11.むかしむかしのえいゆうたん①

 ランタンの明かりがぼんやりと照らす、静かでほの暗い通路。

 埃っぽくもあり、どこか甘く香る乾いた匂い。

 数多の賢人が残した智の深淵に浸るには心地よい人寂しさ。


「やっぱ図書館はいいね」


 両脇にずらりと並ぶ本の壁はやはり壮観だ。

 アルマスは本棚から一つの本を引っ張り出す。


 こうしていると学術都市シニネンクーマに居た頃を思い出す。あの頃は毎日飽きるほどに本や古書の山に埋もれて勉学や研究に明け暮れていた。


 あれからもう1年以上経っていると思うとあんな陰湿な場所でも懐かしく感じてしまう。


 手に取った本の背表紙を撫でる。

 使い古された形跡はあれど大きな傷も破れもないそれはきっと丁寧に扱われてきたのだろう。


 料理や裁縫などの生活の知恵を親から子へと受け継ぐように、人々は本を通すことで未来に向けて様々な知識を引き継いでいく。


 街に住む人が本や書物の管理をどれだけ重視しているかは本の状態を見ればよくわかる。


 こういう都市は文化的に豊かで成熟しているとアルマスは知っている。だからこそ改めて思う。湖畔都市フルクートは良い街なのだと。


「あとこれもかな」


 数冊の本を選んだアルマスはその場では本を開かずに移動する。そもそもこれはアルマスが読むためのものでもないので当たり前と言えば当たり前だ。


 ところで図書館には幾つか暗黙のルールがある。

 

 一つ、傷みから守るため日の光に当たらない場所に保管すること。


 一つ、カビないように水気や湿気から遠ざけること。


 一つ、図書館ではお静かに。


 常識と呼ばれるほどではないにせよ、多かれ少なかれ知れ渡っていることだ。


 けれど最後の一つくらいはたまには破っても良いのかもしれない。


 アルマスは徐々に近づいてくる喧騒に耳を澄ましながら、転落防止のために付けられた柵に手をかける。


 そこは一階から二階が吹き抜けになった大きな空間だった。アルマスのいる二階からは階下が一望出来る。


 アルマスが木製の高欄に肘をかけ、下を覗き込めば途端に耳を突くような騒がしさが広がった。


「子どもというのは元気なもんだね」


 1階には多くの子ども達がいた。わちゃわちゃと忙しなく走り回る子。座り込んで泣きわめく子。本を読んでと頻りにせがむ子。初等教育に入る前のちょうど5、6歳くらいの子ども達が何十人も集まって、好き放題に大人達を振り回している。


 対する大人達も慌ただしい。図書館勤めの司書を初めとして、ボランティアで参加している年若の少女達、それに今日は教会のシスターもいる。さすがにシスターは子どもを宥めるのが手慣れているようだ。


 少し離れたところには各々の母親の姿も見える。彼女達はテーブルで思い思いの本を手に取りつつ幼い我が子達を微笑ましげに見ている。今日の彼女達は子守りもお休みだ。代わりに司書やシスター達が子ども達の相手をしていた。


 今日は月に2回の『本の日』。幼い子ども達が本や知識に触れるための機会を設けるイベントで、親子連れで図書館に訪れている。


「おー。やってる、やってる」


 アルマスは眼下で奮闘する司書達に混ざっているリーリヤを見つける。今日の彼女はボランティア枠での参加だ。小さな子ども達相手におっかなびっくりのへっぴり腰になっている彼女の姿をアルマスは暢気に見守っている。


