金色の魔女は夜明けの色に惑う

入江 涼子

第1話

  とある世界に、ルクセン王国があった。


 この国の王都の北側、郊外に金色の魔女がひっそりと棲んでいる。名前はシュエナと言う。実年齢は八十を過ぎているが、人で言うなら。二十歳と若い。そんな彼女は魔法を使うだけでなく、医術や薬学にも明るかった。

 毎日、王都の誰かを往診して調合した薬を処方し、治癒魔法を行使している。まあ、自身が魔女だと言う事実は伏せているが。

 今日もシュエナは調合した薬を卸問屋に持って行き、代金をもらいに来ていた。


「いつもありがとうね、シュエナちゃん」


「どういたしまして、ダンさん」


「シュエナちゃんの作る薬は質がいいからね、評判がなかなかなんだよ」


 問屋の店主こと、ダンは穏やかに笑う。シュエナも合わせて微笑んだ。


「……さ、もう夕方だし。代金はこれね、帰った方がいいよ」


「ありがとう、じゃあね。ダンさん」


「あ、シュエナちゃん。ごめん、ちょっと待っておくれ!」


 いつものように店を出ようとしたシュエナに、ダンはいきなり慌てて呼び止めた。どうしたのかと彼女は振り返り、足を止める。


「どうかしたの?」


「……シュエナちゃん、その。あまり、大きな声では言えないんだけどね」


「はあ」


「確か、ルクセンの隣のスルティアから皇太子殿下がお忍びで訪れているんだが。目的はご自身のお妃を探しに来たらしい。だからかな、ここらでは「皇太子殿下は妃を選びたいがために夜な夜な王宮を抜け出している」と、噂になっていて」


「……皇太子殿下が?」


「ああ、シュエナちゃんもまだ若いしね。こんな噂はガセだと思うが、気をつけるんだよ!」


「ふふっ、心配してくれるのね。ありがとう、気をつけて帰るわ」


 シュエナは頷き、今度こそ店を後にした。人知れず、小さくため息をついたのだった。

 

 一人で夕暮れの道を歩く。さっきは皇太子の事を言われてドキリとした。まだ、心臓が早鐘を打っている。

 そう、シュエナはスルティア皇国の皇太子を知っている。しかも、彼が幼い頃からだ。

 シュエナはしばし、回想に浸った――。


 あれは今から、二十年前になるか。スルティア皇国の皇太子は名をアンドレイと言った。当時、彼はまだ幼く、四歳。アンドレイは父の皇帝と共にある領地に視察に向かっていた。視察自体は無事に済み、二人は馬車で僅かな従者や護衛騎士らと帰路についていた。


『……陛下、殿下。賊が現れました!』


『む、それは本当か?!』


『はい、今は馬車から出ないでください!!対処は我らにお任せください!』


 騎士の一人が大声で呼び掛けると、馬車は急停止する。ヒヒィンと馬の嘶きが辺りに響き、騎士達の怒鳴り声や剣戟の音で騒然となった。シュエナはそれを遠くから眺める。大木の太い枝にまたがりながらだが。


(さて、どうするべきか……)


