第7話:日輪の逝去


 主人がワタシに何も告げず邸を長く留守にすることは多くないものの、まったくないことでもない。

 だから、今回も一言残すのを忘れて遊歴にでも出たのだろうなという憶測。

 今度はどこへ行ったのやら。

 どうせ連れ合いはアオバなのだろうから、その内「伝言を残していかなくてごめんね」などと苦笑混じりの軽い謝罪と共に土産をたくさん持ち帰るのだろうと思っていた。

 街へと買い物に出た帰り。カフェのテラスで遅めの昼食を摂っていたら、あっ、と柵の向こうから弾けた声。

 ん? と声がした方へ視線を遣れば、そこにはトウマがワタシと同様にクラフトの紙袋を抱えて立っていた。

「偶然だな、シルヴァード」

「えぇ。トウマは今急ぎの用ですか?」

「いや、丁度ひと段落ついたところだ」

「では少し休憩を兼ねて一緒にお茶でもどうでしょう?」

 にこやかに笑んだワタシに、トウマは「なら、邪魔するぜ」と歯を見せて笑ってからワタシと向き合う椅子に腰を落とした。

 この店イチオシのフレッシュなレモネードを頼んだトウマは、ストローの先でレモンの薄切りをつつきながら、はぁとわざとらしい大きな溜息。

「別に初めてのことじゃないけど。一言も残さずにフラッと居なくなるのはやめて欲しいよな」

「アオバさんも、ですか? レオンも五日程前から何も云わずに帰らないので、二人して今度はどこへ行ったのでしょうかと思っていたところです」

 パニーニの最後のひと口を頬張ったら、トウマは大きな瞬きひとつ。

「五日、前?」

「えぇ」

「アオバさんは一週間前から帰ってないぞ?」

 トウマの言葉に、クエスチョンマークが頭上を飛び交う。

「……? 出発を別にしてどこかで合流しているのでしょうか?」

 おや、と二人で首を捻る。

 確かに長い付き合いである彼らのことだ。そういうことがないこともないだろうけれど、何とはなしに込み上げた違和感。

「シルヴァード」

「はい」

 数拍後、無意識に硬度を増したふたつの声。

「確かに無言で居なくなるのは初めてのことじゃないよな」

「そうですね。けれど、二人共、そして日にちのズレがあるというのは極めて珍しいことだと思います」

「……だよな」

 ぐに、とトウマのストローがグラスの底でレモンの輪切りを押し潰す。

「少し、調べた方が良さそうな気がしないか?」

「同感です。何もなければそれはそれで問題はないですから」

 こくん、と頷き合って。ワタシたちは速やかに会計を済ませるなり、夜また同じ場所で落ち合おうと約束をして歩先を別にした。

 邪魔な荷物を先に邸へと置き、その足で街中の心当たりを探り歩く。

 レオンとアオバの二人連れは目立つし、街中でもよく見られる光景だからこの界隈では二人を知らない人間の方が少ないくらい。

 そう云えば二人で連れ合っている姿は暫く見てないな。

 レオンさんはこの前銃弾を珍しく自分で買いに来たよ。

 何だか急いでる様子で夜道を歩いているのを見たなぁ。

 断片的な情報量は心許ない。

 決め手に欠けるそれを辛うじて握り締めながら約束通りトウマと合流する。

「どうだった?」

「決定的な情報は残念ながら」

「こっちも同じだ」

 掻き集めた二人分の情報を合わせても、レオンとアオバの行き先が知れないことが胸の片隅に不穏を宿す。

 もう少し聞き込みを続けるか、と。今度は夜の街に走ろうとしたところで、おやぁ? とのんびりとした声がワタシたちの背中を叩いた。

「こんな時間にお二人だけとは珍しいですねぇ」

 にこにこと胡散臭ささえ感じる笑みをふんだんに湛えながら現れたのは、ふらりと現れてはふらりと消えていく、まさに神出鬼没とも云える高身長の男。

 ウェーブの掛かった稲穂色の髪が月明りを纏って輝いている。

「……ノルン」

「何かご用ですか?」

 二人、硬い声で応じれば、ノルンは両手を顔の高さに上げてへらりと笑った。

「そんな怖い顔しないで下さい」

「俺たちは今忙しいんだ。お前に構っている暇はない」

 トウマの吐き捨てるような台詞に、ノルンは「へぇ」と演技掛かった仕草で目を大きく開いた。

「お二人が昼に街を奔走していたことをちらりと小耳に挟んだもので」

「それが何か?」

