13.森開きの儀式①
月明かりが眩く照らす。昼間はあれだけ暗く感じたのに今は逆に明るすぎるくらいだ。
「そういえば今日は満月か」
『森開きの儀式』をアルマスは実際に目にしたことは一度もない。知っていることといえば、文字通りに魔女が妖精の力を使役して『森を開く』ということだけ。他にはなにも知らないというのが実情だ。
しかし、それも仕方がない話である。なにせ『森開きの儀式』とは毎年開かれるような季節的な祭事ではなく、数十年もしくは数百年に一度しか行われないものなのだ。それこそ魔女の生涯においてたった一度のみ。魔女見習いが魔女へと認められるとき、つまり当代の魔女から次代の魔女へとその立場を引き継ぐ際にだけ『森開きの儀式』は執り行われる。
だから、アルマスもこれからリーリヤが何をするのか詳しいことは把握していない。
アルマスの視線の先でリーリヤは頻りに葉っぱがついた枝の杖を森に向けて振り回している。ちなみにアルマスはソリの上に無造作に置かれている大量の荷物の上に座り込んでいる。儀式に使うのか木の枝が何本も突っ込まれた袋から、随分古そうではあるが座布団っぽい敷物や厚手の服など雑多に積み込まれている。まるでこれから旅にでも出るかのような準備だ。こうして椅子代わりに使えるから文句はないが、ソリの大部分を占める荷物のほとんどは絶対に要らないとアルマスは思う。
ソリの速度はそれほど早くもなく、森に入ってからは特に小走り程度の速さを保っている。行き先は定かではなく、くねくねと蛇行したり、右へ左へ舵を取りながら進んでおり、どうにも森の奥へ向かっているようではなさそうだ。
「で、具体的にはこれからどうするんだ?」
アルマスの疑問にリーリヤは返事をしない。忙しなく周囲を見回しながら枝の杖を振って狼の妖精に指示を出している。ひょっとしたらアルマスの声自体彼女には聞こえていないのかもしれない。
おそらく彼女は焦っている。見るからに余裕がなく、集中できていない。もしかしなくても先ほどの村人達との揉め事が尾を引いているに違いなかった。
魔女として最も重要な儀式の直前にすべきことではなかった気がする。彼らを連れてくるきっかけとなったアルマスもほんの少しばかりの罪悪感を覚えてしまう。でも、だ。そもそもがここまで関係をこじらせているのが悪いとも言える。アルマスだって面倒に巻き込まれた側なのだ。
アルマスが誰に責められているわけでもないのに勝手に自己弁護をしているとソリが動きを緩めた。
「あったわ!よかった、この間よりも大分ズレてたから時間かかっちゃった」
ソリが止まったのはなんてことのない窪地。生えている木々も地形にもなにも特徴的なものは見当たらない。けれど、魔女でないアルマスでさえここが特別な場所であることは感覚的に理解できた。この付近に立ち入った瞬間に溢れんばかりの生気というか漲る力の本流を感じたのだ。
リーリヤはソリに載せていた荷物の中から一本の枝を引っ張り出す。もともと手に持っていた枝の杖と比べても一回り以上細い小枝だ。ソリから飛び降りた彼女はそれを雪の地面に突き刺した。
「聖なる木」
魔女の歌。妖精を使役するために魔女が用いる特別な歌だ。
先ほどと同様にリーリヤから湯気のように白い何かがゆったりと吹き出す。
一般にそれは魔力と呼ばれ、言葉の通じない妖精との意思疎通を可能とする唯一の手段とされる。魔力を介し、言葉ならぬ交感をする。妖精はそれに応え、この世ならざる現象をもたらす。魔女の秘術の根幹だ。もっとも魔女と妖精の主従関係を見るに意思の疎通といっても『対話』ではなく『命令』という方が正しいのだろう。
「守護の白樺」
リーリヤを取り巻く白い魔力は色を濃くし、大きく膨れ上がる。まるで間欠泉から湧き出る蒸気のようだ。
どんな人や物にも宿っているとされる魔力であるが、普通は認知することもできないし、ましてや意図的に操作することもできない。自在に強力な魔力を練り上げ、それをもって妖精を支配する。それができるのは妖精の地に棲まう魔女だけだ。
「生贄のトウヒ」
リーリヤは枝の杖を頭上から地面に振り下ろし、あふれ出る白い魔力が地面に刺さった小枝に向かう。白い雲が渦巻くようにぐるぐると小枝を中心に回り続ける。
「次に行くわよ。森が目覚めるまで時間がない」
「あれ?このままでいいの?」
アルマスが白い魔力の渦を指差す。魔力は謂わば言葉。魔力を放出するだけでは意味がなく、妖精に受け渡すことで初めて意味が生まれる。これでは魔女の秘術は完成していない。
「いいのよ。最後に一息にやるから」
そういってリーリヤは再びソリに飛び乗って慌ただしく狼を走らせた。
割れた苔むす大岩、崩れて欠落した丘の端、腐り落ちた倒木の根本。あれから3か所に移動した。
リーリヤはどれも同じように小枝を地面に植えて、魔女の歌を紡いだ。
