15.孤独な魔女は寂しさを知る②

「っ・・・!」


 驚いたリーリヤが急いで振り返れば、すぐ近くに二人組の若い男達がいた。男達の注目はリーリヤへと向けられている。


 妖精に夢中で接近にまったく気付かなかった。


 まずいとリーリヤは焦る。リーリヤが妖精に話しかけていた姿を見られたかもしれない。


 もしそうならばリーリヤが魔女の関係者であることがばれてしまった可能性がある。


『魔女に関わるすべてを君は公言してはならない』


 アルマスとの約束がリーリヤの頭をよぎる。


 心臓がどくどくと脈打ち、嫌な汗が止まらない。約束を破ってしまったかもしれないことに涙が溢れそうになるが歯を食いしばって耐える。


「ど・・・たん・・かっ。た・・・うが・・いん・・か?」


 男達がリーリヤに何かを話しかけてくるが、まったく耳に入ってこない。


 焦燥にかられるリーリヤの瞳が捉えたのは男達が持つ長い木の棒だった。おそらくあれは武器だ。


 また何事かを口にしながら男達が一歩リーリヤに近づこうとする。その様子が白霞の森で武器を突きつけてきた村人達の姿と同じに見えた。


 瞬間、リーリヤの中に渦巻いていた負の感情が密度を増す。

 焦り、怒り、悲しみの想いが膨れあがり、心の枷が弾け飛ぶ。魔女の力を隠さなきゃいけないというリーリヤの理性とは別に反射的に魔力を練り上げる。身を守ろうとする本能がリーリヤに力の行使を強制する。


 リーリヤの纏う雰囲気が一変し、異様な迫力に男達が動きを止める。


 妖精と違って相手が人間だと感情に染まった魔力を当てるだけでは脅しにしかならない。


 真価を発揮するには魔力でもって妖精を使役する必要がある。妖精がいない街中では魔女の術があろうとも意味を為さないとほんの少し前までそう思っていた。


 けれど、この街にも妖精はいた。ならば、悪漢を撃退するくらいわけもないのだ。リーリヤは魔女の歌を紡ぐために大きく息を吸う。


 あまりの威圧感に男達が思わず木の棒を構えようとしたときだった。


「何を、してるんだ」


 心の底から震え上がってしまう、そんな声だった。


 ひぅ、とリーリヤは吸った息が漏れて変な声が出た。


 いつ現れたのか、男達の背後にはアルマスが立っていた。いつもの軽薄な笑みはなく、紫色の瞳には隠しきれない激情が宿っている。


 おかしいとリーリヤは思った。アルマスの瞳の色は灰色だったはず。


 しかし、アルマスの厳しい視線がリーリヤに向いたことでその疑問も消し飛んだ。同時に今にも爆発しそうだった魔力が一気にしぼんでいく。


「もう一度聞くよ。ここでいったい何をしているんだ」


 リーリヤは俯く。


 アルマスの怒った声を初めて聞いた気がした。昔の記憶を遡れば、アルマスが怒る姿はそう珍しくなかった。幼い頃のアルマスは常にカリカリしていて、不機嫌なことの方が多かったからだ。


