第17話 イロイが回想します

____7年前だ。


ちょうど私が「ザミヘル共和国魔法武芸連合学校・ミニノア校」に入学する前のこと。


「お姉ちゃん、魔法教えてよっ!」


私のスカートの裾を摘んで、二つ下の妹____カリマがねだる。

だが、私はそれをひどく鬱陶しく思っていた。

今思い返しても、相当に嫌な姉だったに違いない。


「魔法?だから何回も言ってるでしょ、あなたには無理なの、諦めな」


「そんなことないっ!!だってお姉ちゃんは天才なんでしょ?だったらカリマもそうだよ!詠唱だっていっぱい覚えたの!えっとね、はくじつのまほう?てんこ____」


「やめてよ!無駄なことしてないで、さっさとお母様のとこに行きなさい!」


私が怒鳴ると、妹は泣くでもなく、怯えるでもなく、ただ呆然として、それから去っていった。

おそらく、妹は姉がなぜ怒っているのかが、全く見当もつかなかったのだろう。

私も当時は自分が何に苛立っているか分からなかった。


私は5歳にして第二階梯の「黎明の魔法」が使えた。

それは帝国史を振り返っても非常に稀有な習得速度だった。

そもそも、魔法の階梯が1日の時系列になっているのは、そのまま人生における習得の目安とするためでもある。

10で残夜、20で黎明、それで精人の中の凡人。ほとんどの人はそこで成長が止まる。そして30で白日の魔法が使えれば優秀。40で宵闇は天才の証明。50で星辰に至れるのは、世代に1人いるか否か。


