第4章 地下迷宮の試練
王から命じられた試練――地下迷宮の調査。
それは王都の外れ、古い森の奥に口を開けた大穴に存在すると伝えられていた。
「……本当に行くんだな」
冒険者ギルドに戻ると、受付の女性が眉をひそめた。
「地下迷宮は一流の冒険者でも命を落とす場所。新人が挑むなんて無茶よ」
「分かっています。それでも、やらなきゃいけないんです」
私が答えると、彼女はしばし黙り込み、やがて溜息をついた。
「ならせめて準備を整えていきなさい。薬草、食糧、松明……全部命綱よ」
私たちは報酬で得た金をはたき、必要なものを買い揃えた。
回復薬を小瓶に詰め、火打ち石と縄を背負い、ミラの矢筒も補充する。
レオンは新しい盾を選び、鏡のように磨かれた鉄面を見つめていた。
「なぁアレン」
「ん?」
「……正直、怖い」
彼の拳が小刻みに震えていた。
「オーガを倒せたのも奇跡みたいなもんだろ。今度はそうはいかないかもしれない」
私はしばし考え、静かに頷いた。
「俺だって怖いよ。でも、三人でならきっと帰ってこられる」
その言葉に、レオンは苦笑した。
「……お前、ほんと図太いな」
ミラも横から割り込むように笑う。
「でも、それがアレンのいいところよ。私も信じる」
三人の間に、恐怖よりも強いもの――信頼が芽生えていた。
◆
二日後。
森の奥で、私たちはその入口を目にした。
地面が裂けたように口を開け、黒い闇が底なしに続いている。
周囲の空気は冷たく湿り、鳥も虫も近寄らない。
「……ここが地下迷宮」
ミラが矢を握りしめ、声を震わせた。
レオンは盾を構え直し、私も杖を手に取る。
深呼吸をして、私は一歩を踏み出した。
背後で松明の火が揺れ、長い影が壁に踊る。
その瞬間、空気が一変した。
生ぬるい風が吹き抜け、耳の奥で低い囁きが聞こえた気がする。
『――来タ……異界ノ魂ヨ』
「な、なんだ……!?」
心臓が跳ね、思わず杖を構えた。
だが次の瞬間、囁きは霧のように消えていた。
「アレン?」
ミラが心配そうに覗き込む。
「……なんでもない。気のせいだ」
本当は違う。
確かに誰かが私に語りかけていた。
だが今は、二人を不安にさせるわけにはいかなかった。
◆
迷宮の中は、石でできた古代の通路だった。
壁には苔が張り付き、天井からは水滴が滴り落ちる。
進むたびに靴音が反響し、不気味な静けさが耳を圧迫する。
「……出るぞ!」
レオンの声と同時に、闇の中から影が飛び出した。
それは赤い目を光らせる巨大なコウモリ――いや、牙を持つ魔物だった。
数匹が一斉に襲いかかる。
「燃えろ!」
私は炎を放ち、先頭の一体を焼き払った。
ミラの矢が正確に翼を射抜き、レオンの盾が体当たりで叩き落とす。
だが数が多い。
視界の隅から次々に飛びかかり、翼の音が耳をかすめる。
「くそっ、きりがねぇ!」
「アレン、後ろ!」
振り返った瞬間、鋭い牙が迫る――。
◆
振り返った瞬間、牙の閃きが目前に迫った。
「アレン!」
レオンの叫びと同時に、彼の盾が割り込んだ。金属の衝撃音が響き、魔物が弾かれて石壁に叩きつけられる。
「くそっ……助かった」
「油断すんなよ! ここは村の森じゃねぇ!」
息を切らしながら、私は再び炎を練り上げる。
掌に集まる熱が脈打ち、渦巻く赤が魔物たちを飲み込む。
轟音と共に炎が弾け、残った魔物が焼き尽くされた。
硝煙の匂いが残る通路に、ようやく静寂が戻った。
◆
「はぁ……はぁ……大丈夫か?」
レオンが盾を支えながら尋ね、私は小さく頷いた。
「なんとかな」
ミラは弓を下ろしながらも、険しい表情を崩さなかった。
「ねぇアレン……さっきから、何かに怯えてない?」
図星だった。
迷宮に入って以来、あの声が頭から離れない。
私だけが聞いているその囁きは、確実に何かを伝えようとしていた。
「……後で話すよ。今は先に進もう」
私がそう告げると、二人は渋々ながら頷いた。
◆
さらに奥へと進むと、通路は広間へと開けた。
中央には巨大な石像――人の姿を模した古代の守護者が立ち塞がっていた。
その目が赤く光り、轟音と共に動き出す。
「ゴーレムだ!」
レオンが叫ぶ。
巨腕が振り下ろされ、床が砕けた。
私は咄嗟に炎の盾を展開し、衝撃を受け止める。だが力が桁違いで、膝が軋んだ。
「アレン、避けて!」
ミラの矢が顔面に突き刺さるが、石の巨体はびくともしない。
「俺が引きつける! 二人は隙を狙え!」
レオンが盾を構え、巨体の前に躍り出た。
「馬鹿、無茶するな!」
「言ってられっか!」
彼の叫びに背を押され、私は必死に魔力を練る。
体中を焼くような熱――だがそれでも足りない。
もっと強い炎が必要だ。
その瞬間、再びあの声が耳の奥を打った。
『――力ヲ解キ放テ。汝ハ異界ノ魂ナリ』
「っ……!」
視界が赤く染まり、胸の奥が熱に爆ぜる。
炎が渦を巻き、私の杖の先に集束していく。
「燃えろぉぉぉッ!!」
咆哮と共に放った炎が奔流となり、ゴーレムの胸を直撃した。
石が溶け、巨体が揺らぎ、ついに轟音を立てて崩れ落ちる。
◆
広間に残ったのは、静寂と石屑の山だけだった。
私は膝をつき、荒い息を吐き出す。
全身が汗に濡れ、魔力もほとんど残っていなかった。
「アレン!」
駆け寄るミラが肩を支え、レオンも息を荒げながら笑った。
「やるじゃねぇか……お前の火、本物だ」
だが私は素直に喜べなかった。
あの炎は、自分の意思だけで放ったものじゃない。
――あの声が、導いたのだ。
『異界ノ魂ヨ……更ナル試練ガ汝ヲ待ツ』
最後に囁きが響き、消えた。
胸に残ったのは勝利の高揚ではなく、得体の知れぬ恐怖だった。
◆
迷宮の最奥には、古びた石の祭壇があった。
その中央に光る紋章が浮かび、まるで私を待っていたかのように脈動している。
「これが……王の言っていた不穏の源か?」
レオンが呟く。
近づいた瞬間、紋章の光が私の手に吸い込まれた。
焼けるような痛みと共に、皮膚に赤い刻印が浮かび上がる。
「アレン!」
ミラが慌てて手を取るが、不思議と苦痛は一瞬で消え、ただ痕だけが残った。
「これは……」
刻印は炎を象るような形をしていた。
胸の奥で確信が芽生える。
――これは、私の存在がこの世界に選ばれた証だ。
◆
迷宮を出たとき、空はすでに夕焼けに染まっていた。
三人は疲れ果てながらも、互いの存在に支えられて立っていた。
「生きて帰れたな」
レオンが笑う。
「当たり前よ。これからもずっと一緒なんだから」
ミラの声には、涙混じりの強さがあった。
私は二人を見つめ、深く頷いた。
「……ありがとう。俺は一人じゃない」
だが心の奥では、刻印の熱がまだ微かに疼いていた。
それは希望であり、不安であり――やがて訪れる更なる試練の予兆でもあった。
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