第9話:約束よりも誓いを刻んで


 身勝手にファミリーを抜けたワタシは、ただただ茫洋に海岸沿いをひた歩いた。

 もうシーズンではなくなった海岸沿いに人影は少ない。

 こうして海岸沿いを歩き続けた記憶はもう古く、あぁ懐かしいなと思う。あの時隣に居た人は今は居ないけれど。

 一歩踏み出すごとに網膜の裏で瞬く景色は、驚く程に鮮明で。思い出が美化されるというのはこういうことを云うのだろうかなどとぼんやり思う。

 レオンと出会い、その側近にしてもらえたことでワタシの人生は大きく変わった。

 ノイズ混じりのモノクロームだった世界が色鮮やかに輝くようになったのがその証拠。

 レオンにとってワタシがどのような立ち位置にあったのかは知れないけれど。少なからずワタシはレオンと過ごした日々を幸せだと反芻し、邪気なく笑顔を浮かべることが出来る。

 こんな風に笑えるようにしてくれたのはレオンその人に他ならなくて。だからワタシはレオンにどれだけ感謝してもし尽くせない。

「ヴェリダーブルマン、」

 声なく呟いてから、目を閉じる。

 瞼裡に浮かんだ笑顔はワタシの宝物。

「ヴェリダーブルマン、あなたはワタシの希望でした……」

 今度は海風に乗せた音。

 レオンが居たから、今のワタシが居る。

 レオンの傍に居ることがワタシにとって何よりもの幸せだった。

 彼の側近で、彼の武器であることがワタシに存在意義を与えてくれたのだ。

 レオンには幾度「ありがとう」を伝えても足りない。

 玩具としてではなく、人間として、武器として。ワタシの人権を守り尊重してくれた恩義は底知れない。

 瞬きをする度に変わる景色。

 その鮮やかな思い出は決して美化されたものではないと思い直す。

 事実。ワタシの世界が色付いたのはレオンの存在あってのことだったのだから。

 レオンにとっての一番がアオバの存在であったことに多少なりの悔しさはなくもない。

 それでも付き合いの長さを考え、彼らの仲の深さを鑑みれば当然のことでもあるだろう。

 絡まっていた小指が示す約束、とは何だったのだろう。

 共に果てること?

 そんな後ろ向きな約束を、彼らはしないだろう。

 きっと共に寄り添い支え合い、いつまでも肩を並べて歩むことを約束していたのではないか。

 真実を知らないワタシは憶測でしか彼らの約束を探ることが出来ないけれども。

 ただただ、生涯共に在り続けることを願ったのだろうということは容易に想像出来た。

 レオンという主人を失くしたワタシは或る意味天涯孤独。

 ファミリーの人間を『家族』だとは到底思えなかったからこそ、ワタシはファミリーを抜け出して来たのだ。

 海岸沿いの端っこ。堤防を乗り越えて砂浜を踏む。

 少し歩いた先には古くに使われていたのだろう船着場のようなコンクリートの細い道。

 その先端まで歩いて静かに目を閉じる。

 潮風を肺いっぱいに吸い込んでから細長くゆっくりと息を吐く。

 目の前に広がる水平線では、色濃い夕陽が二色の青それぞれに半円を描いている。

 あの夕陽の色が好きだった。

 どうせなら、あの夕陽の色に染まってしまいたいと思った。

 染まって、融けて。

 擬似的にでも、寄り添いたいと。そう思ったから、ワタシはこうして海岸沿いを端っこまで歩いて来たのだ。

 人の気配がないことを確かめて、ワタシはゆるりと目を閉じる。

 映写機が、網膜にフィルムのひとコマひとコマを次々に映し出していく。

「ワタシは、この言葉を吐く日が来るとは思ってもいませんでした……」

 誰が聞いている訳でもないその独り言を、乾いた風が攫っていく。

「レオン……」

 瞼を少しだけ持ち上げて、唇を舐める。

 また、今度はぎゅっと目を瞑ってから大きく目を開ける。

 眩しかった夕陽色が夜に融ける、その前に。

 ワタシにはやるべきことがひとつある。

「ワタシはちゃんとあなたとの約束を守りました」

だって、ワタシはあなたより先に壊れなかったのだから。

 ただひとつ悔いることがあるならば、それは最期の瞬間にあなたの武器で在れなかったことくらい。

「だから、もう良いですよね」

 約束は守った。

 あなたより先に壊れはしないという誓いは守り通した。

 そうでしょう?

「レオン……」

 網膜の裏で微笑むレオンに向かって微笑み返す。

「ワタシは、きっとあなたの武器になる為に生まれてきたのでしょう」

 それは運命を超えた宿命とでも云おうか。

「ですから、その持ち主が居なければ武器などただの鉄塊に過ぎません」

 持ち主を失った武器など、ガラクタと云っても何ら差し支えないのだ。

「ワタシはあなたの側近になったあの日から決めていたのです」

 それこそ、これは日輪に捧げた誓い。

「ワタシは生涯レオンの為だけに生きる、と」

 強く、そう己の心に誓っていた。

 そうしてその必要がなくなった今。ワタシの存在意義は失われた。

 ただ、それを失ったことに悲観はない。

寧ろ、約束を。誓いを違わなかった自分を誇りにすら思う。

 最期まで、ワタシはレオンの為だけに生きることが出来たのだから。

「レオン……」

この長くない生の中でただ一人心の底から愛した人。

「あいしています」

 それは過去形に出来ない想い。

 ワタシはレオンの傍に居ることが何よりもの幸せでした。

 そんなワタシと過ごした時間の中に、あなたも刹那であろうと小さな幸せを感じてくれていたでしょうか?

 もしそうであれば――

「ワタシに思い残すことはありません」

 ふわり、自然と浮かんだ微笑はこれまでの人生の中で最も穏やかなものだったのではないだろうか。


 ――命を粗末にしてはいけないよ、と。

 

ふと鼓膜の内側に蘇った言葉。

 分かっています、と唇が弧を描く。

「レオン」

 ホルスターに手を伸ばす。

握ったのはレオンの愛銃。

「ありがとうございます」

 胸ポケットに入れていた銃弾をシリンダーに装填する。

「ワタシはあなたと出会えて幸せでした」

 ガチャン、と響いた金属音。

「ですから……」

 カチャリ、ハンマーを倒す。

「ワタシの役目はもう、」

 こめかみに当てた銃口。

「ワタシの役目はもう終わりです」

 そっとトリガーに指を掛けて瞼を落とす。 

 網膜が記録している笑顔が好きで好きで。

 あの笑顔を一瞬でも独り占め出来たこと。

 それが何よりもの幸福を連れてくるから。

 本当に、本当に……心の底から思うのだ。

 ワタシはとても、とても幸せ者だったのだと。

 

 だから――


「あなたがいたせかいにさようなら」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハピネス・ライクパヒューム 白井 @crow4632

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