第17話 孤独な令嬢・紅葉凛

 翌日、東郷とクラリッサは、登校の為に部屋を出る。

 マンションから学校は徒歩圏内にあるので、すぐに着く。

 マンション内には、学校に通う留学生や国内生とその家族も住んでいることから、廊下等ですれ違うことも珍しくは無い。

 一緒に廊下に出た直後、隣の部屋の玄関が開く。

「……」

 出てきたのは昨日、目が合った黒髪の女子生徒。

 気付かなったが、隣人だったようだ。

 マンション内には、黒服は居ない。

 あまりにも威圧感がある為、流石に施設の中にまでは入ってこないのかもしれない。

 現在の日本社会では、「ヤクザに人権無し」と表現されるほど、その人権は制限されている。

 口座の開設や携帯電話も契約も不可能なのが、暴力団の現実である。

 更に暴力団排除条例暴排条例の中の元暴5年条項によって暴力団を離脱しても偽装対策から、5年間は、現役組員同様、制限の対象だ。

 また、この期間は「少なくとも」であって、5年経っても必ず制限が解除される訳ではない。

 人によっては、5年以上かかってようやく解除されることも、よくある話なのだ。

 この期間内に耐えきれず、結局、暴力団に戻る元組員も居る為、この元暴5年条項については批判的な意見もある。

 暴力団は反社会的勢力の為、元組員であっても厳しい監視下に置かれるのは仕方ないのであるが、逆にそれが元組員の進路を制限しているのも事実だ。

 そのような環境に近い彼らの家族は、当然、周辺から危険視されることもあれば、不安視されることもある。

 彼女を守る黒服がマンションの中に入ってこないのは、周辺住民に配慮した格好なのだろう。

 玄関の電気錠が締まった時、彼女は視線に気付き、振り返る。

 そこで東郷と目が合う。

「あ……」

 女子生徒は、固まった。

 昨日、会った男子生徒が同じ廊下に居るのだ。

 東郷は、苦笑いで応える。

「初めまして、隣室に住んでいる東郷大和です。こちらはクラリッサ」

 現代はネットの普及等により、以前と比べて近所付き合いが希薄になっているとされる。

 実際、数字にも表れている。


              近所付き合いの程度

          親しく付き合っている 付き合っていない

 昭和50(1975)年 52・8%        13・6%

 平成2(1990)年 21・1%        30・1%

 令和6(2024)年 9・3%         44%

(出典:内閣府「社会意識に関する世論調査」)


 昭和50(1975)年時点で約半分あった親しい付き合いが、約50年後の令和6(2024)年には10%を下回っているのが、日本の今の社会なのである。

 その為、隣人の名前や顔を知らないことは珍しくない。

 極論、隣人が犯罪者であっても気付く人は少ないかもしれない。

 東郷も女子生徒も相互が隣人の関係性にあるとは、知らなかったのは、このご時世的に驚くことではないだろう。

「……初めまして」

 きょかれたが、隣人なのもあって挨拶を返さない訳にはいかない。

 女子生徒は、お辞儀後に口を開く。

「……初めまして。紅葉凛です」

 暴力団は、伝統的に礼儀作法に厳しいとされる。

 現代ではあまりの厳しさから、入ることを敬遠する若者も居る為、寛容になっている組織もあるようだが。

 凛の立ち振る舞いを見る限り、実家の組織は礼儀作法を今なお、重視しているのかもしれない。

「その……恥ずかしながら隣室は空室かと思っていまして、ご挨拶が遅れました。申し訳ございません」

 再びお辞儀する。

 礼儀作法の世界では、謝罪を示すお辞儀の角度は45度とされている。

 東郷にはそれを確認するすべは無いが、体感的には、角度はバッチリだろうか。

「いえいえ、こちらも申し訳ございません」

 東郷も同じように45度でお辞儀し返す。

 依頼人クライアントに好印象を抱かせる為にも徹底的に礼儀作法を会社から教え込まれた分、無作法な真似はしない。

「……」

 お辞儀を返されたことに凛は、驚いた様子で固まる。

 自身が暴力団の家に生まれた分、それなりに理不尽な目にうことが多かったのかもしれない。

 事実、すれ違うマンション内の住民は、凛を見るなり、緊張した様子で会釈している。

 本人に非が無いとはいえ、それでもやはり暴力団を連想してしまい、あのような反応になってしまうのかもしれない。

 東郷も堅気かたぎなら、恐らくそうなってしまうだろう。

 ただ、仕事柄、東郷は、マフィア(イタリア、ロシア、アメリカ、中華圏、イスラエル等)や麻薬カルテル等と接することが多い為、犯罪組織への抵抗感は薄い。

「……その」

「はい?」

「……私のこと、怖くないんですか?」

 周辺とはまるで違う反応に、凛は興味津々だ。

 どこか期待めいたようにも見える。

「怖くはないですね」

「……私のこと、知らないんですか?」

「と、言いますと?」

「……その……家族が……」

 非常に言い難そうだ。

 その先は、唇を噛んでは言わない。

 本人としては、かなり触れられないのだろう。

「ああ、その話ですね」

「!」

 凛は目を見開く。

「別に気にしませんね。親がどのような人間であろうが、子どもには無関係な話ですので」

「……」

 唖然とする凛。

 反応からして、恐らく初めての回答だったのかもしれない。

「その……失礼ですが、本心ですか?」

勿論もちろん。出なければ長話ながばなししませんよ」

「……」

 待ち焦がれていた答えに凛は、どんどん心が温かくなっていく。

 暴力団を家族に持つ人々は、過酷な人生を送っている。

 虐待や性暴力、育児放棄を受けたり、就職や結婚が困難であったり、運良く就職できたとしても家族の素性が露見した場合、会社と諍いトラブルになる可能性もある。

 もっとも、就業に関しては救われている部分もある。

 法務省が平成19(2007)年に示した『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針』によって家族や親族に組員が居たとしてもその個人は、非密接交際者として分類されている。

 その為、就業に関しては、規則上は問題無い。

 それでも企業イメージを重視する企業は、リスク対策から避けることも多いだろう。

 凛の場合は、幸運にもそのような過酷な人生を送っている訳ではないのだが、それでも周囲の人々から避けられる場面が多く、普段から孤独を感じていた。

 しかし、目の前の東郷は、全然そのが無い。

 むしろ、1人の人間として接している。

(ああ……良かった)

 心の底から安堵し、凛は勇気を出す。

「あの……」

「はい?」

「友達になってくれませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る