8.春の祭りは不穏をかもす②

「えーと。確か、アントン・ポッカ殿、でしたかな?」


 誰だよそれは、と思いつつもアルマスは億劫なので訂正しなかった。


 アルマスが連れてこられたのは広場から少し離れた村外れの教会、その奥まった一室だった。よく村の集会にでも利用しているのか、慣れた様子で神父に声を掛けてから入り込んだ部屋には身分の高そうな老人達が大きな長机に座っている。アルマスもまたその端っこの席に腰を下ろしていた。


 老人達は揃いも揃って仕立ての良い衣服に身を包んでおり、正直なところ服に着られているような人物も一人や二人ではない。村の祭事にかこつけて普段着ないような高価な服装をわざわざ用意したのが透けて見えた。


 アルマスの正面、長机の一番奥に居座ったちょび髭を整えた小太りの中年男性はアルマスをこの場に連行してきた村長だ。彼がアルマスに話しかけるのを皮切りに、全員が口を閉じてアルマスの方に身体を向けた。


「わざわざこの場にご足労いただき感謝します」


 話す仕草一つとっても上に立つ者の貫禄を感じさせる。どこかの大きな街で商家の上役でも務めていそうな印象さえあった。やはり辺境の村にいる人材としては違和感を拭えない。


「労りの言葉もなにもないでしょ。そんなことの前にまずはこれを解いて欲しいんだけど」


 アルマスは自身を縛り付ける縄を顎で指して皮肉交じりにそう言った。

広場の宴席から離れて人目のつかない建物の陰に入った瞬間に、周りを取り囲んでいた若い衆に縄で縛られることになったのだ。揉め事を起こしたわけでもないのに、問答無用で行われたこの狼藉に対する説明を求めたいところだ。


「私達としても手荒なことはしたくなかったのですが。不思議なことに、どうにも貴方には効果がなかったようでしてね」


「効果?」


 首を傾げたアルマスが村長の視線を追えば、そこには先ほどまでアルマスの世話をしてくれていた栗毛の女の子がいる。彼女はアルマスに顔を向けないようにしながら、机の上に空となった小瓶を置いて気まずそうに頷いて見せた。


「ああ。そういうこと」


 遅ればせながらアルマスも理解する。つまるところ一服盛ったということだろう。彼女がアルマスのためにわざわざ何度も料理を取り分けていたのがまさにそれだ。子ども相手であれば多少不審な動きがあったところで気付かれないという思惑か。


 アルマスも言われるまで薬を盛られているなどとは考えてすらいなかった。思い返してみれば女の子の言動には幾つか不可解な点があった気もする。


 なんとも恐ろしい村人たちだ。まるで追剥ぎを生業にしているかのような悪辣さを感じる。魔女との顔合わせが終わり気が緩んでいたのかもしれないが、たかが辺境の村のなんてことのない祭りなんかでこんな目に遭うとは普通は想定できまい。


「なんの薬か知らないけど、俺には効かなかったわけだ。残念だったね、悪党諸君」


 アルマスが小馬鹿にしたように言えば、長机に座った老人達が睨みつけてきた。


 悪党呼ばわりしたことにそこかしこで怒声が上がるもアルマスは鼻で笑って見せた。人を不意打ちする卑怯な真似をとったのは事実なのだから甘んじて受け入れるべき評価だ。


「勘違いしないで頂きたいのですが私達は物取りなどではありません。確かにちょっとした魔法薬は使いましたけど、貴方を痛めつけようとか荷物を奪おうとか、そういう意図ではないのです。私達はただ交渉がしたいだけということをご理解いただきたい」


「どうだか。この状況を鑑みるに到底信じられるわけがない」


「ふむ。そう言われるとこちらも弱いのですが」


 礼節ぶった言葉遣いの割に村長の表情は険しい。アルマスの縄を外すつもりはなさそうだった。交渉というのも言葉通りではなく、こちらを不利な状況に追い込んだうえでの強制的なお願いというのが実情だろう。


「それにしてもさすがは魔女のお客人というだけありますね。あの眠り薬を解呪してしまうとは。ここら辺では一番大きな街であるウスヴァで高名な錬金術師様に作っていただいた特別製だったんですがね」