私はそこに加えて、精霊使いでもあった。

おまけ程度の力ではあるものの、天使を使役できるとなれば汎用性は広がる。

そしてこれらの希少な才能は、母と父から愛情よりも欲を引き出した。いや、引き出しているように、私には見えていた。


バスタナ家は地方の有力貴族であって、そして共和派の急先鋒でもあった。

帝国制の打倒を目指す父にとって、その長女は有用以外の何者でない。

だから、私は貴族の淑女らしい教育だけを受ける妹が、両親の純粋な愛を受ける妹が、単純に羨ましく、そして妬ましかったのだ。

妹が私の才能に憧れる。

それを嫌味と言わずしてなんと言おう。

そして、妹の憧れる魔法の訓練はこの上もなく苦しいものだった。


「___【白日の魔法】天______ぐっ____がぁっ!!」


その当時、7歳だった私はすでに白日の階梯を習得しようと必死だった。要するに生き急いでいた。天才という周囲の期待に答えるために。

だが、魔法の行使の失敗は、肉体へのダメージが大きい。

それは魔法が体内で爆発するのと同義だ。

そもそも魔法とは、精霊の住う世界、その世界は人間世界と重なるように存在しているとされるが、そこにパスをこじ開けて力を引き出す行為だ。

流れ込む力は一方通行。

ゆえに、世界に、外に流せなかった力は体内で発散するしかない。


「原理的には、魔法を使える時点で、星辰の階梯に至っている」


私は自分に言い聞かせる。

7歳にしては、私は非常に知的にも賢かった。

魔法の原理を、体感的にも、論理的にも理解していた。

いや、逆かもしれない。

理解していなければ、そもそも高位の魔法は使用できない。


「精霊と同じだ。出力の調整ができないから、自己防衛的に弱い魔法しか出せないんだ、、、」


ゆえに、それは恐怖との戦い。

魔法の不発を恐れる心が、パスから流れてくる力をおのずから弱める。

必要十分な力が供給されなかった魔法は暴発する。

そして、それは階梯が高くなればなるほど、必然的に恐怖は大きくなり、体へのダメージも深刻になる。


私は再度、白日の魔法の詠唱に入るが、


「ぐぅううううああああああっ!!!______はぁはぁはぁ、、、ぺっ!!」


いつもと同じだ。

唾を出すように、迫り上がってきた血を芝生に吐きつける。

それでも足りない。

この意識が断絶するまで続ける。

それが私の存在意義なのだから。

だから、妹が簡単に魔法を使いたいなどと言い、詠唱の真似事をするのが許せない。

過酷な努力の裏付けも知らないで、憧れだけを向けられる鬱陶しさ。


「イロイ様、一度魔法の訓練はお休みになられた方がよろしいかと」


お抱えの医師がそう言う。

それも1度目ではない。


「それは無理」


「駄目です。もう身体もボロボロです。これ以上は生死に関わりますよ?お父様からも危険になったら止めるように言いつけられています」


「あなた知ってる?現在帝国で星辰の魔法を使えるのは1人。その男は私と同じ7歳のときには宵闇の魔法を使えていた。他の国でもそう。星辰に至る人間はみな」


「厳しいことを言うようですが、もしそうであるなら、イロイ様はその器ではないということです。現在でも十分に立派なのですから、満足なされることをお薦めいたします」


私は腸が煮えくり返りそうだった。

この医師は、私が子どもらしく、自分の才能を誇示しようと躍起になっていると思っているのだ。


____違う、全く違う。


これは他者のための自己犠牲だ。


「誰のために血反吐吐いてると思ってるっ!?共和派の、この領地の、この国の民草の、お父様のためにっ!!」


「ふぅ、、、往々にして、才能があって、それに胡座をかかない人間というのは尊敬に値しますが、非常に視野が狭い。見えていないものを、あえて見ようとすることが大切です」


弱い奴が私に説教をするな、と無碍に言ってしまいたかった。


____視野が狭い?

____立ち止まって周りを見ろとでも?


それは行くべき場所がない弱者の詭弁だ。

私には辿り着かないといけないところがある。

そのためには前を見続けるしかない。


▲▽


家の中が騒がしかった。

どうやら近くある晩餐会で妹がお披露目になるらしい。

ちらりと見た衣装部屋では、妹が蝶よ花よと、たくさんのドレスの中で右往左往していた。赤い顔をして、それでも飾り立てられた自分の姿に笑みを溢す。

私は晩餐会などには出たことがない。

軍に入ることが決まっていたし、その先はスパイのように活動をしなければならないことが宿命づけられている。

戦いのために髪は短く、身体も傷だらけ、ドレスなど似合うはずもない。

それなのに、私はたまにお母様の衣装部屋に忍び込んで、その星屑を散りばめたようなドレスを見上げた。理解し難い己の行為に憂鬱になりながらも、その行為は繰り返し行われた。

素直になれば、私は女の子らしいことが好きだった。

将来は、大好きな人に跪かれ、それから結婚して、家では暖かいご飯を作って帰りを待ち、同じベッドで朝を迎える。

そういう帝国の伝統的な生活に憧れていた。

なぜなら、お母様がそうだったから。

綺麗で、女性らしくて、おおらかで、いつも幸福のヴェールを被っているように見えた。

何か偉大を成すことには興味なんてなく、変わらぬ日常を私は愛したかった。


「意味のない妄想なんて、やめてしまった方が幸せなのに」


7歳の私は、そう自分の首を絞めるように言い続けていた。


▲▽


そうした日々の中、妹が理由も分からず屋敷をひとり抜け出した。

使用人たちとともに私も一緒に探しに出た。

なぜならどんな使用人よりも私の方が強かったから、私に護衛などいらないわけで。

私が屋敷を出てすぐ、大きな池に向かう林道で妹を見つけたとき、彼女は綺麗な服を汚し、顔には切り傷が無数だった。


「弱いくせにいきがるなブスっ!!」


私より年上の男の子たちが妹を囲んでいた。

そして妹のそばには小さな女の子がしゃがみ込んでいる。

確か、妹が仲良くしている平民の娘だ。

両親はかなり先進的な共和派ということもあって、階級には寛容だったから、よく一緒にいるのを見ていた。


「この子を虐めるのをやめなさい!!じゃないと、魔法で吹っ飛ばしちゃうんだからっ!!」


妹がそう叫んだ。

私はいい機会だと、木陰に隠れながらほくそ笑んだ。


____身の程を知ればいい、と。


そうやって弱いくせに、何もできないくせに、でしゃばって痛い目に合えばいい。

そして大人しく、貴族のお人形として黙って暮らせばいい。

私の知らないところで、私が欲しかった幸せを勝手に手にすればいい。

ただ、妹は私の企みに反して、簡単には折れなかった。

殴られても、石を投げつけられても、腕をひっぱられ地に投げつけられても、その女の子の側に戻って、両手を広げて立った。


(はやく、はやく、あきらめてしまえ)


