第4話:愛想笑いに本音を隠して


 アオバを紹介されたのはレオンの傍に身を置くようになってからさして間を置かずしてのことだった。

 東の国の組織に属している彼は、レオン同様その組織内で幹部を務めているのだという。

ワタシのアオバに対する第一印象は『掴めない人』だった。

「アオバ、この子はこれからオレの側近になってもらうシルヴァード」

 艶やかな黒髪の男にそう云ってから、レオンがワタシを見る。

「シルヴ、こっちはアオバ。オレの大切な腐れ縁だ」

 その台詞の裏に「お前も挨拶をしな」という雰囲気を感じ取って、アオバの黒曜石のような双眸を見詰めながら軽く会釈する。

「初め、まして。シルヴァードです。よろしくお願いします」

 おずおずと名乗ったワタシの挨拶を瞬きひとつで受け止めたアオバ。

 表情も口調も穏やかで。けれども注がれる眼差しの中にはワタシを観察するような色が混じっている。

「俺はレオンの紹介の通りだ。レオンの側近となるのであれば、俺も懇意にしなくてはならないな」

 ふわり、浮かべられた柔らかな笑みがどこか作りもののようだと思ったのは気の所為……だろうか。このアンバランスな感じがアオバを『掴めない人』だとワタシに認識させたのかも知れない。

「となれば、こちらの懐刀を紹介しておかねばなるまい。こっちはトウマという」

「アオバさんのご紹介に預かった通り、俺はトウマ。主人の傍に仕える身としてお互い仲良くしようぜ」

 キラキラと陽の光を反射するような髪の毛の持ち主は、そう云いながら明るい声で手を差し出してきた。

「よろしく、お願いします」

 握り返した手は穏やかだった。

 

 レオンは纏まった時間が取れると、しばしば邸を留守にすることがある。

 諸国を訪れ遊びを兼ねながら知見を広めてくる、ということが『アオバとの暗黙の遊歴』を示しているのだと知ったのは、互いの主人が留守の際にトウマから聞いた話から。

 別に隠すことでもないのに、何故レオンはその点を明確にしないで遊歴に出るのだろうか? というささやかな疑問はあれど。まだ深追いをして良い関係性ではないと判断したワタシは敢えてその理由をレオンに問うことはしなかった。

「ただいま、シルヴ」

 二週間の遊歴を経て邸に帰って来たレオン。ぺたんこな状態で持って出た鞄はやや膨らんでいる。

「お土産を買って来たよ」

 機嫌良くそう云いながら、レオンはゆっくりと鞄を萎ませていく。

 テーブルの上に並べられたのは幾つかの菓子包みと、猫を模したのであろうガラス細工。

「菓子類はシルヴの好みがまだ分からないから、色んな種類を揃えてみたんだ」

 口に合うものがあれば良いんだけど、と笑いながらレオンはガラス細工の置物を手に取る。

「で、これは幸福を呼ぶお守りみたいなものらしいよ。埋め込まれてる目の色がシルヴの目の色に似ているなと思ってついね。特別良いことがなくとも、悪いことが起きなければ良いなと思って買って来てみたんだ」

 結構愛らしいと思わないかい?

 ふふと吐息を揺らすレオンがワタシの手にガラス細工をそっと乗せる。

 その顔にあたる部分をよく見れば、確かに自分の瞳と似た色をしたふたつの小さな石がそっと埋め込まれていた。

 まじまじとそれを見詰めていたワタシの表情をどう受け取ったのか。レオンは軽く肩を竦めながら、気に入らなかった? と問うてくる。

「いえ、その逆です」

 緩く首を左右に振ってにこりと笑む。

「とても気に入りました。部屋に大切に飾ります」

 レオンから初めて受け取った形に残る贈り物は、ワタシの胸の奥をじわりと温めた。

「さて。良い感じにリセットして来れたから、明日からまたファミリーの為に動かないと」

 勿論シルヴも一緒にね。

 そんな、レオンにとっては何でもない一言がワタシの心を浮つかせるだなんて、彼は知る由もないだろうけれど。

 

 アオバはレオンに対して非常に穏やかで柔和な笑みを絶やさない。しかし、レオンの傍に付き添うワタシを見る時はいつだって初めの刹那だけ他とは違う。ほんの微かにだけ目を細め、ふっ、と淡く笑んで見せるのだ。

 瞬きひとつ分よりも短いその瞬間に必ず気付いてしまうワタシはその真意が分からず、何となくモヤモヤする。こういう時、自分がもっと鈍感であったら良かったのにと何度思ったことか。

