第17話 『増川と小松原と七緒、加賀屋先輩を探す。』


 営業部のデスクで、増川は仕事を終えようとしていた。

 今夜も、横浜へ向かうつもりだった。


「増川先輩、ちょっといいですか?」


 小松原さんが声をかけてきた。隣には中津さんもいる。


「はい」


「なにか小松原にも手伝えることがあるなら、お願いします! 言ってください!」


 小松原さんが、真剣な顔で言った。


「え……」


「井上ちゃんのためだよ。小松原ちゃんがそうしようって言うから、あたしも手伝おうと思ってさ。ね、小松原ちゃん」


 中津さんの言葉に、小松原さんもしっかりと頷いた。


「はい。みなみさんが早く前みたいに元気出してくれるように、小松原、増川先輩を手伝いたいんです!」


 増川が事情を話せないままの二人が、それでも協力を申し出てくれた。


「……ありがとう、ございます」


 どう言えばいいのか、わからない。

 わからないけれど、増川は、それを嫌だとは思わなかった。



   *



 その日も横浜の夜を、増川は彷徨っていた。

 桜木町の駅前、人波を縫って赤レンガ倉庫へ。

 海風が潮の匂いを運んでくる。


 ――加賀屋先輩。


 三人で手分けして探している。

 中津さんと小松原さんは山下公園周辺。

 増川は、みなとみらいから桜木町にかけてのエリアを探していた。


 携帯が震える。中津さんからだ。


『弾き語りの人、こっちはまだ見つからない。そっちは?』


『こちらも、まだです』


 短く返信して、歩き続ける。


 仕事を終えてから、足は自然と横浜へと向かってしまう。


 ギターの音が聞こえれば立ち止まり、違うと知れば、心臓が重く沈む。


 ――あの晩、先輩は、もっと大きな声で歌っていた。


 まるであのころのような、誰よりも強く、真っ直ぐで、眩しい声に戻っていた。


 いつも隣にいたのは、沙耶香先輩。

 大学のグラウンドで、彼女が加賀屋先輩に、いつも笑顔で差し入れを渡していた姿を思い出す。

 羨望と、憧れ。


 そして、どうしようもない、距離。


 けれど、沙耶香先輩は泣いていた。

 「加賀屋先輩と別れた」と言った、あの日の震える声。

 その涙に手を伸ばしたのは、慰めたかったからなのか、それとも、増川の弱さのせいだったのか。


 ――結局、僕は、何をしてきたんだ。


 増川は立ち止まり、観覧車の光を見上げた。

 夜空に浮かぶ宝石の輪が、胸の奥をえぐる。



   *



 四日目の夜。


 海沿いの遊歩道を歩く。


 潮風は涼しいのに、背中には汗が滲んでいた。


 そのとき、遠くからギターの音が響いた。


 一本の旋律が、胸を貫く。


 ――あの音だ。


 息を呑む。

 あの指の運び。加賀屋先輩の音。

 忘れられるはずがない。


 増川は駆け出した。

 人混みを押しのけ、灯りを縫うように走る。

 足音が、夜の石畳に響く。


 そして――そこにいた。


 街灯の下、痩せた体でギターを抱え、声を上げて歌う男。


 加賀屋先輩。


 かつて陸上部のエースだった両肩が、今は小さく見えた。

 けれど、その瞳だけは、あのころと同じ光を宿している。


 曲が終わり、まばらな拍手が散る。

 加賀屋先輩が、顔を上げた。


 二人の目が、重なった。

 時が止まったかのように。


 先輩の唇がかすかに震え、悔しそうに、名前を呼んだ。


「……増川」


 その声は夜風にさらわれながらも、増川の耳に、確かに届いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る