時間にしてはそれほど経っていない気がする。大昔にあったとされる時計でもあれば、詳細な時間もわかったのだろうが現代では月や星の位置で大まかな時の推移を知るのがやっとだ。
「今日は霧がないんだな」
気づけば森の奥深くまで来ていたが、あの鬱陶しい白い霧は出てこない。おかげで月の光がよく通る。
「あれは師匠の、当代魔女のものよ。いつもならともかく、今夜ばかりはあの人の霧を出すわけにはいかないの」
反応を期待していたわけではないが、リーリヤがアルマスの方を振り返っていた。ソリは狼に任せて疲れたようにその場にしゃがみ込む。
「気をつけた方がいいわよ。今、この森は魔女の支配が緩んでる。妖精がいつ暴れたっておかしくないの。あなただって襲われちゃうかも」
「そうしたら君がなんとかするんだろ?俺は大事なお客様だからね。魔女様には守ってもらわないと」
「む・・・」
アルマスが怖がる様子でも期待していたのか、脅しにもまるで動じないアルマスにリーリヤは不満そうに唸る。
「任せたよ」
「なんかむかつく。ソリからたたき落としてやろうかしら」
アルマスは口の端をつり上げて笑うが、リーリヤは嫌そうに唇を歪めてから諦めたように溜め息をついた。
4か所に小枝を配置して回り終えたことで一息ついたおかげか少しだけ心にゆとりができたようだ。再会した当初の氷みたいに張り詰めた印象は薄れ、不貞腐れたように見えるこの姿こそが本当の彼女なのかもしれない。
「本番はこれからだろ。そんなに気を抜いちゃっていいの?」
ここまではあくまで下準備。本番はまだのはずだ。具体的な儀式の経過をよく知らないアルマスではあるがそこだけは断言できる。
なにせまだアルマス以外の見届け人の姿がないのだから。
「あなたには言われたくない。だらけまくってるくせに」
リーリヤが冷たくアルマスをなじる。2つ目の場所に向かうあたりからアルマスは荷物を枕替わりに寝そべっていた。乗り心地がさほどよくないソリの上では座っているだけでも地味に疲れるのだ。
「ひどい言い方だな。別にいいじゃないか、俺はやることないんだし」
「そうだけど。でも、なんか嫌」
「曖昧な理由だなぁ。まあ、いいや。ここは君に従っておくよ。なんせ、次期魔女様だからね」
アルマスは身体を起こす。文句を言いながらも従うアルマスにリーリヤはくすりと笑った。
十回ほど呼吸を繰り返す間、お互いに無言だった。そして、リーリヤが静かに語りだす。
「変ったわね、あなた」
「そりゃ変わるさ。もうガキじゃないんだから」
「そういう意味じゃないわ。・・・軽薄になった」
「よく言われるな、それ」
気にした風もなく、アルマスは頷く。実際に態度が軽いとか、言葉が雑だとか結構言われる。今日だって魔女殿にもお小言をもらった。だがいちいち反省したり、直そうとは思わない。アルマスにはアルマスの理由があってそうしているにすぎないのだから他人の意見などどうでもよかった。
「あなたはどうか知らないけれど。・・・私は久しぶりに会えてうれしかった」
予想外のまっすぐな感情のこもった言葉にアルマスはあらぬ方向に視線を逸らす。
昔とはお互いに見た目も中身もそれなりに変わっている。この会話だって、関係性だって、思い出の中のものとは大分違う。それでも、彼女はそう思ったということだろう。
俺もだよ、とは簡単に言うことができない自分にアルマスは嫌気がさす。
リーリヤがじっとアルマスを見つめるだけの静かな時間が流れる。ソリは未だ目的地には着かないようだ。
なあ、とアルマスはそっぽを向いたままリーリヤに問う。
「君はなんで魔女になろうとしたんだ?」
「え?」
「いやさ、魔女は孤独だろう?これから君は一人で生きていかなければならないわけだし。普通はそんな暮らしは選ばない。厭世家であれば別かもしれないけど。特に君みたいな若い女性にはきっと辛いものになる」
アルマスからの問いにリーリヤはたどたどしくなる。人里離れた森の中という隔絶された世界で生きてきた彼女にとって魔女になるというのは疑問を差し挟むことではなかったのかもしれない。
「それは、だって、私が魔女にならないと、大変なことになる、でしょう?それこそ、皆の生活が・・・」
「皆というのはあの村人達のことだろ?」
「そう、だけど」
リーリヤが口を噤む。農具を担ぎ、恐ろしい剣幕でリーリヤを糾弾する村人達の姿がきっと脳裏に浮かんだはずだ。
彼らのためにリーリヤは己の人生を犠牲にして魔女となるのだ。
「すまない。余計なことを言った。忘れてくれ」
狼の引くソリの速度が極端に落ちる。都合4回同じことがあったのだからもうわかる。目的地に近づいたのだ。
俯くリーリヤの宵闇色の瞳に浮かぶ感情はなんなのか。もうその瞳にはアルマスは映っていないようだった。
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