私は隠れながらそう念じ続けたが、


「____はくじつのまほう、てんこ、、、ゆえに、、、ゆえにらいめい、、、っ!!はくじつのまほう!!、、、てんこ、ゆえに、らいめいっ!はくじつの___」


妹は両手を突き出して、そう何度も言い続けた。

出るはずのない魔法を信じて。

傍目にはひどく愚かな行為に写った。


「こいつ馬鹿じゃねぇの?魔法なんて使えないくせにっ!!」


そうしてまた踏みつけられ、蹴り飛ばされる。

妹は地面に突っ伏したまま立てない。

ここまでか、と私が脚を前に進めようとしたときだった。

妹はまたよろよろと地面の土を握りながら立って、


「____はくじつの、、、、えいっえいっえいっ!!!!」


思い切り土を少年たちに投げた。

鼻血を無様に垂れ流して、泥だらけの顔に怒りを滲ませて。


「うわっ___てめぇ!!!」

「ぶっころしてやるっ!!」

「貴族のぼんぼんがっ!!」


思わぬ反撃に、少年たちがいきり立つ。

私は仕方なく、小声で、


『____【残夜の魔法】清輝、ゆえに啓蒙___』


と、唱えると、


「う、うわぁああああああ」

「痛い!!痺れるっ!!」

「痛い痛い痛い、、、でもちょっと気持ちいぃぃいぃぃぃい」


少年たちはそれぞれ叫びながら、蜘蛛の子が散るように去っていった。

私はゆっくりと木陰から姿を出し、


「なに馬鹿なことしてんの?あなた」


と言うと、妹は一瞬ほっとしたように、でもすぐさま喜色を浮かべて、


「お姉ちゃん!!カリマも魔法使えたっ!!使えたよっ!!!見てた?ねぇ、見てたっ!?」


つくづく馬鹿な奴だと思った。

自分と違って、本当に馬鹿で純粋。

私は面倒くさくなって、


「よかったじゃない、お父様もお母様も褒めてくれるでしょうね」


私は妹が決死の覚悟で守っていた少女の様子を見ながらそう言った。

だが、妹の返答はあまりにも予想に反したものだった。


「褒める?___違うよ、わたしはお姉ちゃんが大変な魔法の練習をしなくてよくなって、嬉しいの」


「___は?」


身を挺して守った女の子より、余程ひどい傷を負っている妹が、本当に心から嬉しそうに笑顔で言った。


「いつも見てて、血、いっぱいで、毎回運ばれていって、お姉ちゃん、いつも苦しそうな顔していた。練習に行く前も、いつもおトイレでおえって吐いてた。だから、今度からは交換ね!わたしが頑張るの」


「交換って、、、そんな簡単な、、、」


「でも、こうかんこは大事だよ?ダンスでもね、お互いのことを支え合わないといけないって、せんせいが言ってた」


それは晩餐会に向けての練習のことだろう。

妹は初めから、魔法に憧れた訳でも、両親に褒められたかった訳でもなかった。


「だから、今度はカリマの番だよ?だってお姉ちゃん、ほんとはダンスとか、ドレスとか、好きなんでしょ?わたしもね、お姉ちゃんがドレス着てるとこずっと見たかったの、だから魔法が使いたかった!だって、お姉ちゃん、誰よりも、ぜーったいっ、綺麗だから!」


腫れてつぶれた目、切れた唇、ぼさぼさに絡まった髪。

それなのに、私は自分の妹がそれこそ天使のように美しく見えた。

池のおもてに反射する自分の顔が歪んで見えるように、妹の精神に写しとってみて、己の心の如何に不格好なことか。


(私は、、、私は、、、なんて、、、本当に、、、こんなにどうしようもなく)


___愚かだったんだろう。


「お姉ちゃん!?なんで泣いているの?お姉ちゃんが泣いていると、カリマも悲しいよ?だから笑って、ね。お姉ちゃん、ドレス着れるんだよ、髪だって伸ばせるんだよ?ね、嬉しいでしょ?」


私は妹の言葉にうなづくことすらできず、ただ泣き続けた。


▲▽


そしてその日。

平民の女の子を家に送り届け、事情を説明し、屋敷に妹と戻った。


「イロイが居てくれて本当によかった、ありがとうね」


と、お母様が半泣きで言った。

いつもであれば、その感謝を素直に受け取ることはできなかった。

それは、よく切れる包丁に対して、ああ、買って良かったと言うような、そういう類の感嘆にしか聞こえなかったから。

でも、今だけは少しだけ素直に受け取れる気がした。


夜、ベッドに入ると、いつもは明日の魔法の練習のことを思って、動機が止まらなくなる。寝てしまえば、明日というものはスキップをして無邪気にやってくる。また地獄の思いをしなくてないけない。そう思うと寝ることがひどく怖かった。

