II

 二日後。

 満里奈は日本を発つため、夕凪と共に羽田空港の出発ロビーにいた。


「お姉ちゃん、最初はどこから行くの?」


「色々と悩んだけど、まずはカリフォルニアから行くわ。そこからどう行くかは、まだわからないけど、しばらくはアメリカに滞在かな」


 満里奈はそう言いながら、カウンターの上に掲示された時刻表に目をやり、彼女の乗る旅客機の出発時刻を確認した。

 その時刻までは、既に一時間を切っていた。


「そっか…でも、寂しくなる、ね」


「それは私も同じよ。でも自分が決めた道だもの、引き返すなんてことはできないわ」


 二人の間に漂う、別れの空気。

 互いに寂しげな気持ちにはなっているものの、涙らしきものは未だに見えなかった。


「お姉ちゃん自身のため、だもんね。だから私は止めないし、私は私でお姉ちゃんがいない間は今よりも強くなるから!」


「六花…あなたって子、は…」


 満里奈は六花の思わぬ発言に驚き、少し涙声になりながら、彼女の体をそっと抱きしめた。

 それに呼応し、六花も満里奈の体をそっと抱き返した。


「お姉ちゃん…お姉ちゃん…お姉ちゃ…」


 これまで堪えていた夕凪の涙腺が、ここで完全に決壊した。


「そんなこと言えた時点で…あなたは十分、強いわ」


 声を上げることなく、満里奈の胸の中で泣き続ける夕凪の頭を、彼女はそっとなでた。

 そこからしばらく二人の間には言葉はなく、ただただ、ゆっくりと静寂の時間が流れて行った。


 不意にそこへ、満里奈が乗る旅客機の搭乗案内が開始されたというアナウンスがロビー内に響き渡った。


「…時間になっちゃった。私もそろそろ行かなきゃね」


 彼女はそう言うと、抱いていた六花の体から腕をそっと離した。

 それに呼応して、六花も満里奈を抱いていた腕を離した。


「…お姉ちゃ…」


「お互い、泣かずに笑顔で別れましょ。私もそれで見送られた方が気分はいいからね」


 再び泣き出そうとする六花を制し、彼女も満里奈の気持ちを汲み取ってか、涙は引き始めていた。


「何も今生の別れとかじゃないのよ? 言い方変えれば、お互いに大きくなってまた会いましょ。そういうことよ」


「そ、そうだね」


 六花がそう言うと、満里奈は傍らに置いたカートに手をかけ、出発ゲートに向かおうとしていた。


「じゃあ、私、行くね」


 彼女がそう言ったその直後、不意に夕凪の耳元に顔を近づけ、耳打ちをする。


『私の後、追いかけてきて。六花なら絶対に追ってこれるって、私は信じてるからね』


 その瞬間、六花の心の中に強い突風が吹き抜けて行った。


 彼女がそう言い終えると、カートを引いてそのまま出発ゲートへ向かって行った。

 その間、六花は衝撃のあまりに固まっていたが、ほどなくして我に返り、満里奈に向けて全力で右手を振って見送った。


「お姉ちゃーーーん!! 気を付けてねーーー!!」


 実は人並み外れた声量の持ち主でもある六花の声が、ロビー内に大きく響き渡る。


 出発ゲートを無事くぐり抜けた満里奈は、その姿を見た上で、何も言うこともなく、六花に大きく右手を振ったのち、搭乗ロビーへと脚を進めて行った。


(お姉ちゃん…私、お姉ちゃんの背中を追いかけるからね。そのために私は強くなるから)


 その後、展望台へ向かった夕凪は、満里奈が搭乗しているであろう旅客機を見つけ、それが無事に離陸するまでその場から離れることはなかった。


 しばらくして、彼女を乗せた旅客機が離陸準備を始めたのち、ランディングが始まり、旅客機は何事もなく空高く飛び去って行った。


(お姉ちゃん、お互いに強くなって、また会おうね)


 一方の空港から飛び立った旅客機の中、満里奈は窓から見えた展望台のあたりに視線を向け、おそらくそこに六花がいると思っていた。


(六花、今のあなたなら、もっと強くなれるよ。私も強くなるから、お互いに精進しようね)