 過去の経験から培ってしまった鋭敏な性分を覆せないのは恨めしいことこの上ない。

 それでも『取り繕う』ことを知っているワタシは、少なからずアオバに余計な不快感を与える印象を残しはしていないだろう。

 鋭利な眼差しから受けるのは純粋な嫉妬に由来するもので、ワタシ自身を憎悪しているという感じではないからだ。 

 レオンとアオバの仲の良さがただの腐れ縁……大切な幼馴染みという枠に収まり切らないのだと気付いたのはいつ頃だっただろう。

 遊歴から帰った直後や、久方振りにレオンと会った時のアオバの声音が弾みがちなこと、そして彼の笑顔がレオンへのものとワタシやトウマへのものと違うような気がした。

 レオンもレオンでアオバに対してだけ、他には見せない崩した態度で接するところが二人の仲の親密さをまざまざと見せ付けられている気になった。

 その親密さに特別な名前があるのでは……とワタシに疑念を抱かせたのは、レオンとアオバの右手小指に揃いのリングが嵌っていたから。埋め込まれている石の色こそ違えど、デザインは全く同じ。ただ、これは古馴染みだから、というだけの理由でも片付けられる話ではあるから、決定打には欠ける。

 ワタシが抱く疑惑が確信に変わったのは、レオンが時折纏って帰ってくる香りと一輪の小さな花によるものだった。

 レオンはシガーを嗜む。自分好みに葉をブレンドしたプレミアムシガーだ。エスプレッソにふんわりとバニラを混ぜたような香りは、さながらウインナーコーヒーのよう。

 けれども、だ。レオンは別の香りを――それは必ずと云って差し支えない程、同じ香りだ――纏って帰って来ることがある。

 レオンが嗜む苦めの香りとは違う、燻された甘いハチミツの香り。

 ジャケットに、髪の毛にと匂いが移るということはそれなりに長時間密接している時間が長いことを教えてくれる。

 エスプレッソに重なる纏わり付くようなハチミツの濃い香りはワタシの胸裡を掻き乱す。

 何故ならワタシはそのハチミツの香りを漂わせる人間を知っているからだ。

 これ以上の説明はもう必要ないと思う。燻したハチミツの香りを漂わせるその人は、アオバ以外の何者でもないのだ。

 加えて、レオンの首元ギリギリ。露出するかしないかの位置に咲く赤い花を見付けたワタシは、あぁ、と合点するしかなかった。

 少なからずレオンがアオバに所有されているのだと知ったその瞬間。漣が如く騒めいた脳髄のぐらつきは忘れたくても忘れられない。

 同時に、アオバがワタシに対して刹那目を細めながら淡く笑む理由が漸く分かったのだった。

 ハチミツ自体の香りは嫌いではないし、寧ろその香りを嗅ぐと安心する。けれども、この燻されたハチミツの香りはどうしたって好きにはなれなかったし、慣れることも出来なかった。

 後日。レオンのシガーを補充しにシガレットショップを訪れた際、熱心にシガーを選んでいる女性と居合わせた。選んでいるのはボックス入りのものではなく、一本が缶筒に収まっているもののよう。

 すっかり顔馴染みになった店主からレオンのシガーを受け取ると、その女性がちらりとワタシを見上げて二度瞬き。そうして、あの、と声を掛けてきた。

「シガーにお詳しいのですか?」

「あぁ、いえ……これは遣いなので……」

 そこまで詳しくはありませんと眉尻を下げたら、女性はそうですか……と長い睫毛を落としてから、また熱心に何本ものシガーの缶筒と睨めっこをし始めた。

「……何故そんなに熱心にシガーを選んでらっしゃるのですか?」

 可憐、と形容しても的外れではない容姿の女性がシガーを嗜む姿が想像出来ず、思わず問うてしまう。

「あなたは特別な相手へシガーを贈る意味を知らない?」

「贈る意味……? 差し支えなければ教えていただけますか?」

 顔を覗かせた好奇心で問いを重ねれば、女性は缶筒の一本を片手で弄びながらどこか気恥ずかしそうな表情でそっと肩を揺らした。

「あなたのことを特別大事に慕っています、という意味があるの」

「それはまるで、愛の告白のようですね」

 ぽつりと呟けば、えぇと頷く女性。

「赤い薔薇を贈るのとそう変わらないかしら」

 そんな風に大切な意味があるからこそ、相手の好みになるべく沿うものを選びたくてずっと悩んでいるの。だけどちょっと必死過ぎるかしら? と苦笑する女性に、いいえ、と笑む。