 ノルンとは逆にワタシが目を細めると、彼は楽しそうな顔で背後で手を組んだ。

「お二人はご主人様方の行方を探しているとか」

「……お前、何か知っているのか?」

 トウマの尖った声に、ふふと笑うノルン。

「僕も直接見た訳ではないので」

「回りくどいのは好きませんね」

 ワタシの低い声に、ノルンは肩を竦めてシィ、と唇に人差し指を当てた。

「チャイナタウン」

「チャイナタウン……?」

「それも、わざわざ小舟を使って裏側から」

「裏側……?」

 訝しみながら首を傾げるワタシたちに、ノルンが更に声を潜める。

「恐らくは『宝石』が関与しているのかと」

 宝石、という言葉をゆっくりと強調するノルンの口振りに、ハッとさせられる。

「どうして声を掛けてくれなかったんだ……ッ」

「無茶はやめて欲しいとあれ程云ったのに……」

 揃って額を押さえるワタシたちに、ノルンは姿勢を正してまた後ろ手に手を組む。

「僕が知っている情報はこれだけです」

 この続きは恐らく別の方の方が詳しいかも知れませんね。

 ノルンが云う『別の方』が誰だかを問う必要性はない。

「シルヴァード」

「えぇ、すぐにでも向かいましょう」

 ノルンが現れ、別の人間が詳細を保持しているかも知れないなどと匂わせられたら、レオンたちがただの遊歴に出たのではないことは明白。

「今回は礼を云うぜ」

「対価は後日改めて」

 声を揃え、急いで踵を返したワタシたちの姿を遠くしてからノルンは紙芝居の始まりを楽しみにする子供のような笑み。

「どうやらとっても面白いことになりそうですね」

 ふわりと長いコートの裾を翻し、ノルンは小さく肩を揺らしながら闇夜に溶け込んだ。

 

 チャイナタウンに海を介した裏口があるなどということはワタシもトウマも知らなかったこと。もしかしたらレオンとアオバも知らなかったのではないだろうか。

 彼らの足取りを追うように同じ経路を辿ったとしても、欲しい情報が手に入るとは限らない。

 ここは正面から心当たりに飛び付く方が賢明だと判断したワタシたちは、街を抜けて朱紅のぼんぼりが目立つチャイナタウンへと駆けた。

 チャイナタウン界隈を牛耳るのは他でもない青狼会――その中枢は雪雨(シュエユー)とその側近である宇風(ユーフォン)。

 チャイナタウンの奥。絢爛ではないが意匠を凝らした邸が彼らの巣だ。

 門前の左右に立っている男二人に「シュエユーに会いたいのだが」という明瞭簡潔な言葉はしかし簡潔過ぎたのだろうか、指一本の隙間ですら門扉を開けてもらうことは叶わなかった。

 ここで粘っても時間の無駄だろう、とワタシたちは賑やかしい街に出た。

 色彩の暴力と云っても差し支えない色鮮やかさが街全体を明るく、けれどもどこか物憂げに包んでいる。

 ワタシとトウマはチャイナタウンには詳しくない。ここで別行動を取り互いの居場所が分からなくなってしまっては困るだろうと、ワタシたちは中央通りを挟んで両脇に軒を連ねる商店を中心に聞き込みを開始した。

 このチャイナタウンに海から入れる場所があるということは現地の人でも知る者は居なかった。辛うじてその存在を知っていた老人も、そこはとうの昔に巨石で封じた場所。今や容易く出入り出来るような場所ではないと云うだけだった。

 やはり雪雨に会わなければ事態は進展しなさそう。けれどもどこへ行けば会えるのか。

 トウマと顔を見合わせ肩を落としたら、あれ? と聞いたことのある声。

 反射的に顔を上げれば、そこには布袋を抱えた宇風の姿があった。

「二人がココに居るなんて珍しいね?」

 ご主人様たちは? なんて悪戯めかした宇風の台詞に、そのことについて雪雨と話をしたいと訴える。

「シュエユーは気紛れだから、その話を聞くか聞かないかの保証は出来ないけど……」

 まぁ、一応打診しないでもないよという笑顔は一縷の望み。

 その笑顔によろしく、そしてありがとうを告げてから、ワタシたちは一度腹拵えをしようと安価な屋台で軽く食事を摂った。

 体を資本とするのであれば、脳にも栄養を通わせておかなければならない。

 これで暫く頭も体もしっかり働いてくれるだろうという万全の状態で、ワタシとトウマは宇風が「後でこれを持って来ると良いよ」と云って渡してくれた房飾りを手に、改めて邸へと赴いた。