それでも、今日は違う。

怖くない。

頑張れる。

その理由はうまく言葉にできなかったけれど、こんなにベッドを気持ちよく感じるのは初めてだった。


___異音が聞こえたのは深夜だった。


思い返せば、あの事件があったことで帝国の崩壊は早まった、その契機だった。

帝国がバスタナ家の活動を嗅ぎつけて、武人兵団を派遣した。

おそらく前々から気づいていたのだろうが、見せしめの意味での派兵。

バスタナ家が納める領地は左派が多かったから、兵も農民も問わず帝国の兵に対抗した。

そのためもあってか戦闘は思いのほか長引いたが、帝国の魔法師団が増援に来て、潮目が変わった。



「_____『宵闇の魔法』狂飆きょうひょう、ゆえに雑言ぞうごん_____」


「_____『白日の魔法』蒼炎、ゆえに麗佳_____」



バスタナ家はすぐに業火の台風の中に囚われた。

家具が倒れ、天井が崩れる。


「_____イロイ、カリマを連れて逃げなさい」


そう父がいやに落ち着いた声で言い、母もうなずくことで同意を示した。

父と母はここで死ぬつもりなんだと、私はすぐに悟った。


_____悟ってしまった。


だから、助けようともしなかったし、一緒に逃げようとも言わなかった。

そういうものだということが、幼い私にも分かっていた。


「カリマっ!!逃げるよっ!!」


私は燃え盛る炎が迫る中でそう叫んだ。

炎だけではない、精人が、、、本物の魔法使いが廊下の先から来る。

その予感があった。

だが、


「お母様とお父様を助けないと!お姉ちゃん!」


カリマは私の腕を振り払う。

なんで魔法も使えないあんたがそんなことを言うのか。

そう喉元まで出た言葉も、今は萎んで口に出ない。


「いいから逃げるのっ!!あんたには何もできないっ!!」


「できるもんっ!!カリマだって魔法使えるんだから!」


私は使用人と共に暴れるカリマの体を抱え、屋敷から逃げようとした。

だが、その時、青い炎の壁が突如として退路を塞いだ。

廊下の幅いっぱいに、その花のような炎が満ちて咲く。


「______くっ______っ!!!」


私は驚きに妹の手を離してしまった。


「戦おうよっ!お姉ちゃん!」


私は決断を迫られた。

そして、


「カリマ、あなたは魔法を使えない。今日のは私が使った魔法であって、あなたのじゃない。あなたは何の才能もない、バスタナ家のお荷物」


「そんなことない!カリマだって、、、」


「___うっさいな、黙れよ。私の妹のくせになんの才能もない雑魚。あなたのことなんて、1度だって妹なんて思ったことない。役立たずの、ただのお人形。さっさと私の前から消えて」


「うっ___お姉ちゃん、お姉ちゃんっ!!」


「私はドレスなんて興味ないし、余計なお世話」


「違うよ!だってお姉ちゃん___」


「消えろって言ってんでしょっ!!この愚図がっ!1」


再度、青い炎が高くなる。

もう猶予はない。


『____【残夜の魔法】清輝、ゆえに啓蒙___』


カリマの体が硬直する。

私は目配せをして、使用人にカリマを抱えさせる。

なんとか炎を掻い潜って、遠のくその姿を見送る。


「____この番外魔法、フーフェル第二魔法師団長ですね」


「そういうお前は、帝国期待のルーキーだな、イロイ・バスタナ」


「入学前に、いい小手調べになりそうです」


ああ、目の前に見て、ようやく掴んだ。

第三階梯への至り方。

暴発を恐れるんじゃない。


____暴発によって恐怖を焼き切って放つのが、第三階梯の魔法。


パスが開かれる。

脳裏で詠唱を紡げば、臓腑が破裂するような痛みが奔る。

苦痛に顔が歪む。

だが、そこにもう恐怖はない。

あるのは痛みと、血に染まった瞳が映す敵の影だけ。



_____『白日の魔法』天鼓、ゆえに雷鳴



その詠唱とともに、フーフェルの体から紫の雷が弾ける。

口から、瞳から、迸る。


「くっ_____これだから、天才は____っ!!」


フーフェルが苦痛にうめきながら、くいっと指を持ち上げる。

と、炎の壁が彼女の姿を隠す。


「________あ___________」


蒼い炎の帳。

その一部が揺れる。

そしてそこから、武人と思わしき兵の剣が迫り来る。

その速度は人間の常軌を逸し、すでに躱せるものではなかった。

魔法、魔法、精霊___。

どれも間に合わない。

1対1なら勝ってたのに!

