第8話:恐れるな、絆を誇る以上は


 白々しい朝陽がビル内に射し込み始めるまでその場に座り込んでいたワタシとトウマ。

 不意に、ザッ、とコンクリートを擦る音がして、二人で音のした方へと視線を流す。

 するとそこには朝陽を背負ったふたつの影。

「こんなところに噂の水槽があったのですね」

 成程、と音を立てながら扇子を開いたのは雪雨。そして、

「無法地帯もたまには見回りした方が良いのかもね」

 腰に手を当てながら細長い溜息を吐き出したのは宇風だった。

「どうして、ここに……」

「え? どっちかが教えてくれたんじゃん」

 閃光弾。一般的なヤツと違ったから、きっと二人の合図なんだろうなって。

 静かに歩んでくる宇風は小さく肩を竦めて見せる。

「それにしても、不快極まりなく血腥い光景ですね」

 見るに耐え兼ねる、と眉根を寄せながら雪雨もゆっくりと近付いてきた。

 水槽の周りをぐるりと一周してから血の気のないレオンとアオバの顔を覗き込んだ雪雨は、すいとワタシたちに視線を寄越す。

「お二人はこれからどうするつもりですか?」

「どう、って……」

 ゆるりとこちらを向いたトウマにひとつ瞬き。軽く頷き合って、二人で雪雨を見詰める。

「仇討ちするに決まってるだろ」

「報いは受けてもらわなければ」

 強く。睨むようなワタシたちの視線に雪雨は「そうでなくては」と目を細めた。

「けれども、アテは?」

 やや意地の悪さを含んだ声に、うっ、と推し黙るワタシとトウマ。

 仇を討とうにも、レオンたちをこんな目に遭わせた人間の手掛かりを探さなければどうにもならない。

 それはこれからどうにか、とワタシが続けるより先に、あ、とトウマが水槽の底を見遣った。

「おいシルヴァード、あれ……」

「……? カフス、ボタン?」

 首を傾げ、服が濡れるのも厭わず水槽の底に手を伸ばしてカフスボタンと思しきものを手に取る。

「何か、模様が彫られています……」

「何だ? 鳥……か?」

 揃って眉間に皺を寄せたワタシたちを一瞥してから、見せてごらんなさいと雪雨が手を伸ばしてくる。

「成程」

 合点したよう、雪雨が宇風を呼ぶ。

 その手の中を見て、宇風も成程ねと腕を組んだ。

「ユーフォン」

「うん」

 もう一度雪雨に名前を呼ばれた宇風が紙銭を出した時のよう、どこからともなく取り出した油紙の包みをワタシに握らせた。

「これ、は?」

「今のところ解毒薬のない毒薬」

 味も匂いもしないから盛りやすいよ。それでいて量の調節も可能だから、即効でも遅効でも好きなように相手を嬲ることが出来る。

 淡々とした声音なのに、その色はどこか愉しそう。

「その鳥は梟です」

「梟の巣はチャイナタウンにあるけど、きっとこの十三狐楼にもあるんじゃないかな」

 それで、こっちにあるのが本当の巣だろうね。

 やれやれと溜息を零した宇風は首を鳴らしながらワタシとトウマの鼓膜を震わせた。

「梟はチャイナタウンだとよく女の子から接待を受ける店に出入りしてるらしいよ」

 ただ、出来ればチャイナタウンでの面倒ごとはやめて欲しいけどね。

 低い苦笑には、ワタシたちの行動を十三狐楼で解決してくれという意が含まれていた。

「どうせなら梟の羽を毟り取って頂いても構いません」

 寧ろそうして欲しいと云わんばかりの雪雨の声音。

「ご希望があれば、こちらのお二人をお預かりすることも考えますが」