 騎士達は総勢で五人程か。賊の方が優勢なのはちょっと見ても分かる。すぐに、苦戦するであろう事が予想出来た。

 致し方無しとばかりに、馬車から皇帝本人も剣を片手に掩撃する。


『な、陛下?!あまりに危険です!』 


『……馬鹿者、余もまだそんなに年老いておらぬわ!これでは多勢に無勢だ、行くぞ!!』


『……はっ、御意に!』


 皇帝は地面に転がる騎士達に一瞥をやる。そうしてから、彼らが乗っていた馬の一頭に近づく。興奮している馬を軽く宥め、ひらりと身軽に飛び乗った。


『どうどう、セイン!そなたも早く乗れ!』


『はい!』


 セインと呼ばれた騎士も急ぎ、馬に乗る。たった二騎であるが、まだ残っていた賊に突っ込んでいく。なかなかに無茶をするなとシュエナは思う。


『……あ、父上!』


 が、馬車から小さな子供が転がり出て来た。あれは皇帝の息子、しかも皇太子だ。さすがにシュエナも看過はできない。仕方なく、太い枝から飛び降りた。


『父上ー!!』


『なっ、アンドレイ!?お前は来てはいかん!!』


 大声で皇帝が怒鳴りつける。それでも、半泣きで皇太子はそちらへ駆け寄った。


『……危ない!!殿下!!』


 不意に、皇太子にセインと言った騎士が駆けつけ、覆いかぶさる。ヒュンッと何かがシュエナの頭上を物凄い速さで過ぎった。トスッとそれが突き刺さる鈍い音が聞こえる。


『あ、セイン!?どうした!』


『……ご無事ですね?殿下』


『あ、あ。僕を……』


 皇太子はぼろぼろと涙を流しながら、覆いかぶさっていたセインにしがみつく。声は上げない代わりに小さくしゃくりあげた。


『殿下、どいて』


『……お前は?』


『私は魔女よ、そちらの騎士様の肩にある矢はね。毒が塗られているわ』


『え、本当か?』


『うん、今から騎士様の矢を抜き、治すから。どいてくださいな』


 おずおずと皇太子は頷く。そのまま、素直にどいてくれた。シュエナはうつ伏せになったセインの横に膝をつく。


『騎士様、治療をするわ。解毒もね』


『……あなたはサリア殿の娘さんか?』


『あら、母さんを知っているのね。そうよ』


『サリア殿も薬師としての腕が良かった、よく世話になったよ』


『とりあえず、治療をするわね。痛いけど、我慢して』


 騎士は微かに頷いた。近くにいた同僚の騎士に声を掛け、彼の着ていた上着やシャツなどを脱がせた。シュエナは両手に浄化魔法を掛け、清潔な状態にする。持っていたカバンから、ガーゼや包帯、精製水などを出す。手早く、彼の左肩に刺さった矢を抜いた。瞬時に浄化魔法で矢の先端に塗られていた毒を無効化する。傷口から入り込んだものもだ。

 傍らに置いていた精製水で再度、傷口を洗う。清潔な布で水気を拭き取り、度数が高い酒精で消毒する。手早く、ガーゼを当てた。包帯も巻いて器用に端を結んで固定する。


『さ、手当てはできたわ。騎士様、念のために解毒剤も飲んで』


『……すまないな』


『お詫びの言葉はいいから、早く飲んでちょうだい』


 シュエナは素早く出した解毒剤入りの小瓶の蓋を開けた。跪き、騎士の口元に小瓶をあてがう。ゆっくりと傾けて飲ませる。かなり、苦いが。背に腹は代えられない。騎士は軽く咳き込みながらもあらかたを飲みきった。


『うん、ほとんど飲めたわね。これなら一週間もすれば治るわ』


『あ、魔女殿!』


 後ろから大きな声で呼び掛けられた。振り返ると先程まで、賊と戦っていたはずの皇帝や他の騎士達がこちらに騎馬で向かって来る。


『……あ、陛下。それに仲間の騎士様達まで』


『おーい、久しぶりだな!!』


 返り血やら土やらで汚れた状態だが、皇帝一行は皆が無事なようだ。シュエナは毒矢で狙われたセイン以外は大丈夫そうだと見当をつける。


『……魔女殿、あの。セインを助けてくれてありがとう』


『あら、殿下。どういたしまして』


『うん、また会えたらさ。礼に何かさせてくれないか?』


『……考えておきます』


『分かった、約束だからな!』


 シュエナは驚いて軽く目を開いたが。すぐに、笑った。


『ええ、先程は失礼の数々を致しました。では失礼致します』


『ああ、またな!魔女殿!!』


 シュエナはひらひらと手を振る。そうして、転移魔法で場を後にした。


 回想に耽っている間に、自宅兼工房の一軒家に辿り着いていた。この家は母のサリアから受け継いだ。今はシュエナ一人だけだが。

 裏口に行き、鍵を解錠する。ドアを開け、靴を脱ぐ。室内履きに替え、裏口の鍵は再び施錠された。シュエナは自室に向かう。

 薬問屋にて渡された代金が入った麻袋を自室にある鍵付きの引き出しに仕舞った。


(さて、大分貯まったわね。これで新しい材料や器具の買い替えが出来る)


 ほくほく顔になりながら、引き出しの鍵を施錠する。外出着から普段着に替え、洗面所に行く。手を洗い、薄くしていた化粧も落としたのだった。


 台所に行き、夕食用のシンプルな野菜スープや黒パン、近所の家から安い値段で買った卵を使ったプレーンオムレツなどを作った。それらの支度が出来たら、テーブルにカトラリーを置いていく。コンロの方に再度行き、作った料理を盛り付けた。

 一通りが出来たら、椅子を引いて座る。食べる前に簡単に祈りを捧げた。カトラリーを手に取り、スープから飲み始める。塩とコショウ、少しだけクミンやコンソメを加えたスープはあっさりとしていて。けど、野菜と一緒に入れて煮込んだウィンナーのおだしが効いてなかなかの味だ。黒パンを千切って浸しながら食べる。これも程よく柔らかくなり、スープと合っていた。プレーンオムレツも今まで作った中では上出来だ。食事を楽しむシュエナだった。


 夕食も終え、湯浴みも済ませた。そろそろ、寝ようかとした頃に。家の玄関口から、ドアをノックする音がした。シュエナは驚きながらも慌てて自室の椅子の背もたれに掛けていたカーディガンを羽織る。室内は静かだし、店舗スペースの一番奥に自室があるのだが。平屋造りだから、大きな音がすると割と聞こえるのだ。


「はーい!」


 シュエナはよく通る声で返答しながら、玄関口に駆けて行った。鍵を解錠してドアを開ける。そこには外套のフードを目深に被った一人の男性が佇んでいた。


「……よう、久しぶりだな。魔女殿」


「え、あなたは。何故、ここが分かったの?」


「こちらの金の魔女殿に聞いた、親切にあれこれと教えてくれてな」


「……と、とにかく入って!もう、暗いし!!」


「上がらせてもらうぞ」


 男性は慌てるシュエナを物ともせず、悠々と中に上がり込んで来た。仕方なく、ため息を我慢しながらドアを閉めたのだった。

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