 リーリヤの周りには小さな女の子が2、3人集まって、リーリヤが持つ絵本をじっと見ている。


 今は読書の時間なので司書やボランティアの少女達も同様にそれぞれが何人かの子ども達を集めて絵本や物語の読み聞かせをしているのだ。


 ちなみに上から見るからわかることだが、一部のシスター達は子ども達から見えないところでなにやらこそこそと動いている。おそらく次のイベントのための準備だろう。


「あれじゃ絵本を読んであげているんじゃなくて、読んでもらっているの間違いだね」


 リーリヤの横にいる女の子達は絵本のページを指差して、子どもらしく一生懸命に『これはこう書いてある』、『この場面はこういう意味合いだ』とリーリヤに教えている。


 そういう年頃なのか、女の子達の表情はお姉さんぶることが出来て満足そうだ。


 リーリヤは子ども達の自主性を育むためにあえて聞き役に徹しているのではない。リーリヤの真剣に焦る表情を見ればわかる。


 あれは絵本に書かれている非常に簡素な幼い子ども用の文章を読むことに必死なのだ。


「ううん。やっぱ簡単な読み書きくらい教えといた方がよかったのかな」


 アルマスは先ほど見てしまっていた。

 絵本を読む程度ならとさりげなく胸を張っていたリーリヤが本を開いた瞬間に顔を青ざめさせていく様子を。


 実のところリーリヤは読み書きができなかったのだ。いや、厳密に言うのであればできはするのだ。


 しかしそれは王国や周辺国で使われている共用語ではない。今や一部の学者や専門家のみが扱う『古代語』だった。


 そうではないかとアルマスも密かに思っていた。


 先日、アルマスが名前を書くように言った際、彼女は迷わず古代語で書き記してみせた。共用語という概念をまったく認知していないかのように。


「昔、教えてあげたはずなんだけどな。忘れちゃったか」


 簡単な単語くらいならばきっと読めるのだろう。昨日の喫茶店では絵柄付きのメニューに載っているコーヒーやお菓子の名称に困っている様子はなかった。それでも文章になると話は違うらしい。


 彼女の中で共用語と古代語がどう切り分けされているのかは、さすがのアルマスにすらいまいちわかりかねた。


 ついでに言うとアルマスが物色していた本は、この事態を目の当たりにしたアルマスがリーリヤの語学勉強用に探してきたものである。もちろん、初等教育相当のお子様向けだ。


 なんにせよ、絵本を読んであげようが、読んでもらってようが子ども達と上手くやれているのであればこの場はそれで十分に違いない。彼女の年長者としてのささやかな尊厳はともかくとして、だが。


 1階では図書館とは思えないくらいの大騒ぎをしているというのにアルマスがのんびりとリーリヤの観察をしているのには理由がある。


 今日は1階のみ一般解放されているため、2階に子ども達が上がって来ることはない。つまりアルマスのいる場所はある意味安全地帯であるということだ。


 また一人這々の体で階段を上ってくる姿がある。


 髪も髭も白く染まり、もじゃもじゃの毛の中から優しげな瞳が覗く老年の男性だ。齢60を越えているが、背筋は真っ直ぐで階段を上る足取りも危なげない。


 彼はアルマスの側に来ると親しげに話しかけてくる。


「いや-、参った。圧倒されてしまったよ」


 彼は疲れたと大袈裟に表現してみせるが、その顔はにこやかだ。


「楽しそうでなにより」


「ああ、そうだな。楽しい。実に楽しいとも」


 彼はこの図書館の司書長カレルヴォ・リタリネンだ。


 フルクートには2つの図書館がある。一つは学術協会が所有する図書館で、どちらかというと資料館と言った方がしっくりくる。


 錬金術を初めとした難解で専門性の高い書籍を管理しており、利用するにも資格がいる。資格の階級によっても閲覧に制限がかかっており、おいそれと誰でも入館できるわけではない。


 一方、今居るこの図書館は中央区にある2階建ての古い建物だ。誰でも利用することができ、所蔵されている書物も多岐に渡っている。


 昔からある書物が雑多に集められているおかげで、時には先史以前に作られた貴重な図鑑や、何処かの誰かの手記といった珍しい掘り出し物と遭遇することもある。


 有用な本を写本することで、どこの街でもほとんど似たような内容ばかり保管している学術協会のものより、宝箱のように何があるかわからないこちらの図書館の方がアルマスは好きだった。


 ちなみに館長はこの場にはいない。館長は慣例的に名家旧家のお偉いさんがなる。ただ、そういう人はほとんど図書館に顔を出すことはないため、アルマスはその姿を見たことがない。


