12.魔女見習いリーリヤ③

 リーリヤの表情は先ほどからめまぐるしく変わっている。喜び、怒り、悲しみ、動揺。最初の無表情が嘘のようだ。それでも彼女は気丈にも顔を上げて彼らを見据えてみせた。


 さして間を開けずに村人達はリーリヤのもとへと辿り着いた。村長とキースキが代表として正面に出てくる。


 近くまで寄らずに距離を置いているのは彼女の側にいる狼の姿をした妖精を恐れてか、それとも彼女自身を恐れてか。いずれにせよ、懸命な判断だとは思う。


「ご助力感謝します」


 村長がアルマスに対して軽く目礼をした。村長が言っているのは魔女と落ち合う場所を女の子に伝えてあげた件だ。


 さすがに夜闇に沈む暗い森にあの幼い少女を連れてこないだけの常識は持ち合わせているようで安心した。


「俺はなんにもしてないよ。ただ、今晩の予定を声に出して確認しただけさ。ああ、もしかしたら近くにいた人の耳に聞こえてしまったかもしれないけど」


 アルマスはわざとらしくとぼけてみせる。

 別にアルマスは魔女と村人の仲を取り持ちたいわけでも村人の味方というわけでもない。アルマスはその場から一歩離れて身振りで話をするように促す。


 あわせて樹上に浮かぶ怪しげな二つの赤い光を視界の端で確認する。まだ動いていないことからも、もうしばらくは静観をするらしい。


 まず口火を切ったのは村長だ。


「新しき森の女主人殿。こうして無理に押しかけたことをお許しください。どうしてもあなたとお話したいことがあるのです。どうかお聞き願いたい」


「どういうつもり、アルマス・ポルク。魔女と彼らは不可侵。私達は必要以上に関わることはしないのよ」


 村長ではなくリーリヤの批難がアルマスに飛んでくる。リーリヤは村長ひいては村の人間の話を聞くつもりがないようだった。予想通りと言えば予想通りの反応だ。なにせ魔女と村人は敵対まではせずとも好意的な感情を持っているとは到底言いがたい関係なのだ。


 それはいいのだが、なぜそこでアルマスに話を振るのか。この件においてアルマスはまったくの部外者だというのに。


 いや、それこそが『遍歴の智者』の本来の役割だったか。魔女と人の間に横たわる隔絶を取り除く調停役。同じ国に住まい、同じ言葉を話しているのに不思議なものではあるが、それほどまでに彼女ら魔女は常識では測れない存在とも言える。


 なんにせよ、所詮は代役でしかないアルマスにそこまで求めないで欲しい。アルマスは肩をすくめることで答えとした。


「それにさっきの話、私は納得していないわ」


「君は案外強情だな。でも、今はそれどころじゃないはずだよ」


 村人達の雰囲気は剣呑としている。さっきは敵対まではいかないといったが、武器を抱えて大勢で乗り込んできた彼らからは武力行使も辞さない覚悟があるように感じられる。無論、その程度で魔女をどうにかできるとは思わない。なにせここは『白霞の森』、魔女の領域だ。


 荒々しい鼻息を立てて今にも爆発しそうな村人達を抑えるように一歩出て村長が魔女へと語りかける。


「そう仰らないでください。我らが村とあなた方魔女との古き盟約について今一度協議を行いたいのです。数百年も前に交わされた盟約です。見直すべきことだってありましょう」


「私はそう思わない。今すぐここから立ち去りなさい。そうすればその冷たい鉄の塊を私に向けているのを見なかったことにしてあげる」


「そんな・・・!」


 リーリヤは歯牙にも掛けない。村長の顔が暗くなるのと同時に後ろにいた村人達が納得いかないと詰め寄ろうとし、狼の妖精の一喝を受けて逆に後ずさる。


「私はただ魔女の務めを全うするだけ。・・・そう、務めを果たすのよ、リーリヤ」


 リーリヤは小声で呟く。それは自身に言い聞かせているようだった。


「もういい、村長殿。まるで会話が成り立たん。魔女よ!こちらの要望は一つ。貴様ら魔女の不当な森の占拠をやめよ!我らとの対等な共存を受け入れられぬと言うならば、この森から立ち去ってもらう!」