そんな子どもらしい負け惜しみも、死の恐怖の前では意味がない。

覚悟していたはずなのに、口からは情けなく、


「い、いやぁあああああああああああああああああっ!!」


私はただ、叫ぶだけだった。

魔法を行使し殲滅を図った上で、後衛に控えていた武人が襲う。

それは一般的な戦闘の、戦争のやり方。

そんな知識はあるのに、私は魔法を使えるのに、精霊だって出せるのに、ただ頭を抱え、蹲るだけだった。

第三階梯に至ったところで、所詮はこの程度。

弱い。

心が、弱い。

いじめっ子に1人立ち向かったような妹のような勇気が、私にはない。


だが、予期された死は一向に訪れなかった。


「_______」


静寂が耳を押す。

私はゆっくりと、おそるおそる目を開く。

その光景を、私は今でも毎夜のように思い出す。


「______うっ______やった、、、よ、、、お姉ちゃん_____」


「な____んで__?」


カリマが蹲る私と武人の間に小さく立っていた。

なぜあの速度で迫る武人の前に妹は立てたのか。

それはただ1直線に、私に向かって、私を助けるためだけに向かってきたから。


「____魔法は、、、ぐ、、、、使えないけど、、、でも、お姉ちゃんを、、、助けられたよ___お姉ちゃんのドレス姿、、、見たかったなぁ、、、」


私はその小さな背中を、剣が残酷に貫いたその背中を仰ぎみながら、ひどく驚いたのを覚えている。

その武人の標的は、きっと私だけだったのだろう。

魔法も使えない、ただの子どもを刺してしまったことに一瞬だけ狼狽が見えた。

時が止まる。

フーフェル魔法師団長すら、驚愕に目を見開いている。

だが、それもほんの一瞬。

次の瞬間には、妹から刃を抜き去り、再度私に向かって振りかぶった。


「あ____あっ_____」


何も、できなかった。

妹は私を守るために走ったのに、私はその場に縫い止められたように動けない。

才能なんて、意味がない。

それを使う心が弱ければ。

妹にこの才能があれば、状況は変わっていたかもしれない。

そもそも、両親を置いて逃げようなんて思わなかったかもしれない。

自分は____弱い。


ただ自分の死を待つ時間に、私は一生、この弱さを抱えて生きていくのかと思ったら、ひどく惨めな気持ちになった。

褒めそやされても、もう何も感じない。

この瞬間に、その弱さは私の心に焦げ付いて剥がれなくなる。

それが、ひどく、惨めらしい。



「_____妹に、感謝するんだな____」



そう言ったフーフェルは、武人の刃を魔法で燃やし尽くした。


「いや、感謝するのは、あたしか。大きなものに立ち向かうのに必要なのは、力ではない。そうだな?」


赤い髪に赤い瞳の女が、妹の体をゆっくりと起こし、その髪を撫でながらそう言う。

そして、その体を軽そうに抱え、困惑する武人に目配せをして撤退する。

どこに連れていくのか、そう叫びたかったが、喉が焼けたように声が出ない。


「___妹の命を奪ったこと、謝りはしない。だから、あたしを殺したければ殺せ。お前の才能が、そのためにあるのなら__もしそうでないなら、この誇るべき妹に教えて貰ったことを忘れるな___」