「あいにく錬金術には造詣が深いものでね。こんな辺境のド田舎に住む世間知らずが手に入る程度のものが効くわけないよ」


 嘘だ。アルマスは内心冷や汗をかいていた。

 錬金術の知識にちょっとした自信があるのは本当だが、いくらなんでも警戒も準備もしていないなかで対応できるはずもない。それでも彼らの言う薬とやらがアルマスに効力をもたらさなかったのは、偏に魔女からもらった『魔女の秘薬』のおかげだ。飲んでから2刻は経つというのに未だに『全癒』の効果は健在らしい。


 まさかとは思うが魔女はこれを見越して『魔女の秘薬』なんて霊薬をアルマスに与えたのかと思えてしまう。考えすぎとは言えないのも、魔女の底知れなさ故だった。


「素晴らしい。『遍歴の智者』というのでしたか。あなたもその名に恥じない知恵をお持ちなのでしょう」


 わざとらしくアルマスを称賛する村長にアルマスは眉をひそめた。


 村長が『遍歴の智者』という立場に触れてきたこと自体はなにもおかしなことではないはずだ。何百年という長い年月を魔女の棲む森のすぐ側にあり続けた村の人間ならばそれくらいの事情は知っていて然るべきだ。


 それでも村長の発言とともにこの場の空気が張り詰めたのをアルマスは見逃さなかった。さすがの村長は顔色一つ変えていないが、その周りに座っている他のお年寄り達は表情に出てしまっていた。


「見たところ大分お若いようですね。『遍歴の智者』というからにはもっと知識と経験を積んだご年配の方かと勝手ながら想像していました。身なりも整っていらっしゃいますし、どことなく気品もおありのようで。どこぞの名家の御子息だったりされるのでしょうか」


「前置きはもういいよ。で、用件は?」


 つらつらと一人でしゃべり続ける村長の言葉を無視してアルマスは村長の要求を訪ねた。


「ふむ。少し回りくどかったですかね。それでは単刀直入に行きましょう。此度の魔女の儀式に参加する『遍歴の智者』という役目、もっと相応しい人物がいると思いませんか?」


 先ほど言っていた『交渉事』というのはこれだろう。ぺらぺらと話していたが、結局のところアルマスは若く、経験が不足しており、しがらみかコネで来ただけのぽっと出では『遍歴の智者』には不足というわけだ。


 まるで真っ当に儀式を成立させることを望んでいるような言い様だが、言葉どおりの意味ではおそらくない。魔女の儀式なんかに彼らは毛ほども興味なんてなさそうなのは村を見ていればよくわかる。


「相応しい、ね。それはもしかしてこのしょっぱい魔法薬を作った人物のことを言っているのかな?」


「しょっぱい薬とは言ってくれる。どこの誰かもわからない若者にこうも虚仮にされるとは思わなんだ」


「キースキ先生」


 アルマスの背後にある扉から一人の男が入ってきた。やせぎすな背格好に眼鏡を掛けた初老の男性だ。


 村長にキースキと呼ばれた男性を見た瞬間に栗毛の女の子が慌てて頭を下げた。


「先生、お役に立てずすみませんでした」


「君が謝る必要はないとも。私の『小巨人の子守歌』が無効化されたのも事実。私達が思っていたよりもこの青年が用心深く、そして上手であったというだけだ」


 キースキは柔和な声色で女の子を慰める。その瞳には優しさが垣間見えた。師弟、もしくは町の錬金術師と言っていたから学校の教師と生徒という関係が連想される。


 それにしても『小巨人の子守歌』とはなかなかエグイものを使ってくれる。一口どころか1滴舐めるだけで丸1日は酩酊する代物だ。それこそ生成するにも高価な素材を多く必要とするし、錬金術師としての等級も相応の資格を求められる。