 魔女に対して配慮した言い回しをする村長にしびれを切らしたキースキが年に見合わぬ大声を張る。魔女への大胆な物言いは村の外部からやってきた人間であることの証左に思えた。なによりも魔女への怯えや恐れというものがまったくない。腕の立つ錬金術師であるという自負があり、事実色々と調合や練成をして準備をしてきているのだろう。


「不当?占拠?何を言ってるの?」


 困惑するリーリヤの声が聞こえる。彼らの要望を本当に突っぱねる気なら何を言われようと相手にしなければいいのに。そうしないのは魔女としての矜持が傷つけられたかそれとも無視しきれない彼女の優しさ故なのか。


 しかし、アルマスの予想よりも事態は大きくなっている。彼らの目的はもっと俗物的なものだと思っていたが、魔女を追い払うと言い出すとは。


「ふん。貴様らが森に生えている非常に貴重な素材を囲っていることはわかっている。今更隠し立てするなど白々しい。ここには学術的にも重要な植物が自生している。だが、古き盟約などとうそぶいて村の人間が森で採取することに過剰な制限をかけているというではないか」


 キースキは腕を突き出して強く糾弾する。その手には火のついていないランタンが握られていた。もちろん間抜けにも火を付け忘れたというわけではなく、魔女に対抗するために用意した魔具だろう。


「森の奥地へと侵入することを禁ずる。勝手に採取をされぬように霧を使って妨害しているのもそのためだろう。なんという傲慢!この素材が出回るだけでどれだけ錬金術が発展し、世の中への貢献となるかを考えたことがないのか!自らの利ばかりを追い求めるなど愚か極まることだ!」


「へえ。大義はそれか。もちろん、『表向きは』だろうけど」


 キースキの演説を聞き流しながらアルマスは納得したように頷いた。

 キースキが義憤に駆られているのは本当だろう。彼はとても演技をしているようには見えない。しかし、村の人間は別だ。キースキの言葉を耳にして村人の何人かが視線を逸らしたのをアルマスは見逃さなかった。


 結局の所、村人達の目当てはそこなのだ。キースキが述べたように魔女の棲み処となる土地には錬金術の素材としては一級品という言葉では表現できないほどに価値のあるものが存在する。それはつまり森からもたらされるその素材を売り払うことによって、村の人間はこの辺境では考えられない裕福な暮らしを実現していたというわけだ。


 要はもっと自由にお高い植物を採取して、もっと贅沢な生活をしたいというのが村人の本音なのだ。


 人々への貢献だとか、錬金術の探求だとかは、ここらでは高名だというキースキを焚き付けるための餌に過ぎない。真面目で思い込みの激しい錬金術師が迷走してしまうのはよくあることだ。なまじ実力が伴っている分たちが悪い。


「森の恵みを独占し、私腹を肥やす悪しき魔女よ。我らの手を取れぬというならば力尽くで排除するまで」


 そうだそうだと上がる声を背景にキースキは手に持つランタンを高く掲げた。そしてランタンに仕込まれた赤い輝石を叩くと、それに反応してランタンの内部に火が灯る。


「『火泡の篝火』。当然、用意してくるか」


 ランタンで燃える炎は普通の火ではなかった。火の粉を散らす代わりに淡く輝く光の泡をいくつも溢れさせる。


 錬金術の探求の末、人類が唯一編み出した妖精への対抗手段『火泡の篝火』。


 人が火の泡に触れればほのかな熱さとともに満ち足りたような温かな気持ちをもたらす不思議な火だが、妖精は極端にこの火泡ひいてはランタンの炎を怖がる。現にリーリヤの側にいた氷の狼の妖精達はふわふわと宙を漂う火泡に警戒を露わにし、じりじりと後退までしている。


 広範囲にばらまかれた泡は泉に張った氷面に反射してひどく幻想的でもある。だがどんなに綺麗でもこれは紛れもなく火。風に吹かれた火の泡の一つが雪の地面に触れ、ジュっという音と共に少しの雪を溶かして弾けて消えた。


