第4章 地下迷宮の試練

王から命じられた試練――地下迷宮の調査。

 それは王都の外れ、古い森の奥に口を開けた大穴に存在すると伝えられていた。


「……本当に行くんだな」

 冒険者ギルドに戻ると、受付の女性が眉をひそめた。

「地下迷宮は一流の冒険者でも命を落とす場所。新人が挑むなんて無茶よ」


「分かっています。それでも、やらなきゃいけないんです」

 私が答えると、彼女はしばし黙り込み、やがて溜息をついた。


「ならせめて準備を整えていきなさい。薬草、食糧、松明……全部命綱よ」


 私たちは報酬で得た金をはたき、必要なものを買い揃えた。

 回復薬を小瓶に詰め、火打ち石と縄を背負い、ミラの矢筒も補充する。

 レオンは新しい盾を選び、鏡のように磨かれた鉄面を見つめていた。


「なぁアレン」

「ん?」

「……正直、怖い」

 彼の拳が小刻みに震えていた。

「オーガを倒せたのも奇跡みたいなもんだろ。今度はそうはいかないかもしれない」


 私はしばし考え、静かに頷いた。

「俺だって怖いよ。でも、三人でならきっと帰ってこられる」


 その言葉に、レオンは苦笑した。

「……お前、ほんと図太いな」


 ミラも横から割り込むように笑う。

「でも、それがアレンのいいところよ。私も信じる」


 三人の間に、恐怖よりも強いもの――信頼が芽生えていた。



 二日後。

 森の奥で、私たちはその入口を目にした。


 地面が裂けたように口を開け、黒い闇が底なしに続いている。

 周囲の空気は冷たく湿り、鳥も虫も近寄らない。


「……ここが地下迷宮」

 ミラが矢を握りしめ、声を震わせた。

 レオンは盾を構え直し、私も杖を手に取る。


 深呼吸をして、私は一歩を踏み出した。

 背後で松明の火が揺れ、長い影が壁に踊る。


 その瞬間、空気が一変した。

 生ぬるい風が吹き抜け、耳の奥で低い囁きが聞こえた気がする。


『――来タ……異界ノ魂ヨ』


「な、なんだ……!?」

 心臓が跳ね、思わず杖を構えた。

 だが次の瞬間、囁きは霧のように消えていた。


「アレン?」

 ミラが心配そうに覗き込む。

「……なんでもない。気のせいだ」


 本当は違う。

 確かに誰かが私に語りかけていた。

 だが今は、二人を不安にさせるわけにはいかなかった。



 迷宮の中は、石でできた古代の通路だった。

 壁には苔が張り付き、天井からは水滴が滴り落ちる。

 進むたびに靴音が反響し、不気味な静けさが耳を圧迫する。


「……出るぞ!」

 レオンの声と同時に、闇の中から影が飛び出した。


 それは赤い目を光らせる巨大なコウモリ――いや、牙を持つ魔物だった。

 数匹が一斉に襲いかかる。


「燃えろ!」

 私は炎を放ち、先頭の一体を焼き払った。

 ミラの矢が正確に翼を射抜き、レオンの盾が体当たりで叩き落とす。


 だが数が多い。

 視界の隅から次々に飛びかかり、翼の音が耳をかすめる。


「くそっ、きりがねぇ!」

「アレン、後ろ!」


 振り返った瞬間、鋭い牙が迫る――。



振り返った瞬間、牙の閃きが目前に迫った。

「アレン!」

 レオンの叫びと同時に、彼の盾が割り込んだ。金属の衝撃音が響き、魔物が弾かれて石壁に叩きつけられる。


「くそっ……助かった」

「油断すんなよ! ここは村の森じゃねぇ!」


 息を切らしながら、私は再び炎を練り上げる。

 掌に集まる熱が脈打ち、渦巻く赤が魔物たちを飲み込む。

 轟音と共に炎が弾け、残った魔物が焼き尽くされた。


 硝煙の匂いが残る通路に、ようやく静寂が戻った。