 再びワタシたちの姿を見て警戒の姿勢を見せた門番たちだったが、ワタシがスラックスのポケットから取り出した房飾りを見るなり、すい、とあっさり門扉を開けてくれた。

「成程、吉祥結びの房飾りが通行証代わりとはな」

「依られた糸が紫と赤という色合いにも意味がありそうですけれど」

「まぁ、そんなことは今の俺たちに関係ないことだ」

「そうですね」

 案内人は居らずとも、邸の中のどの部屋を目指せば良いかは分かり切っていること。

 邸の主人というものは大抵奥のどんつきに大きな自室を構えているからだ。

 目の前に立ちはだかった豪奢な扉を軽く叩けば、細く開いた扉の間から赤い髪の毛が飛び出してくる。

「良かったね。今夜のシュエユーは機嫌が良さそうだよ」

 そう苦笑しながら宇風がワタシとトウマを部屋に招き入れる。

 静かに絨毯を踏めば、長椅子にゆったりと体を伸ばしている雪雨の姿。

「珍しいお客様ですね」

「聞きたいことがある」

 トウマの第一声に、雪雨はクスクスと肩を揺らしながらゆっくりと起き上がってパチンと音を立てて閉じた木製の扇子で片手を叩いた。

「貴方たちが私に訊きたいことがあるのだということはユーフォンから聞いています」

 ジャラリと音を立てて扇子を開き、口許を隠す雪雨。

「聞いているなら話は早いな」

 自分たちの主人の居場所が知りたい、とトウマがすかさず言葉を継げば、雪雨は少しだけ目を丸くしてから、すぐに目許だけで笑った。

「そちらも単刀直入で助かりますね」

 余計な駆け引きや回りくどさは好きではないので。

 ふふと肩を揺らし、雪雨はひとつ扇子をはためかせた。

「このチャイナタウンには地続きになっていない入り口があることを、」

「聞いています」

「有難いですね」

 そう。このチャイナタウンには海から忍び込める小さな入り江があります。ただ、ここでは昔余りにも水難が相次いだ為、そこからの出入りを禁ずるよう巨石で塞いでいました。

 しかしその巨石は表面が水溶性の膜に覆われていたのか、年月を経た昨今小舟が行き来出来る程の隙間が出来てしまったのだとか。この入り江から街へ出るまでは暫く山深くなっているので、良からぬ者にとってその存在を眩ますには打って付けの場所となっている訳です。

 これを見て見ぬ振りをしているのは単純にそのような小者の為に人や労力を消費するのが無駄なことだと感じているからです。

 元よりこのチャイナタウンは混沌の街。荒くれ者など珍しくはない場所ですからそのまま放置しているだけになっています。

「ですから、」

 と。一息吐いてから雪雨は気怠げに、しかし愉快そうに肩を揺すった。

「この先の話に関しては私にも確証はありません。つい最近風の噂に聞いただけのことなので……」

 ほう、と溜息。そして緩く瞬いてから、雪雨は細めた双眸でワタシとトウマをそれぞれ一瞥した。

「人魚の涙」

「にんぎょの、」

「なみだ……?」

 トウマと揃って軽く首を傾げたら、察しの悪い方々ですねと淡い嘲り。

「人魚の涙はどんなに高価な石よりも希少価値の高い石として古くから探し求められている『宝石』ですよ」

 潜んだ語尾に、トウマと顔を見合わせる。

「入り江から深い山を超えた先には『十三狐楼』という雑居ビル群が密集しています」

 そのどこかにある『水槽』に麗しき人魚が連れ込まれたという噂がある。

 それが私からお二人に話せる精一杯ですね、とまた扇子をひらめかす雪雨。

「そこには入り江からじゃなきゃ行けないのか?」

 トウマの問いに答えたのは雪雨ではなく、雪雨の隣から一歩踏み出してきた宇風の方。

「ここからでも行けなくはないよ」

 但し、それなりの対価が必要になるけど。

 そう云いながらマジックのように宇風が片手に短冊を数枚広げた。

「紙幣……ですか?」

「ただの紙幣じゃないけどね」

 ワタシの声に宇風が肩を竦める。

「ここから十三狐楼に行くには死者の森を抜けていかなきゃならない。ただの死者じゃなくて、私利私欲に溺れたクズの集まり……俺たちは狂屍って呼んでるけど。そいつらにあの世で使える金を配ってやらなきゃ素直にその道を通してもらえなくてね」

 だから、死者用の紙銭を用意する金が必要になるんだ、と宇風は紙銭をワタシの手に押し付けた。

「帰り道の分も考えて紙銭は多いに越したことはないよ。準備出来たら声を掛けてくれれば案内してあげる」

 それで良いんだよね、シュエユー?