 そこに相手にかける言葉はなくとも、それぞれの場所で互いに想いは通じていた。


 六花と満里奈。

 二人の道は分かたれ、それぞれの目的を抱いたまま、その一歩を強く踏みしめながら歩みを始めたのであった。


  *   *   *


 満里奈が日本を発ってそれからの日々、六花はベースを肌身離さず、音を出し続ける生活を送っていた。

 学校から帰るとまっすぐに家に戻って自室に戻ると、着替えることなく制服のまま、ピックを握るという習慣が付いてしまった。


 相変わらず指運びはうまく行かず、音もうまく出せず、果てはチューニングすらうまくいかなかった。

 それでも彼女は、一度たりとも投げ出すことはなかった。


 いつしか彼女は、満里奈が持っていた教本やネット動画を参考にしながら、日々の練習に明け暮れる。

 未だ指先の感覚と耳で覚える部分はたくさんあるものの、少しづつ成長して行くその様子は、まるでベースそのものと対話をしているかのようであった。


 そこまで夢中になれる原動力の中心は、既にわかっていた。

 空港で彼女との別れ際に耳打ちされたその言葉が、彼女の心を強く、大きくゆり動かし始めたのだ。


 私の後を、追いかけてほしい。

 そう伝えた満里奈の言葉。


 六花はそれを直接的なことではなく、実力的にという意味で捉えていた。

 尊敬する姉の言葉ならば、それは絶対に成し遂げねばならないという使命感を受け、毎晩、夜半近くまで鍛錬は続いていくのであった。


  *   *   *


 それから時は流れた。

 六花は中学三年に進級し、この時より本格的に受験勉強を始め、その合間に一日十分間だけベースをいじる日々を送る生活を、高校受験直前まで続けていた。


 肝心の高校受験に関しては、しっかりと対策をしていたこともあり、夕凪は無事に志望校に合格することができた。


 その後、卒業式を無事に迎え、彼女の中学生活に幕が下ろされた。


 受験が終わってからの夕凪は、また進級前のようにどっぷりとベースにはまり出す日々を送っていた。

 それも卒業間際は授業の時間も極端に少ないことをいいことに、早めに帰っては、その分それだけベースに向き合う時間を送っていた。


 受験中でもわずかな時間でも触っていた甲斐もあってか、彼女の腕前は満里奈からベースを渡された時よりも大きく成長していたことは言うまでもなかった。

 気が付けば指は自然に動き出し、弦もきちんと押さえることができているので、音がしっかりと出ていた。

 彼女は高校受験でも、ベースの練習でも、しっかりと結果を出していた。


  *   *   *


 二週間後。

 時は四月となり、今日この日、夕凪は受験を突破した志望校への登校日を迎えた。


 朝の光が差し始める中、いつもより少し早い時間に目が覚め、朝食を食べ、登校のための支度をする。


 中学の頃の彼女は別段、おしゃれをあまりすることもなく、学校内での姿はとても地味なものであった。

 そして高校生になったとしてもいきなり見た目を変化させるということもせず、いつものように髪型は両サイドはおさげ髪、アイウェアには赤のフレームのアンダーリムを身に着けた。


 そして自室に掛けられていたオレンジ寄りの茶のブレザーを取ると、彼女はそれに袖を通す。


 サイズは違うものの、かつて満里奈は着ていたブレザーに袖を通し、今日から下倉の生徒として高校生活を送るのである。


「お姉ちゃんと…同じ制服だ」


 自身の制服姿を見て、彼女はどこか顔がほころんでいた。

 夕凪はそう言うと、姿見鏡の前に立ったままスマホを向け、カメラのシャッターを切る。

 そしてその撮った画像を、メッセージアプリで満里奈へと送付した。

 日本を出て以後、それを使ってメッセージを送るも、既読は付いても返事はなかった。

 が、しばらくしてスマホが震え、そこに出た通知を見て、彼女は驚く。


「?! お姉ちゃんから?!」


 急いでアプリを開く。

 そこは「FIGHT!!」と書かれた有名キャラのスタンプが残されていた。

 直後、「今日から高校生だね、しっかりね!!」とコメントが付いたところを見て、六花は少し驚いた。


「お姉ちゃん…メッセージ返ってくるのはこれが初めてだよ?」


 彼女は半ば呆れたような口調でそう言うも、携帯を見ていた顔は少しだけ笑顔になっていた。

 メッセージを送ったとて、返事が来なくとも、来てもスタンプだけだとしても、彼女はきちんと六花のメッセージにしっかりと目を通す一方、決して多くは語らなかった。

 六花はそんな姉を、実に彼女らしいと思っていた。


 彼女は不意に部屋の時計を見た。

 登校時間にはまだ余裕はあるものの、登校初日ということもあり、家を出ようと彼女は思った。


 深呼吸ののち、呼吸を一つ落とす。

 そして鞄を持ってから自室の扉を開けて「行ってくるね」と言い、下倉へと脚を進めたのであった。



 下倉の最寄り駅の通りを走り出す夕凪、通勤通学ラッシュ時間真っ只中のため、時としてその人波をかいくぐりながら学校を目指す。

 そして、通学路でもある場所に来ると、彼女と同じ色のブレザーを着た女生徒たちがあちらこちらにおり、その脚は校舎へと向かっていた。


 そんな中、背が高く、目つきが鋭いロングのウルフヘアの女生徒が、気だるそうに登校していた。


「今日から新学期かー、春休みも短かったなぁ…」


 彼女はそう言いながら歩幅を進めていた。

 そしてその彼女の横を、走ってきた夕凪が通り過ぎた。


 彼女は思わず走り去る夕凪に視線を映すが、その際には何も思わなかった。

 が、赤のアンダーリムとおさげ髪を見た時、彼女の中に何かが引っかかっていた。


「? どっかで見たことある気が」


 彼女はそう言いながら、過去の記憶をたどっていた。

 だが、少ししてから気のせいだと思い、そのまま下倉へ続く道へ脚を進めた。


涼子りょうこー!! おはよー!!」


 不意に背後から、彼女を呼ぶ声が聞こえた。


「おう、みな!! おはよう!!」


 涼子りょうこと呼ばれた彼女は振り向き、駆け寄ってきたみなに手を振って応え、そのまま二人が雑談を交えながら歩いていていると、気が付けば下倉の校舎に到着していた。


 そしてその校舎の入口には『令和七年度 祝 入学式 私立 下倉女子高等学校』と書かれた看板が立っていた。



 こうして下倉女子へ通学することとなった六花は、姉の後を追うという意味では本当に小さな一歩を踏み出した。


 しかしそこでは、予想もしていなかった事態と試練が待ち受けていることを、今の彼女は知るよしもなかった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Rockk@ Girls Crossing クサリマグロサヴァヲ @savawo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る