第2話

 シュエナは男性をリビングとして使っている部屋に通した。


 男性は被っていたフードを外す。たちまち、明るい栗毛色の緩くウェーブが掛かった髪に夜明けを思わせる赤紫色の瞳が印象的な超がつく美男子が露わになる。シュエナは深くため息をついた。


「……まさか、あなたが護衛もなしに来るとは」


「別にいいじゃないか、俺とあなたの仲だし」


「そう言う問題じゃないんだけど」

   

 シュエナは眉間をぐりぐりと両手の人差し指で揉んだ。この方は昔から、大人しくするのが苦手な所があった。成人しても相変わらずと言うか……。

 それでも、手早く男性もとい、隣国のスルティア皇国の皇太子に振る舞うお茶を用意するのだった。


 シュエナは紅茶だと夜に眠れなくなるからと鎮静効果があるハーブティーを淹れ、皇太子に出す。


「どうぞ、大した物ではありませんが」


「ああ、こんな夜分遅くにすまない。いただくよ」


 神妙な表情で謝りながら、皇太子はハーブティーが入ったマグカップを手に取る。ふーふーと息を吹き掛けながら、口に含む。飲みやすいように蜂蜜を少し垂らしておいた。皇太子は特に不快げな様子を見せず、ちびちびと飲んだ。


「それで、どうしてこちらに来たんですか?」


「……魔女殿がまだ、独り身だと聞いて。こちらの陛下がやたらと心配していたのもあってな。だったらと、あなたの居場所や境遇を詳しく教えてもらった」


「そう、あまり聞いていて気分が良くなる話ではないけど。あなたはそれでも尋ねたんですね」


「ああ、あなたには父やセインの命を救ってもらった恩義がある。礼を言いたかったのと伝えたい事もあったんだ。それで父から許可を得た上でルクセンまで来た」


「はあ、お礼はいいとしても。伝えたい事ですか?」


 シュエナは本当に分からなくて、オウム返しに訊いた。皇太子はマグカップを置き、少し考える素振りになる。


「……魔女殿、改めて。名を教えてくれ」 


「私の名ですか、シュエナです。シュエナ・ウエン。昔にこの国の北端に住んでいた魔女の一族、ウエン族の末裔に当たります」

 

「ウエン族か、スルティアの歴史家の手記にあった魔女の一族だな。太古の昔から、国に災いがあった時に。代々、王に何らかの形で助けていたと伝え聞くが。あなたがその末裔だったとはな」


「はい、当代の女王陛下、アンジェリーナ様のお母君もウエン族の出身です。私とは畏れ多くも遠縁の親戚になりますね」


 それを聞いた皇太子は驚きを隠せない様子だ。まあ、仕方ないと思う。アンジェリーナ女王の母のシェラ妃は表向きは子爵令嬢と言う身分だ。が、ウエン族の血筋を継ぐ若い女性は段々と減ってきている。だから、王家はシェラ妃を子爵に保護させた。養子縁組もした上で女王の父で先代のヴィルヘルム王子の婚約者に据えたのだった。

 ヴィルヘルム王子はシェラ妃の出自を知っていた。もちろん、シェラ妃も自身に課せられた役割や立場を理解していて。互いに分かり合って結婚したが。けれど、シェラ妃は生まれつき、体が丈夫でなく、アンジェリーナ女王や妹のカトリーヌ元王女の二人を産んだ後に。

 体調を崩しがちになり、女王が三歳、元王女が一歳と幼い頃に身罷みまかる。ヴィルヘルム王子はこの時、王太子になっていた。


「……ちなみに、私やシェラ王妃殿下の遠い祖先のエカテリーナ妃もウエン族の出身ですね。ルクセン王家にはウエン族の血筋が代々と受け継がれています。ちなみに、魔力が高い女性は金目金髪で生まれやすいですよ」


「へえ、道理でな。陛下もやたらと魔力が高いわけだ」


「ええ、ウエン一族の特徴と言えます」


「それはそうと、シュエナ殿。もう、夜も更けてきたし。お暇するよ」


「はい、王宮に戻るのですよね」


「まあ、そうなんだが」


 皇太子は言いにくそうにする。シュエナは小首を傾げた。

 

「……シュエナ殿、いきなりで悪いが。その、俺と恋人になってくれないか?」


「……はい?」


「うん、そう言うだろうとは思っていた。本当に遅い時刻に悪かったな。もう、帰るよ。じゃあな!」


 皇太子はマグカップを置き、立ち上がる。さっさと玄関口にまで歩いて行く。フードをまた目深に被り、シュエナの家を立ち去ったのだった。嵐が通った後のようだと思う一夜であった。