▲▽


「馬鹿に、してるんですか?」


ベッドに横になったまま、イロイは中庭に向いた窓の方を向きながらだった。

空はすでに暗く、それは朝から夕方までの時間が濃く重なり合っているからそう黒く見えるのかと思う。その重なりの重さが、目覚めてもイロイをベッドに押し付けている。

この瞳に映る自分の手は、かつての小さなものではない。


「ほう、馬鹿にしているとは?」


そう答えたのはドダイだ。

彼はイロイがノフランやフーフェルに吠えていたとき、ずっと黙っていた。

あれからどれくらいの時間が経ったのか分からないが、どうやら部屋から出ずに今まで、そこにいたようだった。

看病してくれていた、とは思えなかった。


「弱くて、情けない、子どものわがままだって、そう思ったんでしょ?」


「子どもは常に、弱くて情けなく、わがままを言うものだ」


イロイは、その答えになっていない返答に反応する気力もない。

やはり馬鹿にしているのだ。

きっと、師匠やフーフェルに見張り役を任されたのだろう。


「だがな、そんな子どもにしかできないこともある」


ドダイは、なぜかいつも顔を煤に塗れさせていて、ぴちぴちの服から脇毛をぼうぼうとさせ、終始何を言っているか分からない、変な奴だとイロイは感じていた。

がむしゃらで、その分、愚かな男。

だが、今日は少しだけ、雰囲気が違った。


「もし、俺が貴様を馬鹿にするとしたらな、それは貴様が大人っぽい何かになったときだ。キャンディの替わりにシガレットをその口に咥えたときとも言える」


ほら、全然言っている意味が分からない。

それに臭い。

汗と体臭の混じった匂いが、余計に不快を増幅させる。

それでも、その言葉は香が焚かれた手紙のように、ひどく大事なものとして胸に届き始める。


「分かるか、全ての大人がかつて子どもだったと思うな。子どもから大人になった者は少ない。みな、子どものような何かから、大人のような何かになるだけだ。お前はもそうか?」


子どものような、何か。

大人のような、何か。

それとは違う道。

それは一体、どういう意味だろうか。


「子どもも大人も、皆平等に悩む。ただ、解決のあり方が違うのだ。大人はそれを言葉にする。だが、子どもはそれをそのまま、想いにする。そこには大きな隔たりがある。下手に苦いものを好むより、素直に甘さを求めるのが子どもだ」


想い。

この想いは、間違っていないのだろうか。


「出逢って1日、2日、言葉にすればアホらしい。だが、想いには1秒も千年も違いがない。愛していると呟くのには1秒で十分だ。そこにあるのは、純か否か、それだけだ。そして、言葉は行動にならない、でも想いは行動になる。そんな簡単なことを忘れた大人の、なんと多いことか」


イロイは思う。

自分は、想いを言葉で殺してきた。

なぜ、戦えたのは自分なのに、逃げたのも自分なのか。

それは今日のテネーカトロのときも、そして______妹の時も。

「自分は弱い人間だ」「情けない」「誰も助けられない雑魚」

そんな卑下の言葉で、自分の想いを殺してきた。


本当はどう思っていた?


悔しいと、情けないと、見返したいと、この弱さを跳ね除けたいと、それは言葉よりも先に感情として内にあったのではないか?それを言葉という歯で噛み潰してきたのではないか?

馬鹿に、愚か者になりたくなかったから。

妹のように、その愚かさで命を落とすような人間になりたくなかったから。

妹の行為は間違っていて、意味がないことで、冷静な自分こそ正しかったと、そう思い込むために。

弱者は弱者らしく、大人しく。

そうでないと、罪悪感で死にそうだったから。


「愛してるという言葉がキッスになるのではない、その言葉の前にある想いが、キッスになるのだ。愛する人に頬を撫でられて嬉しいのは、その手の動きに愛情の影を見るからだ。そういう経験のない人間が、どうして大人と言えるのか」


焦げ付いた悔しさが、それこそタバコの煙のように心に苦い。

これに慣れるのが大人だとしたら、、、。

それは、果たして成長なのか、賢さなのか。


「相変わらず、何言ってるか分からない、励まされてるのか、背中を押されているかも、分からない」


「ふんっ、貴様のような子どもに、生粋の大人である我輩の言葉が分かるわけないだろうぅ?」


「ただ、そうだね___うち、あんまりわがまま言ったことがないんだ、実は」


そうだ。

ただ与えられた才能を研摩することに夢中になって、期待に応えようとして、大切なことを忘れていたような気がする。


「いつも入団させろと、わがまま言っているように思えるが?」


ドダイの思いがけない冷静なツッコミは無視する。


「うちはさ、良いお嫁さんになるのが夢だったんだ。ようやく手に入れた夫候補を、そうやすやすと奪われてたまるかってんだ!」


イロイがベッドから立ち上がると、ドダイは壁に立てかけてあったあまりにも大きな剣を持ち上げ、私に渡す。

それはドダイの背丈よりも長く、幅も彼の姿をすっぽり隠すほどある規格外のもの。


____それは私の剣。


あの日、妹を助けられなかった私が、馬鹿みたいに頭を使って編み出した戦い方。

甘いよな、私も。

間違っていたのは妹のはずなのに。

自分みたいな雑魚な人間がいくら頑張っても、いざというときは小さく縮こまってしまうのに。

それなのに___。


いつかカリマのように、偉大な妹のように、誰かを助けられる存在になりたいだなんて、そんな甘ったるい夢を飽きずに舐め続けている。






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