 それでも、ここまで激怒するアルマスをリーリヤは知らない。


 男達も背後にアルマスがいたことに驚いている様子だった。大袈裟なほど身体を仰け反らせて、一人は振り返りざまに足がもつれて尻餅をついている。

 もう一人も狼狽した様子のまま腰の引けた構えでアルマスに持っていた棒を突きつけている。


「だ、だだだ誰だっ!?さ、さてはお前が例の!?・・・って、あ、あれ?ひょっとして・・・?」


 突き出された棒を意にも介さずにアルマスが街灯の下まで踏み込んできたところで男達の態度が急に変わる。


 怯えを滲ませた敵意を引っ込めて、拍子抜けしたような間抜けな顔をしている。


「アルマス先生、ですか?」


「うん?君たちは・・・?」


 先生と呼ばれたことでアルマスの氷のように冷たい表情に罅が入る。眉を上げて、顎に手を当てて男達の姿格好を見定めている。


「見覚えがあるな。そうだ。自警団にいたよね」


「そうです!そうです!覚えていてくださったんですね!」


 若い男達はアルマスに覚えてもらっていたことがよほど嬉しかったらしい。二人揃ってきらきらとした瞳でアルマスを見ている。まるで憧れの人にあった子どものようだ。


「ふーん、なるほどね。それはそれとして、彼女になにか用があったのかな?俺の連れなんだけどさ」


 そう言ってアルマスが石畳にへたり込んだままのリーリヤを見る。


 その瞳はもういつもの灰色に戻っていて、火傷するような煮えたぎる感情はもうないようだった。そのことにリーリヤは密かに安堵する。


 アルマスの視線につられて男達もリーリヤを再度振り返った。そして、今思い出したというような顔をする。


「そうでした。ついびっくりして忘れてました。見回りの最中に具合悪そうに蹲っているのを見かけたので声をかけようとしたんですけど・・・」


「先生のお連れの方だったんですね。ひょっとすると余計なことしちゃいましたかね、僕ら。どうやら怖がらせちゃったみたいですし」


「いやいや、ありがとう。困っている人を助けるのは良いことだよ。でも、大丈夫。彼女、人の多さにちょっと疲れちゃったみたいでさ。こうして静かな場所で少し休んでいたところなんだ」


 アルマスはペラペラと嘘を並べ立てる。


 この場を適当に切り抜けるためとはいえ、よくもこうでまかせを言えるものだ。それもリーリヤと違って実に落ち着いた対応だ。


 そのことに頼りがいを感じてしまうのがなんだか負けたようで悔しかった。


 しかし、そのおかげでリーリヤが気になっていたことを聞くことが出来た。どうやら若い男達はリーリヤが妖精に話しかけていたところを見ていなかったようだ。


 人形のような大きさの妖精は小さかったこともあり、角度的にリーリヤの身体に隠れていたのだろう。


 それはつまり、一連の行動はリーリヤの早とちりだったというわけだ。

 魔女の関係者であることはばれていないし、この男達はリーリヤに敵意があったわけでもない。魔女の歌を使わなくて本当によかったと思う。


 安心した途端に寒さを思い出す。

 春も終わりかけとはいえ、夜になればめっきり冷え込む。


 ぶるりと身体を震わしたリーリヤの肩に何かがかけられる。見上げれば側にまで来ていたアルマスが男達と話しながらリーリヤに上着をかけたのだ。


 さすがのアルマスも夜中に出歩くことは想定していなかったらしく、上着は生地の薄いものだった。

 少し物足りない気がしたのに、上着に残っていた温もりがリーリヤの緊張を解いていく。


「へぇ。それでこんなところを見回りしていたのか」


「そうなんですよ。特にこの辺で不審な人影を見たという話を良く聞きまして。今のところ何をされたとか、被害が出ているわけではないので青年団の方で軽く見回りをするだけにしておこうとなったんです」


「いやぁ。それにしても、さっき先生がいらっしゃったときには驚きました。噂の不審者が出たのかと勘違いして危うく悲鳴を上げそうになっちゃいましたよ」


 軽く談笑しているアルマスはリーリヤに上着を貸したせいもあり、薄着でひどく寒そうだ。リーリヤが一人申し訳なさを感じていると話はいつの間にか終わったようであった。


「お仕事お疲れ様。頑張ってね」


「はい!先生もお時間あるときに支部までいらっしゃってください。是非歓迎させていただきますから」


 アルマスが頷くと青年達は嬉しそうに暗い路地に戻って行った。


 自警団とやらがいなくなり、リーリヤとアルマスの二人だけが残る。アルマスの顔からすっと外向けの柔和な表情が抜け落ちた。

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