 人以外のものに触れれば、火の粉同様に熱で焦がしてやがて炎として燃え移る。しかも手元で燃えるだけの松明と違い、火泡は風に吹かれてふらふらと不規則に飛び回り、その量も十や二十ではきかない。確かに妖精への有効な手段ではあるが森で使うには危険すぎる代物だ。


 まさか森ごと燃やすつもりではあるまい。それこそ彼らのいう森の恵みが焼き払われてしまうことになる。いくら魔女に対する強力な一手であるといえども、いささか無茶が過ぎる。


 キースキはさらにリーリヤに向けて踏み出す。氷の狼は威嚇をするもランタンの火が嫌なのか委縮してしまい唸り声も弱弱しい。


「魔女の時代は終わった。これからは我々人の手で切り開く時代なのだ」


 『火泡の篝火』が発明されて以降、人類は妖精の脅威から逃れつつあるのは事実だ。そこらの森に分け入ることも命がけではなくなったし、街が襲われて破滅することも聞かなくなった。人々が受ける魔女からの恩恵は時代と共に薄れている。


 それにしても面白いことを言うとアルマスは思った。それでは魔女が人ではないかのような物言いだ。


「もう、いいわ」


 リーリヤの纏う雰囲気が変わる。


 手に持った木の枝の杖を地面にトンと突く。シャンと葉擦れの音がなり、及び腰になっていた狼達がびくりと揺れる。そして、リーリヤの方を振り向き、火の灯るランタンを持つキースキに対してよりも明らかに怯えた様子を見せた。


 もう一度リーリヤが枝の杖を地面に振り下ろす。それで狼達はキースキを含めた村人達に完全に向き直り、ぎらりと尖った歯をむき出しにした。まるで『火泡の篝火』よりも魔女の方が恐ろしいとばかりだ。


 リーリヤが小さく息を吸う。そして、枝の杖を小刻みに振りながら歌うように口ずさむ。


「赤い帽子の女の子が森を歩いていると―――」


 ゆらりと彼女から立ち上る何か。


 彼女の周りの空間が急に密度を増したように重くなる。ぴりぴりと精神を押しつぶす異様な圧力を感じて、村人達が騒然とする。おぼつかない足で逃げる者、尻餅をついて後ずさる者、歯を食いしばって耐える者。さすがにキースキと村長は顔面を蒼白にしながらもその場に留まっている。


「カタヤタルがやってきて彼女を怒らせた―――」


 リーリヤが続きを歌い上げているそのとき、ホー、と森に木霊する梟の鳴き声が聞こえた。


 リーリヤはぴたりと歌うのを止める。次いで纏っていた異質な雰囲気が霧散する。


「あちゃー。ここまでか」


 アルマスが上を仰げばそこには当代の魔女こと『霞の森の女主人』の使い魔が怪しく瞳を輝かせている。


 今の梟の鳴き声はリーリヤへの制止の呼びかけであり、催促でもあった。

 要は儀式を始める時が来たということ。こうなれば村人の相手など後回しだ。


「なんともきりが悪いところだけどしょうがない。儀式優先だしな」


 リーリヤと村人達の話し合い、半ばその域を超えていた気もするが、とにかく話し合いもこれでお終い。村人も言いたいことは言ったのだろうが到底納得などしていない。リーリヤとしても中途半端に終わったことで彼らへの牽制を失敗している。あれでは下手すると敵愾心を煽るだけで逆効果だ。魔女という畏怖と威厳を示し、不満を飲み込ませるには単純に恐怖が足りない。


 梟が樹上から飛び立ち、もう一度鳴く。心なしか先ほどよりも鋭い。急げということだろう。


「始めるわよ。乗りなさい、アルマス・ポルク」


「りょーかい」


 リーリヤの指示どおりに木製の大きなソリに乗り込むアルマスを遠巻きにしたまま、村長がリーリヤを呼び止める。


「待ってください!まだ話は終わってません!」


 しかし、リーリヤは見向きもしない。

 彼女が枝の杖を振るうのに合わせて狼達が俊敏に動き、来た道を戻るように泉の上の氷の道を走り始める。


「もう一悶着ありそうだな」


 怒り狂って罵声を上げる村人達の姿がどんどんと小さくなるのを見届ける。

 アルマスの呟きを置いてけぼりにして、ソリは森の暗がりへと滑り込んでいった。

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