「一般錬成物としてはA類。少なくとも錬金術師として5級以上じゃなきゃ調合は許されないわけだけど大丈夫?分不相応な調合がバレれば資格の剝奪も免れないよ」


「ご忠告どうもありがとう。けれどいらぬ心配だな。私は錬金術師としてはとても優秀でね」


 アルマスの嫌味を一蹴してみせたキースキは懐から金色に輝くネックレスを取り出す。


 そこには3級錬金術師を示す3連星のマークが彫られている。

 アルマスは思わず感心してしまった。


「へえ、3級か。それは凄いね。なんでこんな辺境の村にいるんだ?辺境都市部では認定できてもいいとこ5級が限界だろうし、ましてやすぐそこの街じゃ7級だって怪しいのに」


 錬金術師の実力というのは基本的に階級制だ。

 学術協会が定める階級は10級から始まり1級まで存在する10個の段階で区別されるのが一般的となる。10級は見習いから上がったばかりの素人に毛が生えた程度になるが、6級や7級にもなれば一人前扱いで、5級以上となれば一流と胸を張って言える力量を持つ。


 しかし、辺境の田舎町ともなればそれほど階級制は意味を持たない。A類やB類といった高度な錬成ならいざ知らず、日々の暮らしで必要な程度の錬成にはほとんど階級による制限などかからない。そのため、こういった地方の弱小町村では7級すら持たずに錬金術師を生業とする者も珍しくないのだ。


 その上、1級や2級は求められる技術や知識が3級までとは異質なほどに根本的に違うことを踏まえれば、在野の錬金術師として3級というのは実質最高位とも考えられる。


 キースキの示した証が偽物でなければ、本来そんな高位の錬金術師がこんな田舎にいるはずがないのだ。彼らは発展した都市部で研究に専念していたり、貴族のお抱えとして領地への貢献をしていたりする。


 キースキは手に持った金色のネックレスを裏返すとそこに刻まれた文字列をアルマスに見せた。それは彼が3級錬金術師として認められた都市の名前に違いなかった。


「お察しのとおり。若いときは都市ヴァルコイネンで錬金術を学んでいてね。何十年も没頭していたらいつの間にかここまで登り詰めていた。あそこは白い大理石の家々が並ぶ美しい街だったよ。王国内部では珍しく温暖な気候で、今思い返してみても素晴らしい都市の一言だ。まあ、私があの都市を離れたのはそんなに昔のことではないがね」


「大海湖の沿岸都市。歴史も格も一流。ほんとに優秀じゃないか」


 錬金術師の等級を認定するのは例外なく学術協会ではあるが、どの都市でも等しく1級までの認定を授けられるわけではない。小さな街や地方では一人前の証である6級や7級でさえ認定できないところもある。というか、3級の認定ができるのなんて王国内部では一握りの大都市しかない。


 それに同じ等級の認定ができる都市でもやはり少なからず違いはある。その街の積み重ねた歴史はもちろん、その地で学術協会が為した功績や排出された錬金術師達の質によって重みが変わってくる。


 つまりは都市にも格があるのだ。

 その点で言っても沿岸都市ヴァルコイネンは3級認定ができる大都市の中でも間違いなく上澄みといえた。


「いいところに来てくれて助かりましたよ、キースキ先生。ポッカ殿。お分かりのとおり彼はとても素晴らしい錬金術師です。そこで先ほどの話に戻るのですが、どうか『遍歴の智者』の役目を彼に譲ってはいただけませんか。もちろん対価が必要であれば払います」


「・・・意図がわからないな。彼に役目を譲ることであなた達になんのメリットがある?役目なんて大仰にいうけれど、実情は単に魔女の儀式に立ち会うだけなのに」


「あなたには関係ありません。と言いたいところですが、それではご納得いただけませんよね。私達としてもできれば合意の上がいい」


 村長とキースキが視線を合わせると共に頷いた。


 魔法薬を盛ったくせに今更合意などとよく言ったものだ。大方意識が混濁したところで強引にアルマスから承諾の言葉を引き出す予定だったのだろう。そうまでしてアルマスの意思確認を取り付けたいのは魔女の報復を恐れてか。


 アルマスが魔女の客人の立場にあることを踏まえれば、無理矢理でもなんでも役目を譲ってもらうのと奪い取るのは全然違う。


「端的にお話しすると我々は森の魔女と会う機会が欲しいのです」

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