第3話『主婦、値切る、そして走る』



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### **第三話『主婦、値切る、そして走る』**


「へそくり!へそくり!へそくり!」

私の頭の中は、秘密のお小遣いのことでいっぱいだった。脳内で電卓が猛烈な勢いで回転する。リザードマンの鱗が1枚300円として、10枚集めれば3000円。これなら、デパ地下のちょっと高級なケーキだって買えるじゃないの!


「お母さん、完全に目が¥マークになってるよ。タイムセール、あと20分しかないんだけど」

菜々美が私のエプロンの裾を引っ張る。いけない、いけない。主婦たるもの、目先の利益に目がくらんで、本日の主目的を見失ってはならない。タイムセールも、へそくりも、両方手に入れてこそ一流の主婦よ!


「菜々美ちゃん、その『個人的に高く買ってくれる職人さん』って、どこにいるの?」

「確か、このダンジョンの中層にある『休憩広場』の隅で、非公式のジャンク屋をやってるってネットの掲示板に書いてあった。でも…」


菜々美の言葉を待たず、私は走り出していた。

「行くわよ!」

「あ、ちょっと待ってよ!」


中層の『休憩広場』は、その名の通り、冒険者たちが焚き火を囲んで休息する、洞窟内のオアシスのような場所だった。屈強な戦士たちが硬そうな干し肉をかじり、魔術師たちが次の戦略を練っている。そんな本格的な冒険者たちの視線をものともせず、私は広場の隅でガラクタのような商品を広げている露天商の前に立った。


店主は、ドワーフなのかゴブリンなのか判然としない、背の低い緑がかった肌の男だった。ギョロリとした目で、エプロン姿の私を値踏みするように見ている。

「へい、奥さん。何かお探しで?」

「これ、買い取ってもらえるかしら?」

私は懐から、先ほど手に入れた『リザードマンの鱗』をそっと差し出した。


店主は鱗を指先で弾き、光にかざして検分すると、ニヤリと汚い歯を見せて笑った。

「ほう、こいつは上物だ。よし、一枚200円でどうでぇ?」

「二百円ですって?」

私は心底驚いたような顔をして、大げさにため息をついた。

「まあ、店主さん。あなた、これの価値が分かってないのね。見てちょうだい、この鱗のキメの細かさ、このしっとりとした艶。これはね、毎日の食生活に気を使い、ストレスのない環境で育った、健康なリザードマンの鱗よ。うちの娘の肌より、よっぽどハリがあるわ」

「は、はあ…」

「それをたったの200円だなんて。まるで、旬を過ぎた見切り品の野菜を扱うようなものじゃないの。これじゃあ、この鱗を遺してくれたリザードマンに申し訳が立たないわ。ねえ、菜々美?」

私が話を振ると、菜々美は心得たように「うん。この子、きっと幸せな一生を送ったんだと思う」と悲しそうな顔で鱗を撫でた。


私たちの完璧なコンビネーションに、店主はタジタジになっている。

「わ、わかった!じゃあ250円!」

「300円。それ以下なら、持って帰って家のシンクを磨くわ。この輝き、きっとステンレスがピカピカになるもの」

私の毅然とした態度に、店主はついに根負けした。

「…わーったよ!300円だ!持ってきな!」


チャリン、チャリン。

エプロンの隠しポケットに、冷たくて重い、正真正銘の「へそくり」が滑り込む。私は満足げに微笑み、店主に会釈してその場を離れた。

「お母さん、すごい。近所の八百屋のおじさん相手にする時と全く同じ手口…」

「ふふん。値切り交渉は、主婦の必須スキルよ」


大勝利に酔いしれていた、その時だった。

菜々美のスマホが、無慈悲なアラームを鳴らした。

【タイムセール開始まで、残り10分です】


「しまった!」

私たちは顔を見合わせた。スーパーがあるのは、この広場を抜けた先、ダンジョンの最下層エリアだ。普通に行ったら15分はかかる。


「最短ルートはどこ!?」

「こっち!でも、この先は『オイル・スパイダー』の巣だよ!糸に捕まったら厄介だって!」


私たちは、迷わず最短ルートへ突っ込んだ。

そこは、壁や天井から油のようにベトベトした粘着性の糸が、無数に張り巡らされた通路だった。奥には、機械油のような匂いを放つ、巨大な蜘蛛のモンスターがうごめいている。

「うわっ、この糸、ベタベタして…!」

「任せなさい!」

私はリュックから、小麦粉の入った袋を取り出した。

「油汚れがひどい食器を洗う時、どうするか知ってる?最初に、粉をまぶして油を吸わせるのよ!」


私は、通路に張り巡らされた糸に向かって、小麦粉を豪快にぶちまけた!

白い粉が糸に付着し、ベタベタだった粘着性をみるみるうちに奪っていく。私たちは、粉まみれになって無力化された糸をかき分け、蜘蛛の横を駆け抜けた。


「やった!お母さんすごい!」

「さあ、ゴールはもうすぐよ!」


息を切らしながら通路を抜けると、目の前に探し求めていた光景が広がった。

ぼんやりと光る苔の代わりに、煌々と輝く蛍光灯。洞窟の壁ではなく、整然と商品が並んだ陳列棚。

ダンジョン最下層に広がる、スーパーマーケット『オアシス』だ。


そして、その入り口には、私たちと同じようにタイムセール情報を聞きつけ、目を血走らせた大勢の主婦や冒険者たちが、今まさに駆け込もうとしていた。

戦いの第二ラウンドのゴングが、今、鳴り響く!

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