14.森開きの儀式②

 ソリが完全に止まる。


 そこは突き出た丘の上だった。遙か果てまで広がる巨大な森林を見渡すことができる見晴らしの良い場所だ。ここで『森開きの儀式』の最後の行程にして、最も重要な『森開き』が執り行われる。


「遅い到着じゃのう」


 ソリから降りて昼間溶けたせいで滑りやすくなった凍った足場に苦労するアルマスとリーリヤに声を掛ける存在があった。


 その言葉に含まれた嫌味と悪意にリーリヤの身体が強張る。

 魔女見習いであるリーリヤでさえ緊張を禁じ得ない相手、そんな存在は一つしかない。


「どうもどうも。ちょいと遅れたようですみませんね。魔女様方」


 アルマスが向き直ったのは丘と森の切れ目。木々の隙間からゆらりと伸びるのは人影だ。それも一つではない。幾つもの影が月明かりだけが照らす薄闇の世界でなお黒々と存在を主張している。


 不気味に蠢く人型の影の先には、森のかしこに潜む何匹もの動物達がいる。栗鼠、蜥蜴、狼、烏などの生き物が木々の裏や枝の上から顔を覗かせている。その中にはなんと熊までいる。そのすべてが魔女達の使い魔だ。それも『白霞の森』ではなく、他の土地を支配する強大な魔女達に他ならない。


 魔女の使い魔達は怪しく瞳を輝かせてアルマスを見ている。


「貴様は誰だ」


 黄金の毛並みを持つ一匹の栗鼠がアルマスの前に出てくる。声を発したのは栗鼠から伸びる女性のシルエット。黒く塗りつぶされた影からは表情を見ることはできないのに、尊大で威厳に溢れた女の姿が強く想起された。なによりその声色はアルマスを見下している。何も驚くことではない。大抵の魔女は魔女以外の人間を同じ人種とは思っていないのだ。


 アルマスは特段気分を害するわけでも臆するわけでもなくあえて恭しく礼をした。


「おっと、自己紹介をしていなかった。俺の名前はアルマス・ポルク。この度、儀式の監督役となった『遍歴の智者』の代理ですよ。貴女方にはイェレミアスの息子といった方が通じますかね」


 代理と言った際には訝しむような気配が漂ったが、イェレミアスの名を聞いた瞬間に目の前の栗鼠の影だけでなく、他の魔女の影達のほとんどが態度を変化させた。それも悪い方向に。


「なんですって!あの腐れ外道の!?」


 黒々とした見事な毛並みをした熊から伸びる人影が甲高い女性の声で叫ぶ。熊は山小屋くらいなら簡単に押しつぶせそうな立派な体躯になぜだか淡い紅色のコートを身につけている。なんだかちぐはぐな印象を与えてくる存在だ。


「あの陰険男の子どもか」


 黄金の栗鼠の影もまた吐き捨てるように言う。蔑みの混じる声色に更に苦々しげな色が追加される。


 アルマスは溜め息を吐きたくなった。あの男は本当に何をしてくれているのか。こんな辺境の地に来てまでもあの男の悪評に振り回されることになるとは。


「確かに顔立ちは似ている。だが、それとこれとは別の問題だ。そもそも奴が『遍歴の智者』であること自体納得していない。代理というならば尚更だ」


 アルマスにとってもこれは予想外だった。

 多少の反感くらいはあると思っていたが、その根本がアルマスの父イェレミアスにあるとすれば手の打ちようがない。


 主人である魔女の敵意に反応し、使い魔である黄金の栗鼠もアルマスを害そうと前歯を剥き威嚇している。


 どうしたものかとリーリヤの方を振り向けば、いつの間にか彼女の側に梟が現れていた。


「相も変わらず面倒な女ですね」


 梟の影から聞こえる声は、昼間に聞いた魔女のものと同じだ。


「『トゥイヤ』の。此度の儀式は我が『ヴェルナの森』にて執り行うもの。その主人たる私が彼を資格ある者としてこの場に呼んだのです。たかが『見届人』でしかない貴女が口出しすることではありません」


「なんだと。『ヴェルナ』の。そもそも貴様が抑えられないから『森開き』などしなければならないのだ。偉そうなことを言う前に己が不甲斐なさを悔いて詫びるべきだろう」


 梟と栗鼠が険悪な雰囲気を醸し出す。

 小動物同士のにらみ合いなんて可愛げのあるものではなく、人食いの猛獣が互いに食い合わんとする凶悪さを振りまいている。


 魔女達はとにかく仲が悪い。故に平時は不可侵という暗黙の了解があるほどだ。


 そんな魔女達であっても新たな魔女の誕生と聞けば見届人として訪れることを望む。同族が増えることへの喜びとか歓迎とかではない。それは単に他人事では済まないという必要性に迫られるがためである。


「見苦しいのぉ。やはり年をくった魔女はやかましくていかんなぁ」


 腕ほど太い胴体でとぐろを巻き、舌をちろちろと出す蛇を拠り所にした魔女の影が揶揄するように溢す。


 あんたが一番年寄りくさいけどな、とはアルマスは口にしなかった。言おうものならネチネチと絡まれるのが目に見えている。


 だがそんな配慮は無駄に終わったようだ。声には出さずとも蛇はアルマスの内心を察したらしく、拳を優に超える大きさの頭を起して鎌首をもたげた。


「生意気な小僧じゃのう。丸呑みにしてやっても良いのだぞ」


「うへぇ。せっかく言わなかったのに。わかっちゃうのか」


 アルマスは面倒くさそうな表情を隠しもしない。


「当たり前じゃ。妾達は悪意に敏感ゆえな。魔女を嘗めるでないぞ」


 空気が抜けるような不吉な音を漏らして蛇がにじり寄ろうとするのを見てアルマスは慌てて距離を置いた。


 魔女が荒々しく鼻で笑うと蛇は興味を失ったように頭を下げる。


「ふふふ。ほら、我が同胞達。子ども達が困ってしまっているよ」


 ぱたぱたとアルマスの肩に止まった小鳥が他の魔女達を諫めた。黒い翼を持つ白い小鳥だ。いや、話しているのはやはりその影だった。アルマスの影と入り交じったせいで、まるでアルマスから女性の影が伸びているようで気持ちが悪い。