「はぁ……はぁ……大丈夫か?」

 レオンが盾を支えながら尋ね、私は小さく頷いた。

「なんとかな」


 ミラは弓を下ろしながらも、険しい表情を崩さなかった。

「ねぇアレン……さっきから、何かに怯えてない?」


 図星だった。

 迷宮に入って以来、あの声が頭から離れない。

 私だけが聞いているその囁きは、確実に何かを伝えようとしていた。


「……後で話すよ。今は先に進もう」


 私がそう告げると、二人は渋々ながら頷いた。



 さらに奥へと進むと、通路は広間へと開けた。

 中央には巨大な石像――人の姿を模した古代の守護者が立ち塞がっていた。

 その目が赤く光り、轟音と共に動き出す。


「ゴーレムだ!」

 レオンが叫ぶ。

 巨腕が振り下ろされ、床が砕けた。


 私は咄嗟に炎の盾を展開し、衝撃を受け止める。だが力が桁違いで、膝が軋んだ。


「アレン、避けて!」

 ミラの矢が顔面に突き刺さるが、石の巨体はびくともしない。


「俺が引きつける! 二人は隙を狙え!」

 レオンが盾を構え、巨体の前に躍り出た。


「馬鹿、無茶するな!」

「言ってられっか!」


 彼の叫びに背を押され、私は必死に魔力を練る。

 体中を焼くような熱――だがそれでも足りない。

 もっと強い炎が必要だ。


 その瞬間、再びあの声が耳の奥を打った。


『――力ヲ解キ放テ。汝ハ異界ノ魂ナリ』


「っ……!」

 視界が赤く染まり、胸の奥が熱に爆ぜる。

 炎が渦を巻き、私の杖の先に集束していく。


「燃えろぉぉぉッ!!」


 咆哮と共に放った炎が奔流となり、ゴーレムの胸を直撃した。

 石が溶け、巨体が揺らぎ、ついに轟音を立てて崩れ落ちる。



 広間に残ったのは、静寂と石屑の山だけだった。

 私は膝をつき、荒い息を吐き出す。

 全身が汗に濡れ、魔力もほとんど残っていなかった。


「アレン!」

 駆け寄るミラが肩を支え、レオンも息を荒げながら笑った。

「やるじゃねぇか……お前の火、本物だ」


 だが私は素直に喜べなかった。

 あの炎は、自分の意思だけで放ったものじゃない。

 ――あの声が、導いたのだ。


『異界ノ魂ヨ……更ナル試練ガ汝ヲ待ツ』


 最後に囁きが響き、消えた。

 胸に残ったのは勝利の高揚ではなく、得体の知れぬ恐怖だった。



 迷宮の最奥には、古びた石の祭壇があった。

 その中央に光る紋章が浮かび、まるで私を待っていたかのように脈動している。


「これが……王の言っていた不穏の源か?」

 レオンが呟く。


 近づいた瞬間、紋章の光が私の手に吸い込まれた。

 焼けるような痛みと共に、皮膚に赤い刻印が浮かび上がる。


「アレン!」

 ミラが慌てて手を取るが、不思議と苦痛は一瞬で消え、ただ痕だけが残った。


「これは……」

 刻印は炎を象るような形をしていた。


 胸の奥で確信が芽生える。

 ――これは、私の存在がこの世界に選ばれた証だ。



 迷宮を出たとき、空はすでに夕焼けに染まっていた。

 三人は疲れ果てながらも、互いの存在に支えられて立っていた。


「生きて帰れたな」

 レオンが笑う。

「当たり前よ。これからもずっと一緒なんだから」

 ミラの声には、涙混じりの強さがあった。


 私は二人を見つめ、深く頷いた。

「……ありがとう。俺は一人じゃない」


 だが心の奥では、刻印の熱がまだ微かに疼いていた。

 それは希望であり、不安であり――やがて訪れる更なる試練の予兆でもあった。

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