I

 HBCの全工程が終了し、満里奈たちこと下倉陣営は優勝旗を三人がかりで担ぎながらステージ奥から控室に通じる廊下へと歩みを進めていた。


「勝ったんだ…あたしたちはストラに勝ったんだ…」

 顔は半信半疑の表情である一方、口ではうれしさをかみしめてそう言ったのは、ドラム担当の深松朱音。


はもう、奇跡としか言いようがないよねぇー」

 まさかの天候の変化について言ったのは、ギター担当の藤代マドカ。


「今も…信じられないよ。私たちが優勝したって事実が」

 そう口にした満里奈は、心も体もふわふわとさせながら歩みを進めていた。


 そして彼女たちの進む道の先に待ち受けていたのは、彼女たちの関係者一同。

 所属している軽音部の面々、顧問、友人、そして家族が両側に列を作って彼女たちを待っていた。


「「「「「「「「下倉女子高校、優勝おめでとーーー!!!」」」」」」」」


 そこに並ぶ誰も彼もがそう叫び、みな笑顔で彼女たちの凱旋を出迎える。

 ある者はずぶ濡れのメンバーをハグし、またある者はメンバーの肩を軽く叩き、さらにまたある者はうれし涙で迎えていた。


 そんな列の中に、一人の少女が満里奈を見つめていた。

 彼女は沢渡六花。満里奈の妹である。


 彼女は満里奈の姿を見るなり、バスタオルを持って駆け寄ってきた。

 満里奈はそれを受け取り、濡れた体をしっかりと拭き取ると、彼女に「ありがとね」と言いながら笑みを見せた後、強めのハグをした。


「お姉ちゃん、本当にスゴイ!! 」


 その六花の声は、少しだけ涙声になっていた。

 ハグから解き放たれた彼女は、無垢な瞳で満里奈に問いかけた。


「私ね、お姉ちゃんのことを本気で尊敬してるし、お姉ちゃんみたいになりたい!!」


「うれしいわ、私も六花からそう言ってもらえると」


 満里奈はそう言いながら、夕凪の頭を軽くなでた。


「ねえ、どうしたら、私もお姉ちゃんみたいになれるの?」


 すると満里奈は「そうねぇ…」と言ったのちに静かに笑い、彼女にそっと耳打ちをすた。


『                     』


 満里奈のその言葉が、彼女心に一筋の炎を灯し、パァっと顔色を明るくさせた。


 そしてその言葉は六花に今後において、重要なワードとして脳に深く焼き付くのであった。


  *   *   *


 昼休み、下倉の屋上では満里奈、朱音、マドカが輪を囲んで昼食を取っていた。


 HBCが終わり、下倉の軽音部に所属していた高校三年の満里奈たち三人は、これが終わったと同時に部を引退することとなった。


 そして、ほどなくして彼女たちにはプロからの誘いの声がかかり始めていた。

 特に満里奈に至っては引く手数多の状態となっており、今後の進路を決めていない彼女は、かなり頭を悩ませていた。


「ねえ、朱音とマドカはこの後どうするの?」


「あたしはプロでやって行きたいのは山々だけど、できれば大学には行っておきたいんだよね。でもさすがに両立させるのは無理」


 朱音はそう言いながら晴れ渡る空を見上げ、BLTサンドを一口かじった。


「私はなら誰かしらに付いて、下積み経験を付けてから本格的に動く、かな」


 マドカはおにぎりをほおばりながら、そう言った。


「進学、下積み、どっちも大事だよね。経験や知識を積んでおくってことでもあるしさ」


「そういう満里奈はどうなの? あれだけ声かかっていれば、よりどりみどりじゃない?」


 マドカからそう聞かれると、彼女は空を見上げながらこう返した。


「そうだけどさ、その中でどこが一番いいかなんて私にはわからないよ。でもね、知識を学んで広げること、経験を積むこと、どちらもすごく大事なだなってことは思ってる」


「満里奈…」


「私だったら、そういう道に進みたいな。プロには進みたいけど、まずはそれが先決だと思うんだ」


 そう言いながら空を見上げる満里奈の視線は、その先まで広がっている世界へと伸ばしていたような気がした。



 それから時は流れ、満里奈は下倉を卒業した。

 結局のところ、朱音とマドカは各自が語っていた通りの道を進み始め、その一方で満里奈もまた、悩んだ末に自らの行く道を定めた。


 卒業先から数日が経過したある日、彼女は六花に大事な話があると伝え、自分の部屋へ呼びだした。


「どうしたの? お姉ちゃん」


 六花にそう問われると彼女は、意を決して口を開いた。


「あのね、私、この家を出ようと思うの」


「そっかー…少し寂しくなるね。高校を卒業したから、うちから引っ越して、一人暮らしするってこと?」


「んー…間違ってはいないけど、そうじゃないんだ」


「???」


 怪訝そうな顔をする夕凪は、彼女の言ってることが理解できなかった。


「私ね、いろんな世界を見てこようと思うの」


 満里奈の口から出たその一言に彼女は固まったものの、すぐにそれは困惑交じりの表情へと変化した。


「世界を…見てくる?」


「そ、世界のあちこちを」


「…でも、一体何のため?」


「本当であれば、高校を出てからはプロの道に進みたかった。でもね、そのためには、様々な知識と経験の積み重ね、それに伴う成長が必要だと思うの。一般常識も大事だけど、真剣に音楽の道を志すなら、世界中にあるいろんな音楽や楽器に触れてみたいと思っていてね」