 しかし、言葉の内容とは裏腹に魔女達を批難する響きは含まれていない。むしろ楽しむように煽るようにさえずっている。


「問題は彼が我らのお眼鏡に適うかどうかだろう。ならば試してみればいいじゃないか。その方が話が早い」


 そう言うと小鳥はちらりと後ろを振り返る。そこにはアルマスとリーリヤをここまで連れてきた氷の狼の妖精がいた。狼とは比較にもならないほど小柄な小鳥に視線を向けられ、氷の狼は一度だけぶるりと震えると様子が一変する。


 大人しく賢い印象を与えていた狼達は急激に興奮状態に陥り、異様な行動を始める。涎をダラダラと口の端から垂らし、フラフラと足が覚束なくなり、焦点の合わない目をぐりんぐりんと動かしたかと思えば、アルマスを視界に捉えた途端にぴたりと動きが止まる。


「またエグいことをしおる」


 蛇の影が哀れむようにぼやく。


「同感。底意地が悪いったらないね」


 アルマスが愚痴を吐くのにあわせて、狼達がとち狂ったように突進を始めた。


「っ!危ない!」


 先達の魔女達を前に萎縮していたリーリヤが狼の凶行に遅れて気付き声を上げる。

 そのときになってようやく栗鼠と睨み合っていた梟が事態に気付く。


「『ヘルガ』の!我が森の妖精を勝手に使役するとはどういうつもりですか!」


「そう目くじらを立てないでおくれ。ただの余興じゃないか。それにすぐに返すことになるよ」


 森の中を疾駆していたときに見た、しなやかで滑るような狼の姿はそこになく、力任せに地を蹴り出鱈目に足を動かす醜い獣がいるばかりだ。それでも狼達がアルマスのもとに辿り着くにはさしたる時間もいらなかった。


 ソリを引きずりながら鋭利な牙をむき出しに襲い来る狼が巨大な顎を大きく開き、アルマスの腕に齧り付こうとする。リーリヤが懸命に制止しようとするが間に合わない。他の魔女達はただただ愉快そうに嗤っている。


 アルマスの対応は端的だった。


「全くもって面倒だけど」


 パン、と破裂音が澄んだ夜闇に響き渡る。


「『麋の副書』第十二章第九節。『老師曰く、月に魅入られた哀れな狼は気丈な乙女に左の頬を打たれ、たちまち恥じて去りぬ』、ってね。俺は女の子じゃないけどさ」


 次いで狼達の騒々しい悲鳴が続いた。

 狼達はアルマスを襲った勢いそのままに慌てて逃げ出す。ソリに繋がれた革紐をぐしゃぐしゃに絡ませながら、一心不乱にアルマスから離れようと尻尾を丸めて走り出し、その姿が急に消える。


「あ、やべ」


 あまりにも錯乱した狼達はここが切り立った丘の上であるにも関わらず、丘の急斜面を滑り落ちていったのだ。それも引きずり回していたソリごと、だ。狼達の更なる悲痛な雄叫びが聞こえた後、木製のソリがひしゃげるひどい音がした。


「あー。うん、これは不可抗力というやつでしょ」


 悪びれもせず言い訳をするアルマスには傷一つない。


 それもそのはず。

 アルマスがしたのは狼が十分近づくのを待ってから、狼にとっての左側面で勢いよく両手の平を打ち合わせただけ。それだけで狼達は恐慌に陥り、丘の下にソリもろとも転げ落ちていった。


 錬金術によって作られた魔具を使ったわけでも、魔女のように妖精を使役したわけでもない。アルマスを助けたのは単純な知識だった。常人では知り得ない妖精に対する詳細な知識を有するからこそ、アルマスは『遍歴の智者』の代役たり得るのだ。アルマスとしては大変不本意なことでもあるのだが。


「ほらね」


 小鳥の影が歌うように楽しげに告げる。表情が見えたならきっと得意げな顔をしていたに違いない。


「なるほど。最低限奴らをあしらうことはできるわけじゃの。うむ、妾は構わん。お主もよいじゃろ?『トゥイヤ』の」


「ふんっ。勝手にするがいい」


 蛇の影が認めたとともに他の魔女の影も肯定の意を示すがごとく不吉な影の揺らめきを抑えていく。

 黄金の栗鼠の影もまたもう反対するつもりはないらしい。


 梟の魔女の影、すなわち霞の森の女主人は嘆息することで、この突然の騒ぎへの不満を飲み込んだ。そして、梟は羽根を広げて飛び上がると満月を背に夜空に浮かぶ。月光を受けて輪郭がより明確となった魔女の影が大きく膨れあがり、丘の一端を黒く染め上げた。


「リーリヤ。我が弟子。今宵、貴女に森の主の座を引き継ぎます。されどまだその時にあらず。この儀式の完遂をもってその証左といたしましょう。さあ、『見届人』の皆様方。我が同胞達、そして遍歴の智者よ。ご覧あれ。我が弟子が『ヴェルナの森』に認められる様を」

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