 如何です? と。大きく首を傾げる芝居掛かった仕草に返す言葉に迷うことはない。

「頼む」

「羽は毟ってくると約束します」

 真摯とも云えるワタシたちの眼差しに満足したよう、雪雨はパチン、と扇子を閉じた。

「では交渉成立、ということで」

 狩りの結果を楽しみにしていますよ、と。雪雨はワタシたちの背を押した。

「梟という手掛かりがあるのは助かりますね」

「あぁ。それだけで大分情報収集がしやすい」

 トウマの台詞に頷き、今度はこまめに落ち合いながら調査を進めましょうと提案すれば、トウマもまた大きく頷いた。

 梟に関しての情報はあちこちに散らばっており、いっそ拍子抜けする程だった。

「表では女に溺れてるみたいだけど、裏では男に溺れてるみたいだな」

「邸を張るよりも、そういった店を張った方が賢いかも知れませんね」

「けど、あんまり派手に動いて表に事態が広がったら良い顔はされないだろうな……」

 どうしたものかと腕を組むトウマに、ワタシはふふと笑む。

「ここはワタシに任せてください」

 コトを出来る限り最小限に留められると思いますよ。

 自信を持ったワタシの発言にトウマは怪訝な顔をしながらも、ワタシが続ける提案の詳細に耳を傾けてくれた。

 数日後。ワタシは見事梟を捕まえることに成功した。

 ワタシがトウマに提案したのは、色を売る店にワタシが『商品』として忍び込むということ。

「そんなことしたら、相手にするのは梟だけじゃないかも知れないぞ……?」

「えぇ、分かっています。だからこそワタシの出番なんです」

 何せ……と。そこから先のことをトウマに明かしはしなかったけれど。

 実際ワタシは無関係な何人かを相手にしてから梟を捕まえた。

 新人を食い荒らすのが好みらしい梟は上機嫌でワタシを隣に呼んだのだ。飛んで火に入る夏の虫、とはまさにこのこと。

 梟というよりも禿鷹を彷彿とさせるような男を目の前にしたワタシは内心、反吐が出そうだった。

 酒と児戯で機嫌を取るよりもベッドの上で機嫌を取る方が遥かに楽だし、自分の性質にも合っている。しかし急いては事を仕損じる、という言葉が似合う今夜。

 ワタシは内心焦れながらも酒宴の時間を多めに取った。

 予め毒を溶かしておいた酒瓶から注ぐ酒を美味しそうに飲み下していく梟の警戒心のなさはいっそ嗤いを誘う。

 宇風に貰った毒の混入量は半分と少し。

 ワタシとトウマは梟を即死させるつもりなどない。かと云って中々効かないのも困るから、毒の増減は適宜量の調整をしながら密かに混入していった。

 酩酊まではいかずとも、それなりに気分良く酔っ払った梟は、ワタシが伸ばした手を断ることはなかった。

 天井裏には得物を用意したトウマが待機している。

 まさかワタシに男を誘う手管があるだなんてことを、彼は欠片も想像していなかったに違いない。

 心を無にして善がる演技をしながら、梟を善がらせる。

 幾らかすると、梟の挙動が怪しくなり始めた。

 時折焦点がブレ、不規則に体が痙攣する。どうやら宇風に貰った薬が上手いこと効いてくれたようだ。

「どうかされましたか? 旦那様?」

 ワタシの悪戯な問いに梟は否と答えたかったのだろうが舌が縺れているのか明瞭な答えは聞けない。

「腹上死、というのは男のロマンだそうですね」

 どうやら極楽浄土へ行けるらしいですよ?

