいかがかな?」
「・・・いる」
アルマスがにやりと笑いながら同じ物をもう1つ差し出すと、リーリヤはしばしの葛藤の末に受け取った。
あれだけ乗り気じゃなかったのに夢中で食べてしまったことに抵抗感があったようだ。しかしそれも甘い誘惑の前では長く保たなかったらしい。
アルマスとリーリヤは揚げパン片手にふらふらと店を冷やかしていく。
適当に立ち寄った野菜の店では言わずとしれたジャガイモがごろごろと転がっており、その横に瑞々しい葉物が並ぶ。
「今の旬はキャベツとか、フェンネルとかだね。特にこの時期のキャベツは柔らかさと甘みがあっていいよ」
「へー。あんまり見たことないわね」
「マジで?キャベツを見たことがない?君が今までどんな物を食べてたか、ホントに想像がつかないんだけど」
「別に、普通のよ。森に生えてた草とかキノコとか。ここにはないみたいだけど」
「草って、君・・・」
次に訪れたのは魚屋だ。魚特有の匂いが鼻を突く。クーケルゥ湖で水揚げされたばかりの新鮮な魚は種類も豊富だ。
「近くに湖があるよね。ここの魚はほとんどそこから捕れたやつ。興味があれば今度お勧めのお店を紹介するよ。魚料理に異様に詳しい奴がいてさ。いや、あれは魚に興味があるというより別の物にご執心なんだけど」
ふーん、と生返事をしていたリーリヤが小山になっている小魚を指差した。
「あっ、これ見たことある。昨日の夕食にあったわね。揚げたものに白いクリームがかかってた」
「この街の代表的な家庭料理だね。それと、あと一、ニか月もすればザリガニの時期が来る。市場いっぱいに赤いザリガニが並ぶんだ。あの光景は結構な迫力があるね」
「ざりがに?」
「ああ。そのままだと泥臭いけど、きちんと泥抜きして塩ゆですれば濃厚で美味しいんだ。待ち遠しいよ」
その後は弾き語りをしている吟遊詩人のもとへ訪れた。さっきよりも人だかりが増えている。どうやら評判の吟遊詩人が気紛れに広場に顔を出してきたらしい。
当然ながら椅子や席なんてないので、アルマスとリーリヤは端っこの方で花壇の縁に腰掛けて耳を澄ませて聞いていた。
「綺麗な声ね」
リーリヤが感心したように言う。
遠目にも美しい金髪の吟遊詩人は臨場感に溢れた声色で周囲を魅了している。今は込み上げる悲しみと愛情に染まった曲を見事に演奏していた。
「悲運で別れる恋人の歌だ。どうしようもない運命に逆らいながらも、結局は別離を受け入れざるを得なかった若い男女の悲劇の話。こうして聞くと思わされるものがあるよね」
「私にはわからない。わからないけど、なんだかすごく悲しい気分になるわね」
そのまま2、3曲ほど聞いたところで今日の演奏は終いになった。
アルマスとリーリヤは周りの人と同様に緩く拍手を送る。
そして、アルマスは奏者の前に置かれた帽子に銀貨を入れた。楽しませてくれたせめてもの謝礼だ。他の人達も少なからず銅貨や大銅貨を投げ入れている。
波打つ金髪を背に流した吟遊詩人のお姉さんがアルマスにウィンクをしてくる。多分、銀貨を入れたからだろう。
アルマスはこういうときには少しだけ奮発するように意識している。後々、回り回って役に立つときがあるからだ。
「さて。今度は小物を見に行こうか」
古着や革のポーチなどの小物を扱っている区画に向かう。
首飾りや腕輪などの装飾品は店ごとで些細ながらも意匠に違いがある。ちょっと見るだけですぐ別の店を覗くことを繰り返していたが、これだけ店の数が多ければ案外飽きはこないものだった。
リーリヤは饒舌ではなかったが、彼女との気の置けない会話はどこか懐かしさを感じて楽しかった。