 首だけで雪雨を振り返る宇風に、雪雨は「えぇ」と満足そうに艶美な笑みを浮かべた。

 そうして一度邸から放り出されたワタシとトウマ。

 これからどうしようか、などと惑う筈もなく。ワタシたちは二人で紙銭を手に入れる場所を探し、自分たちが身に付けている装飾と紙銭を交換出来るだけ交換すると同時に、それなりの武装も固めてから雪雨の邸へと舞い戻った。

「うん、じゃあ行こうか」

 ワタシたちが集めてきた紙銭に不足はないと判断したらしい。宇風は雪雨に「ちょっと行ってくるよ」と片手をひらめかせてからワタシとトウマを十三狐楼へと導いた。

 狂屍たちへの紙銭をばら撒きながら薄暗い森を抜けたのと同時に、今度はネオンが目に痛いビル群が視界を覆い尽くした。

「ここが十三狐楼だよ。俺の役目はここまで。あとは二人で頑張って」

 徒労に終わらないことだけを祈ってるよ、という宇風の声を背に、ワタシとトウマは視界を圧倒してくるネオンに負けじと十三狐楼に踏み込んだ。

「しっかしどこもかしこも煩いな」

「まさに雑居、というに相応しいですね」

「こんなとこではぐれたら敵わねぇな」

「えぇ。けれども常に二人行動というのも非効率的です」

 せめて何かがあった時互いに知らせとなる方法があれば良いのですが……と口許に手を遣ったら、あっ、とトウマがワタシの肩を叩いた。

「あれ丁度良さそうじゃないか?」

 ほら、と指差されたのは火薬玉を売っている露店。

「色が付いた閃光弾があれば、目印になると思うんだけど」

「そうですね、その案は良いと思います」

 頷き、露店商の前に立つ。

「おっさん、この中で珍しい色の閃光弾はあるか?」

「珍しい色?」

 しゃがれた声に、額は問いませんと付け足せば、露店商は昏い双眸の奥にどろりとした光を宿してから、背後に置いてあった鍵付きのアルミ缶をワタシたちの眼下に置いた。その中にしまわれていたのは一見少し大きめの花蕾。

「珍しいといえば、この青く発光する閃光弾だ。それに加えてこいつは他とは全く違った花を咲かせる。滅多に打ち上がることのないものだから、余計な人目を奪う効果も期待出来る」

 成程。用途を告げずともそれを悟ってこの閃光弾を見せてきたのだったら、この十三狐楼という場所は侮って掛かってはならない場所だな、と思う。

「あるだけ貰おうか、おっさん」

「幾ら出す?」

「これでは足りませんか?」

 スラックスのポケットから銃弾みっつを取り出したら、露店商はふむ、と小さく唸ってからワタシとトウマの手に二個ずつ閃光弾を握らせた。

 やや渋い、とは思えど、ここで露店商の機嫌を損ねるのは賢明ではないとワタシたちは軽く頭を下げ、露店から静かに離れた。

「取り敢えず有益な情報を手に入れられたらコイツを打ち上げることにするか」

「そうしましょう。トウマ、火種は持っていますか?」

「マッチがある」

「では問題ありませんね」

 左右に分かれて情報収集を始めましょう、と。ワタシたちは背を向け合った。

 視覚、聴覚の暴力と戦いながら喧騒の中を駆け回る。

 中々有益な情報を得られぬまま時間だけが過ぎていくもどかしさ。

 人魚の涙に関する話とぶつかったのは四半日程駆け回ってから訪れた賭博場だった。

 単なる聞き込みだけで情報が得られる筈もなく。ワタシはルーレットにも似たルールの『チンチロリン』という賭博ゲームで勝ちを得てから、金銭の代わりに情報の提供を所望した。