 嘯くワタシの台詞は果たして梟に届いているのだろうか。

「あ……っう、」

 毒の効果に抗おうとしている梟はまだ完全に理性を手放してはいない。

 だからこそ。ここが一番のタイミングではないかと確信して、ワタシはトウマの名を呼ぶ代わりにパチンッと音大きく指を鳴らした。

 刹那後、天井の板が割れて抜き身の刀を構えたトウマが梟をワタシの上から蹴飛ばす。

「あ……、ぁあ、」

 耳障りな声は聞きたくなくて、体を起こすなりトウマの腰元で呟く。

「まずは喉笛を」

「分かってるさ」

 直後、びしゃりと飛沫が上がる音。ひゅっ、と鳴った笛の音はとても小さかった。

 その後に両手足、腹に、胸にと刀を突き立てるトウマ。

 ワタシの分の恨みも込めて梟をズタズタにしたトウマは返り血で真っ赤。

 もうぴくりとも動かなくなった梟を眼下に、トウマがゆるりとワタシを振り返る。

「まだやるか?」

「……いえ、騒ぎになる前に引きましょう」

床に落としていたガウンを肩に引っ掛けたワタシは、梟のジャケットを拾ってからトウマと共に予め下調べをしておいた避難口の裏を経由して闇夜の中に溶けた。

 ひたすら駆け通し、チャイナタウンの核となっている雪雨の邸へと飛び込む。

 返り血で真っ赤になったトウマと、ガウン姿のワタシを訝しむことなく迎えた雪雨と宇風。

「本懐は遂げられましたか?」

 雪雨の静かな声に、あぁとトウマが答える。

「ちゃんと羽を毟ってきましたよ」

 そう云いながら梟が着ていたジャケットを雪雨に渡すのはワタシ。

 裏地に大きく刺繍された梟が他人の手に渡った。それは組織の瓦解を示すもの。

「流石ですね。期待していた通りです」

 満足気に笑んだ雪雨が宇風へと視線を流す。

「こっちに安置してあるよ」

 何を、とも云わずに歩み始めた宇風の背中を、ワタシとトウマは静かに追った。

 連れて行かれたのは石造りの地下室。

 鳥肌が立ちそうな程ひんやりとしたそこには、身形を綺麗に整えられたレオンとアオバが穏やかに眠るよう横たわっていた。

「土葬する? 火葬する?」

 宇風の問いに、ワタシたちは火葬で、と声を揃える。

 ワタシもトウマもファミリーを揃えることなく雪雨の好意に甘えてレオンとアオバを火葬してもらった。

 用意してもらった骨壷はひとつ。

 きっと彼らは死後も共に在ることを願っていただろうから、と。火葬後の遺骨の殆どは砕いてひとつの骨壷に収めた。

 その際、ワタシはレオンの喉仏の骨だけをスラックスのポケットにこっそりと忍ばせた。

 恐らく、トウマもアオバの骨の一部を形見のひとつとしてポケットに忍ばせたのではないかと思う。

 そうして、二人分の骨が入った骨壷は蓋をしっかりと閉じてから昏い沖にそっと沈めた。

 いつだかにレオンから聞いた、

『海は生まれ、還る場所なんだよ』

 という台詞を思い出したからだ。

 波が穏やかだったから、ワタシとトウマは暫く小舟の上で膝を抱えた。互いに傍らには主人たちが愛用していた得物を並べて。

「トウマ……」

 暫しの沈黙を破ったのはワタシの方。

「何だ?」

 視線だけを上げたトウマの顔を一瞥してから、濃紺色の天鵞絨のような空を見上げる。

「トウマは、これからどうしますか……?」

「……俺は、」

 軽く下唇を噛んでから、トウマは双眸の奥に眩しい星を宿した。

「俺は、アオバさんが信念を持って守ってきた組が離散しないよう束ね直して、組の存在を永続させる為に奔走するかな」

「そう、ですか……」

 トウマは強いですね、とは言葉にせずに目を細める。

「シルヴァードはどうするんだ?」

「……ワタシは、」

 レオンの側近だったからファミリーの中にワタシの居場所があっただけ。

 レオンが不在となったらまたワタシの居場所などきっとなくなってしまう。

 それが怖いだとか、そういう風には思わないけれど。

「ワタシは、ファミリーを抜けます」

 ワタシの居場所は、レオンの隣にしかないから。

「……そうか」

「えぇ……」

 小さく頷いたら、じゃあ……とトウマはオールを握った。

「陸に着いたら、お別れだな」

「そうですね……」

「もう、会うことはないかな」

 小舟を降りて、トウマがワタシを見上げてくる。

「恐らくは、きっと」

 そうなるでしょうね。

 眉尻を下げて見せたら、トウマは細長い溜息を吐いてからワタシに向けて手を差し出してきた。

「元気でな」

「……トウマも」

 差し出された手を握り、ゆるりと解く。

 それじゃあ、と背を向け合って足を踏み出す。

 きっとトウマはアオバの意志をしっかりと引き継ぎ、組を立派に立て直すだろう。

 それに反してワタシは……――

 レオンのワタシ室にある羊皮紙に万年筆を滑らせる。

『レオンは神の元へと旅立ちました』

 そして、その下にやや小さめの字で続ける。

『また、シルヴァードもレオンと共にファミリーから去ります』

 その紙をどこに置けば分かりやすいだろうかと思案した後、ワタシはリビングのローテーブルに置き去りにすることに決めた。

 琥珀を注いだバカラをペーパーウェイトの代わりに。

 そうやってそのままふらりと行方を眩ませたワタシを探しにくる人間は誰一人として居なかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る