 あまりにも突然かつ、壮大すぎる理由を聞かされた六花は、姉と離れてしまう寂しさよりも驚きの方が上回ってしまい、彼女は思わず吹き出してしまう。


「それ、お姉ちゃんらしいといえば、らしい気がする。昔からそうだけど、何か思い立ったことをしようと思ったら、ガーッと徹底的やっちゃうよね」


「そうね、それを思うと私が中学の部活でバンドやろうと思って動いたら、夢中になり過ぎてHBCで優勝まで行っちゃったみたいにね」


 二人はしばしの間、そんな中学の頃の思い出を交えつつ、満里奈が日本を発った後にどんなことをしたいか等を語り合っていた。


「そういえば、どれくらいしたら帰ってくるつもり?」


「正直、最低でも三年は日本には戻るつもりはないかな」


「さ、三年?! 私、一年くらいかと思ってたよ」


「一年じゃ短いくらいだと思うよ? じっくりと世界の見聞を広げるには、それくらい必要だと思うし」


「少なくて三年か…寂しくなるなぁ」


 その長い年月を聞いた夕凪はうつむいてしまい、ここで初めて姉がいなくなる寂しさをにじませていた。

 それを見た満里奈は、何かを思い始め、すくっと立ち上がる。


「六花、あなたに宿題を出す」


 満里奈のその突然の発言に、きょとんとする六花。

 彼女はそう言うと、部屋の奥に立てかけてあった大きなギターケースを持ち出し、それを六花のそばに置いた。


「あなたにこれを託すわ」


 そう言うと満里奈は、ギターケースのファスナーを開けた。

 そこから見えたのは、彼女がHBCの舞台でも使っていた、愛用の赤いジャズベースだった。


「こ…これ、お姉ちゃんのベース…」


「これは持って行かないから、私のいない間は、六花がを使ってあげて」


 満里奈から突然のベース継承が伝えられて驚く六花だったが、彼女は突然のことに困惑をした。


「え…でも、私はベースなんか弾いたことがないし、知識もないよ?」


「…HBCが終わった時のこと、あなたは私に何を言ったか覚えてる?」


 そう言われ、六花はあの時の記憶を引き出していた。

 数々の断片の中に、彼女はそれを見つけた。


「どうしたらお姉ちゃんみたいになれるか、それ?」


 すると満里奈はゆっくりと首を縦に振った。


「今でもその気持ちは、変わってない?」


 彼女の問いに、六花は少し考えた後、ゆっくりと首を縦に振る。


「だったら、なおさらこの子は使ってほしいと思うし、私以上にこの子を使い倒してくれることを強く望むわ」


 満里奈の熱の入った言葉を、六花は真剣に受け止めていた。


「そして高校に入ったら、そのベースを持って軽音部に入ってみて」


「え、お姉ちゃんと同じ学校下倉に?」


「さすがにそこまでは言わないわ。でも、HBCの本選に出られるような技術を持てたら、それだけでも十分よ」


 満里奈の発言は、何気にレベルの高いことを言っているためか、それに対しての六花の顔に不安の色がかかる。


「でも…私にベースなんて弾けるかなぁ」


「だいじょうぶ。いいのよ、今はそれで。基礎的なことだけをしっかりとやって、慣れたら次のステップを踏むだけのこと。それで技術は上がって行くのよ」


 満里奈は優しい口調でそう伝えるも、やはり夕凪の不安の色は取り除けなかった。


「じゃあ、ちょっとだけ触ってみようか」


 彼女はそう言うと、ベースを取り出してストラップを取り付け、次にシールドをベース本体とアンプに接続した。

 サラッとチューニングを行ったのち、近隣に迷惑が掛からない程度の音量調整をし、満里奈は六花の肩にベースをかけた。


 彼女の肩にずしりとかかる重みをそこで初めて体感したが、六花にとってそれは、不思議と心地のいい重さでもあった。


(これが…お姉ちゃんからの、責任の重さ)


 そう思いながら、彼女はおもむろにベースの弦をおそるおそる弾いてみた。

 アンプから聴こえるその音は、単音ではあるものの、そこに太さと芯が通った力強い音であった。


「単純な音でしょ、まるで重くのしかか…」


「…お姉ちゃん、全然、単純なんかじゃないよ。今まで演奏であまり目立たなかったけど、実際にベースって、縁の下の力持ちな立場の一方で、すごくいい音を奏でるんだね」


 満里奈の言葉を遮ってまで弾いてみた印象を伝えた六花の表情は、次第に明るさを取り戻して行く。

 そんな彼女の意外な反応を見た満里奈は、この様子なら六花はしっかりと使いこなせると、強く感じ始めていた。


 六花の指は慣れていないために拙く動き、弦をしっかりと押さえていないために音はかすれたりはしたものの、触れば触るほどその興味は強く増していくのであった。


「お姉ちゃん、私、この子を使う!! 使いこなしてみせるよ!! 」


「気に入ってくれたみたいでうれしいわ。六花、使うからにはしっかりとね」


 あれから小一時間、ベースを弾き続けた末、それが六花の出した回答だった。 

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