第18話 『加賀屋、過去を振り返る。』


 ――いやもう、俺が全部、悪い。


 ほんまそれ。


 けどな、きっかけは膝やったんよ。俺の膝が唐突に、俺を裏切った。俺の、右膝が。


 大学のエースだったもんで、

 あの日も、調子乗って走ってた。


 「バキッ!」


 え、バキッて何?

 って感じやけど、ほんまにそんな音がして。


 立ち上がれへん痛みと。


 気づいたら、陸上人生ごと、終了ボタン押されとった。


 全国大会も出て、

 後輩にも慕われてて、


 特に、増川。


 ゴールテープ切ると、あの真面目ボウズがキラキラした目でタオル持ってくる。


 まるでそれが、自分の役割だって言いたげに。


「先輩、すごいです!」


 ……そら誇らしいやろ。


 俺は嘘つかん増川が、一番お気に入りの後輩だった。


 でも俺はもう、走られへんから。


 だから増川に会うのが、ぶっちゃけキツかった。


 俺はここで止まってんのに、あのボウズはまだ、走っとるんやなぁ、って。


 さすがに、キツイって。


 だから、中退した。


 いやぁ、それから俺はずっと、よう逃げたわ。



   *



 そこからはサヤカ――植戸沙耶香に逃げ込んだ。


 サヤカは、実際健気だった。


 同郷で、大学も俺を追っかけて入ってきて、いつも笑顔で差し入れ持ってきて。


 俺と一緒に、大学辞めてくれて。


「大丈夫やで、加賀屋くん。一緒に頑張ろな」


 なーんて、言うてくれる。


 ……そら甘えるやろ。


 情けないとは思う。

 けど、俺は、ズブズブに甘えてもうた。


 働かなアカンのに、音楽に逃げて。


 陸上の道具をみーんな捨てて、俺にはギターだけが残った。


 けど路上ライブなんて、はっきり言ってなんの金にもならん。


 缶コーヒー1本買えたら、それで御の字みたいな世界や。


 生活費はサヤカのバイト代。


 俺はといえばただのお荷物。


 いわゆる、クズ。


 それでもサヤカは、「大丈夫やで」って笑う。


 ……いや、途中から、無理しとる顔にしか見えんかったって。



   *



 で、ある日言いよんねん。


「増川くんと、たまに会うてるんや」


 ……はい出ました、その名前。

 俺の心臓はストップです。


「加賀屋くんの様子、気にしてくれてるんやで」って。


 何も言えへんよ。


 だって増川は、ほんまに俺を心配してくれるような、バカええやつやし。


 せやけど、俺は比べるわけ。


 どうせ社会人としてちゃーんと生きとる増川と、片や路上で小銭稼ぐくらいしか能のない、俺。


 なあ。増川、いったい誰の何が、『すごいです』だったんやろ?


 なあ。増川、俺、ほんまに惨めやわ。


 それから、サヤカと増川が会う回数、増えていったん。


 俺はずっと気づかんふりしとった。


 いや、気づきたくないだけ、やったんやろな。



   *



 借金は膨らむし、ギター機材は壊れるし、飯代も足らん。


 もう、とっくに詰んどんねん。


 で、サヤカの携帯に、増川からのメッセージを見てしまって。


 『また会えて嬉しかった』


 はい、心臓再ストップ。もう無理。俺は二度死んだ。


 地獄って多分、こういう気持ちで落ちるんやろなってくらい、心臓が痛ぁくなって。


 それでも、俺は、サヤカを問い詰めたら全部終わる気がして、何も聞かれへんかった。


 代わりに、増川にはちゃっかり連絡した。


「サヤカと会ってんの、知ってる」


 増川は、あのとき、どんな顔してたかな。


「金、貸してくれへんか。百万」


 アホやろ? 百万やで。


 普通は断るやん。でもアイツ、即答やねんな。


「先輩のためなら、すぐ用意できます」


 ……違う。


 これは、増川の、償いや。


 そう言い訳しながら受け取った。


 なんの償いって、閻魔様がおるなら多分、『俺らが勝手に巻き込んで、傷つけた分の償い(むしろお前が払えや)』って、言うやろな。


 でも俺は増川がほんまは全然悪ないの分かってて、


 ……分かってて、それを、受け取ってもうた。


 で、そのままサヤカ連れて、消えたったんや。


 逃げたったんや。


 全部から。



   *



 でもすぐ、サヤカも結局出て行った。


 「もう無理や」って。せやろな。


 俺なんか、そら無理やろな。


 平気なやつ、おるわけないわ。


 残ったんは、借金と、ギターだけ。


 毎日路上で歌う。


 小銭ジャラジャラ。人生ジャラジャラ。


 ……で、今夜や。


 人混みの向こうで、目ぇ合ってもうた。


 増川やん。


 ネオンがギターに反射して、六年前の夕焼けが見えた気がした。


 胸がきゅっと、締め付けられた。


 あかん。


 もう、逃げられへん。


 だってこれ以上、俺、どこに逃げれるって言うの?


 声出したら、震えてもうた。


 すまん。


 ホンマに、すまんかった、って、俺ずっと。


 ずっと、お前に、言いたかったのになあ。

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