 何でも、人魚の水槽というのは随分と古くから存在するものらしい。ただ、その水槽に新鮮な水が張られることは稀らしい。

 今その水槽がどうなっているかは知らないが、水槽がある場所なら教えてやらないでもない。次の勝負で兄ちゃんが勝てばな、という下品な嗤い声に、ワタシは冷静を極めた顔で一戦を催促した。

 ポーカーフェイスや難しい駆け引きが鍵とならないゲームだったことは幸い。幸運の女神に祈りを捧げてから振ったサイコロの目は赤丸みっつ。

 完全勝利を得たワタシは、長居は無用とその場をすぐさま後にした。

 人魚の水槽があるビルは、背の高いビルの背後に隠れるように隣接している低層の建物だった。

 ネオンのネの字もないその佇まいがいかにも後ろ暗さを内包しているよう。

 ひんやりとした空気が頬を撫でる。念の為銃を構えながら静かにビル内を探索していく。

 人の気配はない。三階、四階と上がって行っても人の気配どころか鼠の気配すら感じない。まさかガセを掴まされたのだろうかと下唇を噛みながら、最上階である五階のフロアを踏み締める。

 所々鉄筋が露わになり、部屋と部屋との仕切りとなるコンクリートが崩れているその最奥の部屋を慎重に覗き込み、

「――――ッ!」

 ワタシは声にならない悲鳴を上げながら、構えていた銃を取り落としそうになった。

 喉を引き攣らせながら駆け込んだ部屋には確かに大きな水槽。けれどもその中に浮かんでいたのは人魚ではなく、

「アオバ、さんっ!」

 こちらへ背を向けてはいるけれども、艶やかな黒髪と白いコートは嫌になるくらい見覚えがある。

 水槽に駆け寄って、ワタシはもう一度。金切り声になり損ねた無音の悲鳴を上げた。

「レオン……ッ!」

 アオバの向こうには、背を刀で串刺しにされているレオンが伏していたのだ。白いスーツの背中には鮮紅色の大きな染み。

「レオン、レオンッ!」

 今度こそ銃を放ってレオンの傍に膝をつく。

 片腕を水槽に引っ掛けているレオンのもう片腕を掴んですぐさま手首に指を当てる。五秒してから、次に触れたのは頸動脈。

 今度は十秒、指を押し当てたワタシはそろりとその手を引く。

「レオンッ」

 寝汚い彼のことだから、疲れて眠ってしまっただけなのではないかと思わず肩を揺すりながら名前を叫ぶが、本能はそれが無駄なことだとワタシを嘲笑う。

「――――ッ」

 ぐらり、脳髄が震える。

「レオン……」

 呼吸が浅くなって苦しい。

 ふと、水槽に引っ掛けられている腕の先を見たワタシは思わず喉を鳴らす。

 色を失った長い小指が、アオバのそれと絡まっていたのだ。

 いつも綺麗に磨かれていたふたつのシルバーが鈍い色を触れ合わせている。

 あぁ、と重なった悲嘆。

 この二人に起こった悲劇の詳細は知れない。けれども最期の最期まで離れることを厭ったのだと思われるその現実は、幾重もの意味でワタシを打ちのめすに充分。

 大きく揺らぎそうになる視界を忙しない瞬きで誤魔化し、暗い空が覗ける窓へと閃光弾を打ち放った。

 青白いその花はまるで菊のような様相で。いよいよワタシは嗚咽を噛み殺すことに必死になった。

 トウマが駆け付けるまで時間はさして掛からなかった。

 きっと彼も彼でこのビルの存在に行き当たっていたのだろう。

「シルヴァード!」

 ワタシの名前を叫びながら駆け込んで来たトウマも、ワタシ同様部屋の入り口で一瞬硬直した。

「アオバ、さん……ッ?」

 アオバさん! と駆け寄って来るトウマは、座り込んでいるワタシの隣に立ってアオバの顔に貼り付いた髪の毛を退けた。

 ただでさえ白い肌が蒼白くなったその頬を撫でて、鼻先に手を翳してからワタシを見下ろす。

「シルヴァード……」

「…………」

 息を呑んだトウマと視線を交えたまま、のろりと頭を左右に振る。

「うそ、だろ……?」

「そうであったら、どれだけ良いことでしょうか……」

「アオバ、さん……」

「レオン……」

 互いの主人の名前を呟いて。

 地面にへたり込んだワタシたちは静かに顔を覆ってからようやっと堰を崩して大きく慟哭した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る