リーリヤの横顔を覗いてみると、ほんのりと口元が緩んでいるのがわかる。彼女も相応に楽しんでいるのであれば、市場に誘ったのも悪くない選択であった。
ふとアルマスは思う。前にもこんなことがあった気がする。少し悩んでから思い出す。あれは幼い頃にリーリヤと過ごした思い出の一幕だ。
「覚えているかい?昔もこうやって二人で市場を回ったよね」
「そうね。私が誘ったのよね」
「そんな可愛いもんじゃなかったけどね。君があまりにもごねるもんだから俺が折れたんだよ。ちょうど祭りが終わった直後で、お店もあんまりなくてさ。それでもなんだかんだで楽しんでいたよ」
思い浮かぶのは子ども時代の小さな冒険。アルマスとリーリヤは二人揃って屋敷を抜け出し、初めてお付きもなしに子どもだけで街を散策したのだ。
フルクートの街ではない、アルマスの生まれ故郷での話だ。
「あの頃はなんでも新鮮に感じたわ。全部が知らない世界だった」
「今だってそう変わらないだろ?」
「ふふっ。そうかも。・・・でも、子どものときと比べて見える物が変わった気がする。あの頃は純粋だった。今よりもっとずっと―――」
遠い目をするリーリヤの視線がある一点で止まる。
それはなんてことのない一つの装飾品の露店だ。興味のある物でも見つけたのだろうか。いろいろ市場は見て回っているけれども、まだ彼女にはご褒美の贈り物をしていなかった。
そういえばあのときにもアルマスはリーリヤに贈り物をしていた。あれは確か何だっただろうか。
思い出せそうで思い出せない記憶をもどかしく思いつつ、アルマスはリーリヤに声をかける。
「どうしたんだい?何か気になる物でもあった?」
「・・・っ。いえ、何でもないわ。向こうに行きましょ」
「いやいや、そう急がなくてもいいよ。まだ夕刻までには時間があるしね。ほら、寄っていこう」
「あっ。ちょっとっ」
リーリヤの制止を遠慮と受け取ったアルマスは彼女が止めるのを聞かずにその露店を物色する。
そこには布や糸を編んで作られた腕輪や髪飾りなどの装飾品があった。大人の女性が身に付けるよりも女の子が好みそうな簡素ながらも可愛らしさを押し出した意匠だ。布製というだけあり、子どもでも容易に手に入りそうな値段でもある。
「あれ?」
アルマスの意識が向いたのは髪留め用の色とりどりのリボンだ。
「リボン、か」
アルマスの呟きにリーリヤがびくりと震える。
アルマスは明るい黄緑色のリボンを手に取る。実物を見たことで古い記憶を掘り出すことができた。
昔、アルマスがリーリヤに贈ったのはこれと同じ緑色のリボンだった。ただし似てはいるが色はもっと暗いものだった気がする。
「なあ、確か昔に―――」
懐かしい思い出話を続けるつもりでアルマスがリーリヤに声をかけたときだった。
「知らないっ!」
リーリヤが急に大声で叫ぶ。
その顔にはなぜか悲壮さが浮かんでいた。リーリヤの突然の変化にアルマスの理解が追いつかない。
今の今まで彼女はアルマスと穏やかに買い物を楽しんでいたはずなのに。
呆気にとられるアルマスを見て、リーリヤは自身の過ちに気付いたかのように表情を歪めた。そして、アルマスに事情を問われる前にリーリヤは走り出してしまう。
「あっ、おい、君!」
アルマスの呼び止める声がリーリヤの足を止めることはなかった。彼女はあっという間に人混みの中に紛れてしまった。
「あちゃあ。なんかまずったのか、俺」
残されたアルマスは困ったように頭をかく。
ただ一つわかっているのは、リーリヤの瞳には涙が浮かんでいたということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます