17.かくして魔女は追放される②

 一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 1刻とも2刻とも思えるが、きっと4半刻も経っていないのだろう。せめて月の位置でも把握できれば時間だけでなく、現在地も少しはわかったかもしれない。森の中は濃い霧が充満しているせいで碌に周囲の状況を把握することもできなかった。


 魔女の言葉は単なる脅しではなかった。

 白霞の森は容赦なくアルマス達に襲い掛かり、否応なく魔女の深い怒りと失望を理解させられた。


 黒い化け物と成り果てた魔女の使い魔は言うに及ばず、昼間見た『巨木の翁トレント』が凄まじい勢いで追いかけてきて図太い枝を腕のように振り回し、いたずら妖精達は頭上から堅く丸めた泥の塊と一緒に鋭く尖った針葉樹の葉を雨のように降らせる。惑わしの花はしびれ粉を吹き散らかし、強烈な異臭を放つ泥沼が足元から泥でできた手を伸ばしてソリから引きずり下ろそうとしてくる。


 魔女の棲む『白霞の森』の悪名に違わない猛威がいっぺんに襲いかかる。

 その度にアルマスはなけなしの魔具を惜しみなく使いなんとか脅威を退けてきた。


 行き先は完全にソリを引っ張る狼に委ねられているため、アルマスとしては森の出口に向かっていることを祈るしかない。


 とにかく森から出てしまえばさすがの魔女も追跡はしなくなるはずだ。魔女の力が十全に発揮されるのは、その力が馴染んでいる土地と妖精に限定される。魔女の領域から離れれば離れるほど及ぶ力も顕著に落ちてくるのだ。


「そろそろ諦めてくれると良いんだけど」


 耳を澄ます限りでは、あの黒い化け物が近くにいる気配はしない。これだけ霧が濃いと耳を澄ませて音で判断するほかない。


 アルマスの耳には自分の心臓の鼓動と腕に抱えたリーリヤの小さな息づかいくらいしか聞こえなかった。さっきまでは休む暇もなく妖精達が襲い掛かってきたことを考えるにひょっとするとアルマス達のことを見失ったのかもしれない。いくら魔女といえども狼の足で高速で逃げ惑うソリを常に補足するのは容易ではないのだろう。


「とりあえずは追っ手を撒けたとして、ここからどうやって逃げたものかな」


 狼とソリを繋ぐ革紐さえ切ってしまえばこの暴走ソリから簡単に解放される。森からの脅威さえなくなったのであればその方が安全に森から脱出できるかもしれない。


 そう思っていたのがいけなかった。


 アルマスの思考が次に打つべき手の模索に向いた隙を突くようにそれは現れた。

 白い霧の帳をくぐるように黒い塊が急激に近づいてくる。それも一つではない。一個一個は人が抱えられるほどの大きさだが、とにかく数が多い。わらわらと地面を覆い尽くさんばかりに黒い粘液の塊みたいなものは表面を波打たせながら蠢いている。


「しまったっ・・・!」


 意表を突かれたアルマスが呻いた瞬間、小さな黒い塊は急激に動きを加速させ、一か所に群がるとあの黒い化け物の姿に戻っていく。


 まずいと脳裏に過ぎったときには既に遅く、黒い化け物は至近距離からアルマス達にぶつかってきた。


 突進がズレたのは偶々だった。

 黒い化け物はとてつもない衝撃とともに樹木を吹き飛ばし、周囲一帯の地面さえ割砕く。あまりの威力に直撃していないにもかかわらずアルマス達は吹き飛ばされる。


「―――っ!」


 悲鳴を押し殺したアルマス達が宙を舞ったのは幸いなことにほんの少しの時間だった。落下した高さは子どもの背丈にも満たない。しかしそれでも既に歪なほどにひしゃげていたソリは着地の際の勢いに耐えられず、バラバラと木片が割れて落ちていく。


 アルマス達が大した怪我をせずにすんだ代償としては安いものだろうが、乗り物としては致命的なまでの欠陥となった。ソリが完全に壊れて二人が投げ出されるのも時間の問題にみえた。


 それでも止まるわけにはいかない。背後にはあの黒い化け物がまだ付いてきているはずだからだ。


「どういうことだ・・・?」


 すぐにでも来ると思っていた追撃が来ないことに疑問に思ったアルマスがソリの残骸にしがみつきながらやっとの思いで後ろを振り返ると黒い化け物は後方でぴたりと制止していた。あっという間に距離が開き、黒い化け物は白い霧に飲まれて見えなくなった。


 アルマス達を追い立てることを急に止めたことに不気味さを覚える。

 ひょっとして魔女の方に何かが起きたのか。それこそアルマス達を気にする余裕もないほどの緊急事態が発生しているのか。


 もしそうであればアルマス達にとっては朗報だ。魔女による妖精の執拗な襲撃がなければ生き延びれる可能性がずっと上がる。


「いや、まさか・・・!」


 最悪の可能性に思い至ったアルマスが狼とソリをつなげる革紐を切り捨てようとしたそのとき、唐突に白い霧が黒い瘴気へと切り替わった。

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