11.魔女見習いリーリヤ②

 アルマスに走った動揺をリーリヤは見逃さなかったらしい。朧気な月明かりのもとでもわかるほどはっきりとリーリヤの顔が曇る。


「もしかして覚えてないの?」


「いやいや。覚えてるよ。うん、覚えてる。だから、ちょっと待ってくれ」


 額を抑えて考え込むアルマスの態度は傍目から見てもわかりやすい。


「嘘・・・。でも、だとしたら、なんであなたはここにいるの?約束を守ってくれたから、だからあなたはこの儀式に呼ばれたのではないの?」


 リーリヤの青灰色の瞳が揺れている。その心情を察したわけではないだろうが、アルマスはようやく理解の表情を浮かべた。


「あー、あれかな。ほら、君の故郷を訪ねる、的な?」


「違うわ、そんな話じゃない・・・!」


 アルマスが悩んだ末に絞り出した回答は即座に否定された。


「ねえ、ほんとに覚えてないの?あの日、私達は約束したでしょう?冬の、ひどい嵐の夜に・・・」


「冬の嵐ってそんなに珍しくないからなぁ。それだけだとちょっと。言っちゃなんだけど君の勘違いという線は―――」


「そんなはずない!あなたははっきりと言ってたわ!例えあなたが忘れたのだとしても私は覚えてるもの!」


「まあまあ。落ち着いてよ。君の言うとおり約束をしてたとしても、子どもの頃にした他愛のない約束だろ?随分と昔のことだし、覚えてなくても仕方ないじゃないか」


 リーリヤは恐ろしいほどに張り詰めた雰囲気でアルマスに詰め寄ってくる。彼女の剣幕に触発されたかのようにうなり声を上げる氷の狼を横目で気にしながらリーリヤを宥めるが、どうやらアルマスの言葉は彼女に届いていないようだった。


「そんな・・・。なら・・・。なんで、私は」


 ふらつくように一歩下がったリーリヤは俯いてしまう。ただ事ではない様子の彼女にどうしたものかとアルマスが手をこまねいていると、リーリヤはきっと睨み付けるように顔を上げた。


「あなたと私は小さい頃に誓い合ったの。私は一人前の魔女になることを。あなたは遍歴の智者になることを」


 ここまで言えば思い出すでしょうとばかりに見上げてくるが、残念ながらアルマスにはその期待に応えることは出来そうもない。


 よく見れば彼女の指先が震えているのがわかった。あくまでアルマスには記憶にないとしか言えない話ではあるが、彼女にとっては『覚えていない』の一言で済ますことはできないものだったことが理解できる。ばつが悪くなったアルマスは黙って首を横に振るほかなかった。


「・・・そう。やっぱり、覚えていないのね」


 リーリヤは感情を漏らすまいと声を押し殺すように呟いたが、それは返って希望に縋っているように聞こえた。


「まあ、申し訳ないけど」


「別に、いいわよ。覚えてなくても約束を果たしてくれているなら。私はそれでいいの」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた。


「ちょっと待ってくれ。約束を果たしただって?さっき君が言っていたことが約束の内容のすべてなら、俺は断固として否定しなければならない」


 異を唱えたのはアルマスだ。今度はリーリヤがアルマスの迫力に押されたように身を引いた。

 アルマスは大仰に手を広げて抗議する。


「いいか、俺は『遍歴の智者』なんかじゃない」


「・・・え?」


 何を言っているのかわからないという顔をするリーリヤにアルマスはゆっくりとかみ砕くように伝える。


「俺がこの森に来たのはあくまでどこにいるかもわからない放蕩親父の代役なんだよ。決して俺自身が『遍歴の智者』なんて古くさい役目を引き継いだわけじゃない。知ってるか?今の世を動かしているのは錬金術なんだ。日々の暮らしも、食べ物を作るのも、身を守るのだってそう。人々の生活の至る所に錬金術は使われている」


 アルマスの言葉が熱を帯びる。

 話すにつれて脳裏に疎ましい記憶が蘇り、どうしても苦々しげな感情が出てくる。


「対して、だ。『遍歴の智者』に必要な妖精学とか魔女学とか他にも幾つもあるけど、どれも面倒なわりに日常生活にはまったく何の役にも立たない。そんな時代遅れの学問を必死こいて修めるなんて馬鹿らしいだろう?俺だってそう思う。だから、こんな学問探究する奴は学者連中からも当然馬鹿にされる。それはもう嫌がらせされまくりだ。はた迷惑なことにそんなのが身内にいるってだけでそうなる」


 勢いに押されているリーリヤはきっとなんの話かもうわかっていないだろう。

 それでも構わずアルマスはこの問答の結論を告げる。


「そういうわけで俺は錬金術師になる。というか、なった。『遍歴の智者』なんて頼まれたってなりたくないね」


「じゃ、じゃあ。約束は、約束はどうなるの?」


「そもそも俺はしたつもりはないんだけど。まあ、無効になるね」


 あまりにも軽く告げるアルマスに、呆然とした表情で口をぱくぱくとさせるリーリヤ。どうやら言葉が出てこないようだが、それでも諦めきれないようで何かを口にしようとしたところをアルマスは手で制した。


「おっと。この話はこれで終わり。お客さんが来たようだからね」


「何を言って・・・!」


 アルマスが指で示した先には森の暗闇の中で揺らめく火の玉が浮かんでいる。それも一つではない。何十という数の小さな火がそう遠くない場所でちらちらと動いている。


 妖精、ではない。あれは松明の明かりだ。

 火の玉がアルマス達の方に近づくにつれ、木々をかき分ける音や雪を踏みしめる音を伴って何十人もの男達が大声で話しているのが聞こえてくる。


「いったい何?何なの?」


 リーリヤは戸惑っている。勝ち気な瞳に不安の色を浮かべ、眦が下がっている。それはそうだろう。森開きの儀式にこんな珍客の予定はない。

 やがて暗い森の中から男達が顔を出した。


「本当にいた!」


「魔女だ!魔女がいるぞ!」


 興奮して叫んでいるのはさっき見た顔だ。昼間アルマスを縄で縛り上げてくれた村の若者衆。ついで落ち着きのない若者よりは多少警戒心を持っている中年の男連中が現れ、その中心には村長と錬金術師のキースキの姿が見えた。


 村人達はご丁寧に武装までしていた。鉈や斧をはじめとして鋤や鍬などの農具を構える様子はまさに魔女狩りだ。これで目的は話し合いだというのだから冗談にもほどがある。


「さて。彼らは君に用があるみたいだ。なに安心するといいよ。一応、君と話をしたいだけみたいだから」

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