第16話 獅子は今日も想う

 クラリッサが東郷に好意を抱いているのは確かだ。

 しかし、東郷はそれに気付きつつも、積極的に応じる様子は殆ど見られない。

《渡り鳥のガン》では社内恋愛禁止の社規は無い為、社員同士が恋仲になろうが自由だ。

 それでも東郷があまり動かないのは、やはり相手に気を遣っているに他ならない。

 職業柄、傭兵は危険なことが多い。

 戦死することは珍しくないし、また、拷問を受けたり、そもそも家族が狙われる可能性も十分にあり得る。

 家族を悲しませたり、傷付ける可能性がある以上、東郷が恋愛に否定的なのは当然のことだろう。

「……」

 風呂上り。

 いつものようにベランダで電子煙草を吸っていると、

「……ん?」

 下から視線を感じた。

 見下ろすと、玄関エントランス付近に黒塗りの高級車が停まっている。

 その周囲には明らかに堅気かたぎではない黒服の巨漢が勢揃い。

(……分かりやすいな)

 暴力団対策法暴対法施行以降、暴力団への規制は日を追うごとに強化され、現在では携帯電話の購入や賃貸借契約、更にはゴルフ場の利用等が禁じられている。

 勿論、第三者を経由して購入等することがあるのだが、それでも逮捕者が出ている為、抜け道が見つかった場合の危険性も大きい。

 そんな暴力団であるが、現在の生き辛い環境下でも生き残っている組織も居る。

(入居者に居るのは知らなかったな)

 賃貸契約等の規制は、法律が出来る前に結んでいた場合は、許されている為、入居者は若しかしたら、そのたぐいなのかもしれない。

 高級車の後部座席の扉を黒服が開ける。

「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう」

 颯爽さっそうと降りてきたのは、見慣れた制服を着た人物。

 同年代、しくは自分と1歳前後になるくらいの若い女性だ。

(そういえば、入学式に居たような……)

 当時はクラリッサを気にしていた為、他の生徒をあまり注目していなかったのだが、制服を見る限り、同じ学校であることは確かだ。

 女性は、和風美人と言った所か。

 長い黒髪に和服が似合いそうな雰囲気は、朝に放送されている、戦前を題材にしたドラマに出演している女優のようだ。

「……」

 視線を感じたのか、女子生徒は見上げる。

 美しい黒い瞳と目が合う。

 距離がある筈なのだが、それでも東郷には数cm先に感じられた。

 少し遅れて黒服も見上げる。

 東郷に気付き、明らかに不快そうな表情だ。

 しかし、威圧的に振る舞うことは無い。

 現代は、暴力団にとって厳しい世の中だ。

 自らが暴力団であることを公言した場合、状況次第では脅迫罪、若しくはそれよりも重い暴力行為等処罰法に当たる可能性がある。

 女子生徒と目が合って数秒後、彼女は目をく。

 漸く東郷と気付いたようだ。

 唖然とした表情を浮かべている。

 東郷は会釈して、室内に下がる。

 異性から凝視ぎょうしされるのは、性的嫌がらせセクシュアルハラスメントに当たる可能性があるだろう。

 室内では寝間着ねまきを着たクラリッサが待っていた。

「……」

 部屋に入った途端、にぱ~っと笑顔を見せる。

 それから抱き着いては、胴体に頬ずりを行う。

 少し離れていただけなのだが、それでもこの密着具合だ。

 相当、依存していることが分かるだろうか。

 東郷も悪いことにあまり拒否しない姿勢スタンスである。

 彼の優しさが逆効果になり、クラリッサはどんどん溺れているのだ。

「薬、飲んだ?」

「……」

 ふるふるとクラリッサは首を横に振る。

「ちゃんと飲むんだよ?」

「……」

 こくり、と可愛らしく頷く。

 頭ごなしではなく、優しい声音にクラリッサは、安心感を覚える。

 そして冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出した後、今度は薬が入った箱を開け、服用をし始める。

 入院中は服薬に抵抗し、抗精神病薬強制投与されていたが、東郷の前では素直だ。

 心を開いている相手が彼だけなのだから、仕方ない話なのかもしれない。

「……」

 東郷は服薬するクラリッサを見ながら、マットレスを引っ張り出しては、そこに寝転がる。

 戦場では不眠の時も多かったが、ここでは何も気にせず眠ることが出来る。

 数少ない懸念点は、繁華街が近い為、その喧騒けんそうだろうか。

 それでも砲弾が着弾する音や悲鳴等と比べると精神的負担ストレスは少ないので、それを考えるとこの程度は、微々びびたるものだ。

「……」

 ごくごくと、水を飲んだ後、クラリッサは態々わざわざ、東郷の目前にまで来ては、口を大きく開ける。

 飲んだよ、と証拠を示す為に。

 確認に関心は無いのだが、忠誠心の意思表示なのかもしれない。

 東郷としては、求めていないのだが、ちゃんと服薬しているのは安心材料ではある。

「頑張ったね」

「♪」

 嬉しそうに微笑むと、クラリッサはマットレスを持ってきては、東郷の横に並べる。

 彼女用の私室はあるにはあるのだが、そこを使わず、態々わざわざ居間リビング共寝ともねを選ぶ辺り、夜でもそばに居たいようだ。

 毛布を被っては、東郷を見る為、横になる。

 じー。

 普段はチラチラ見ている癖に、今は凝視ぎょうしだ。

 迷惑であるが、それでも東郷は拒否しない。

 戦場で多くの人がいる中で、寝網ハンモックで寝ていた経験がどんな状況下でも迷惑に感じるハードルを下げていた。

God nattナット

 スウェーデン語で「お休み」というと、クラリッサも、

God nattナット

 と返す。

 テロで両親を亡くして以降、家族の温かみを知らない彼女には、周囲で唯一、信頼している相手が東郷である。

 何をしても基本的に許してくれるし、そもそも発声が困難なことに対し、何ら不快感も嫌悪感も怒りも示さない。

 周囲と溝が出来ている現状、頼れるのも信じることが出来るのも彼以外居ない。

 クラリッサがつぐないとして肉体関係を迫るのも、その繋がりを断ちたくない表れもあるだろうか。

「……」

 東郷は微笑んで、目を閉じる。

 数秒後、寝息を立て始めた。

 クラリッサも睡眠薬が効いたのか、徐々に眠気が襲ってくる。

「……しょ、う、さ」

 落ちる寸前、何とか言葉を振り絞って愛しい人の頬に手で触れる。

 それから接近しては、その布団に潜り込む。

 マットレスは自分用のがあるのだが、それでも東郷と共有したいのは、夜でも密着したいからだ。

 眠る東郷を見ながら、クラリッサも徐々に意識が遠のいていく。

Jagヤー älskarエルスカル digデイ

 スウェーデン語で「愛してる」と伝えた後、クラリッサは静かにその頬に口づけするのであった。


[参考文献・出典]

 恐喝・脅迫弁護士相談ナビ HP

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