 翌日、シュエナはいつものように身支度をする。軽く自室などの居住スペースや店舗スペースを掃除した。朝食は昨夜の残ったスープや黒パンで簡単に済ませている。


(今日は薬屋をお休みにして、新しい器具や材料を買付けに行こうかしらね)

  

 頭の中で簡単に算段を立て、シュエナは買付けの準備をした。さあ、行こうと言う時に玄関口の呼び鈴が鳴らされる。シュエナはやや苛つきながらも応対に向かった。開けると、そこには昨夜に会った人物が佇んでいたが。すぐにシュエナは閉めた。


「あ、おいっ!シュエナ殿、閉めるなよ!」


「わ、私は何も見てない、何もいなかったわ」


「現実逃避するなって!開けてくれよ!!」


 どんどんとその人物がドアを叩くが。シュエナは頑なに開けようとしない。昨日の今日で来るか?普通は。

 内心で自問自答する。その間もはドアを叩き続けた。


「シュエナ殿、開けるつもりがないならさ。俺は開けるまで待つからな!」


「……分かりました、あなたに居座られたら私が困りますし。開けます」


 シュエナは再度、深いため息をつきながら開けた。やはり、昨夜に来た皇太子だった。しかも、フードを被っていない。堂々と白昼に姿を晒している。お忍びのはずだが……。

 呆れつつ、皇太子を上げたのだった。


 シュエナは買付けに行く計画は変更せざるを得なかった。また、昨夜のようにハーブティーを出すわけにもいかない。仕方なく、お気に入りの上品な茶器を出す。ポットに水を入れ、コンロに掛ける。棚から家にある中では高めの茶葉を出して来た。

 ちょっと、良い茶菓子もだ。お湯が沸いてくる。コンロの火を消して茶漉ちゃこしに茶葉も入れて。ティーカップにそれを設置してから、お湯を注ぐ。ふわりと良い香りが台所に揺蕩う。少しの間、蓋をして蒸らした。

 壁にある掛け時計を見ながら、時間を計る。しばらくして蓋を開け、茶漉しは取り払った。ソーサーにティースプーンを置き、角砂糖が入ったガラス瓶、お皿に盛り付けた茶菓子と。トレーに載せ、リビングに向かう。


「お待たせしました、とりあえずは。お茶とお菓子を用意しましたので」


「すまないな、シュエナ殿」 


 シュエナは軽く頷き、皇太子の前にティーカップを置いた。お皿もだ。茶菓子はマドレーヌとフィナンシェにしたが。彼の口に合うかは分からない。


「……それでだな、昨夜に言った事だが」


「えっと、恋人とかそう言う話でしたか?」


「ああ、やはりまどろっこしい言い方は性に合わんな。シュエナ殿、俺の婚約者になってくれないか」

  

 シュエナは自身の飲む用のティーカップや茶菓子の皿を置いていたが。皇太子の言葉を聞いて、固まる。真っ昼間から何を言っている?

 寝言は寝てから言えよ!!激しく、内心で突っ込んだ。


「はあ、婚約者ですか」


「うん、言っとくが。俺は本気だぞ」


 シュエナは返答はせずに、椅子を引いて座る。黙って淹れたお茶を飲みながら、茶菓子を摘む。うん、フィナンシェもマドレーヌも美味しいわあ。現実逃避をして無視と決め込んだ。皇太子はしかめっ面になったが。気づかない振りをしたのだった。


 夕方になり、皇太子は帰って行った。やっと、阿呆から解放される。シュエナは不敬感満載な言葉を呟きながら、後片付けをする。

 アイツ、私が常人とは違うのを分かっていないのか?本気で魔女たる異形を嫁にだなんて。絶対に母親のお腹の中に常識とか、良識を置いてきたに違いないな。

 そう、一人で納得した。シュエナはヒトではない。敢えて言うなら、亜人だ。本来、魔女は魔族とヒトの間に生まれた混血の子を指す。たまに男性が生まれるが、女性の方がほとんどだ。

 姿形はヒトにそっくりだが、本質は違う。魔女は長命でヒトの何倍も生きる。シュエナも外見年齢は二十歳程だが。実年齢は優に八十を越えていた。

 ちなみに、はとこに当たるシェラ妃はヒトの血が濃くてそれ故に体が病弱だった。まあ、娘の女王は頑丈だから、心配はしていない。

 シュエナは何とはなしに片付ける手を止めた。窓から、夕暮れ特有のオレンジの陽光が差し込む。それにしばらくは見入った。

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