 それ故にこのイベントの実質的な主催は彼ということになる。


「君はいいのかい?」


 司書長は手の平を向けて1階を示す。子ども達とのふれ合いをアルマスも体験しなくてよいのかということだろう。


 アルマスは肩をすくめた。


「子どもは苦手なんですよ」


「おや、これまた意外だ。君ならどんな子とも上手くやれそうに見えるがね」


「出来る出来ないと好き嫌いは別の問題ですからね」


「それは確かにそうだ」


 アルマスのある種不遜な物言いにも彼は愉快そうに笑ってみせた。


 敬語を使ってはいるもののアルマスのあけすけで軽い物言いは立場が偉い人ほど鼻につくらしい。


 そのためアルマスは特に街の中心である中央区に住むお偉方とは折が合わない。

 そんな中でも彼は珍しくアルマスを買ってくれていた。


「この年になるとよく思うんだがね。子どもというのは素晴らしいものだ。こんな老人にも元気を与えてくれる。余計なお世話かもしれんが、子育てにはなるべく関わるべきだと思うよ」


「そうですね。覚えておきます。まぁ、その助言が役に立つ日が来ると良いんですけどね」


「はっはっは。まったくだ。まだ結婚もしていない若者には早すぎたね」


 司書長は穏やかに笑った後、慈愛に満ちた眼差しではしゃぎ回る子ども達を眺める。


「この光景も普通になってきたよ。君のおかげだとも」


「大袈裟ですよ。俺は提案しただけですって」


 以前からこの『本の日』は定期的に開いていたのだが、どうにも小さい子ども達はそこまで興味を惹かれなかったのか参加者はごく僅かであったらしい。


 そこでアルマスが一つ案を出したことがあるのだ。


 今ではそれが目当てでやってくる子どもも多い。親御さんにも評判の出し物だ。


「でも、お礼は受け取っておきます」


「うむ。そうするがいい。皆、君には感謝している」


 満足そうに目を細める司書長と並んで階下を眺めていたアルマス達の視線の先でシスター達がなにやら子ども達を集め始める。


 大きな棚くらいの大きさがある木の箱が子ども達の前に設置され、待ちかねた子ども達がそわそわしている。


「おや。そろそろ準備が整ったようだ」


「みたいですね。さてさて。今日のお題は見物ですよ」


 人形劇。それがアルマスの提案した手段だ。


 『本の日』の第1部を読書会とし、第2部がこの人形劇となっている。これをやり始めてからは『本の日』への参加人数が増加したという。


 人形劇を行うのは図書館の関係者ではなく、教会の人間だったりする。それは題材が教会に伝わる逸話や伝承をもとにしているからだ。


 彼女達シスターからしても子ども達に教会の教えを伝えるのにちょうど良い機会なのだ。


「今日のお話は『花の乙女と苺の森』。皆の大好きな『花の乙女』様のお話です」


 シスターから題名を聞くと子ども達の目が輝いた。特に女の子達はそれが顕著だ。


 そこから始まったのは精霊達と友達になっていく麗しい少女のお話。


 可愛らしい人形が木箱の窓から顔を出して、小さな舞台の上でくるくると動く。


 苺の森で苺を独り占めする悪い魔女を相手に義憤に駆られた少女が説得を試みるのだ。


 中身はもちろん逸話そのままではなくて、子ども向けにかなり優しい世界に改変されている。実際に教会で保管されている本には、もっと生々しくて血塗れた話が綴られている。


 しかし、全部が全部作り替えられているわけではなく大事なところは押さえてある。


 すなわち魔女は悪い奴、そして花の乙女は優しくて凄い人。それが集約された話だ。


 悪い魔女が従える精霊達は森に苺を摘みに来た人を意地悪して追い返すのだが、花が好きな少女が精霊達に花を分け与えることで心を改心させ、逆にその力を借りて魔女を懲らしめる。


 最後は改心しなかった魔女だけが崖から落ちて森から悪者がいなくなり、森の苺は皆で仲良く食べられるようになりました。


 そんなハッピーエンドの物語がシスター達によって語られてゆく。


 魔女が倒されたところで子ども達から喜びの声があがった。周囲の大人達も控えめながら笑顔で拍手をしている。


 顔を強張らせているのはリーリヤ一人だけだった。


「お花の女の子、かっこよかった」


「みんなのイチゴとっちゃうなんて、わるいまじょさんね!」


「いやなまじょ、やっつけられてよかった!」


 絵本の時間で随分とリーリヤに懐いていた女の子達が揃ってリーリヤに満面の笑みを向ける。


 人形劇に興奮する楽しそうな少女達を前にリーリヤは震える唇を開いて答えた。


「そ―――」


 アルマスが遠くから見守る中、リーリヤが発した言葉は―――。

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