「大切な方への贈り物は厳選したいと思うのが普通かと」

 ご自分が納得いくものでなければ、贈り物の価値も下がってしまいますから。

 そう続けたら、女性はそうよね、と微笑んで選りすぐった一本の缶筒を買い求めてシガレットショップを出て行った。

「……大切な方へ、ですか……」

 果たして彼がその意味を知っているのか否か。そんなことは知り得ないけれど、己の気持ちを伝える手段としては暗喩的で悪くない。

 女性の真似をするよう、ワタシも何本かの缶筒と向き合ってから、オレンジ色の缶筒一本を個人的に購入した。

「レオン、ただいま戻りました」

 声を掛ければ、特等席にゆったりと腰を据えてニュースペーパーを広げていたレオンがゆるりと顔を上げる。

「お帰り、シルヴ」

 にこりと柔らかなレオンの笑みは相変わらず陽だまりのよう。

 シガー含め、遣いを頼まれたものを所定の位置に収めてから、あの、とデスク越しにレオンと向かい合う。

「どうしたんだい? シルヴ」

「レオンにこれを渡したくて」

 そう云いながらベストの内ポケットを探り、オレンジ色の缶筒を取り出す。

「それは?」

 小首を傾げるレオンに、ワタシからの贈り物ですと微笑む。

「へぇ、シルヴのチョイス?」

「はい」

 大きく頷いたら、レオンは早速パキリと蓋を捻って中のシガーを取り出した。

 少し香りを楽しんでから、普段の要領で火を点ける。

 ポッ、と先端に濃い夕陽色。少ししてから、色濃い白煙が燻る。

「うん、シルヴらしいチョイスだ。繊細で、優しい……だけどちょっとスパイシーさもある」

 主張が激しくないところもシルヴみたいで、オレとの相性は悪くないねと肩を揺するレオンに、煽てても何も出ませんよとこちらは肩を竦める。

「煽ててる訳じゃないさ。本音だよ。シガーとの相性は人との相性と存外変わらないからね」

 流石シルヴはオレのことをよく分かっている、とは嬉しい言葉……な筈なのに。

「では先の言葉はありがとう、と素直に受け止めておきます」

「そういう素直なところが好きだよ」

 微笑をひとつ。また煙を燻らすレオンから視線を逸らし、ゆるりと瞬く。

「レオン、」

「うん?」

「ワタシは、銃の手入れをしてきます」

「それならついでにオレのも頼んで良いかな?」

「モチロン」

 頷いて、レオンから彼の愛銃を受け取る。そうしてまたニュースペーパーを広げたレオンを横目に部屋を出た。

 パタン、と閉じた戸に背を預ける。

 脳裡に浮かべるのは、レオンのシガーボックスが収まっている棚の中。

 普段消費しているシガーとは別に、一本だけ未開封の青い缶筒があることは覚えていたけれど。成程、そういう意味なのだろうかと無意識に零れた溜息。

「すぐに味わってもらえたことが嬉しい、と……。素直に喜べないワタシは贅沢者なのでしょうね……」

 淡い自嘲を滲ませながら、ワタシは緩慢な足取りで自室へと向かった。

 自室のローテーブルに手入れ道具を広げ、レオンの部屋のものよりはぐんとグレードの低いソファに腰を落とす。

 先にレオンの銃を手入れしてから自分の銃の手入れをし始めようとしたところで、コンコンと叩かれた戸。

 はい、と顔を上げたら、ジャケットを羽織ったレオンの姿。

「シルヴ、急がせるようで悪いんだけどオレの銃、」

「先に手入れを終わらせています」

「ありがとう。助かるよ」

「今からどこかへ?」

 ワタシも支度をしましょうか? と立ち上がり掛けたところを手で軽く制される。

「大丈夫。ただ、アオバから連絡が入っただけだから」

「アオバさん、から……」

「あぁ。多分必要はないとは思うけど、一応携帯しておいた方が安心だからね」

 そう云って苦笑するレオンは、ワタシから受け取った銃をひと撫でしてからホルスターにセットする。

「帰りが遅くなっても心配しなくて大丈夫だから」

 もし今夜帰らなくても、明日の昼までには戻るよ、と。

 それは二人の関係の深さを思い知らされる台詞。しかし喩えそれに不満を覚えようとも、ワタシがどうこう云える立場ではない。

「分かりました」

 物分かり良く頷いて、ソファに腰を据え直すワタシ。

「じゃあ、ちょっと行って来るよ」

「行ってらっしゃい。気を付けて」

 片手を上げて踵を返したレオンに、ワタシは不自然なく笑顔を浮かべられただろうか。

 静かに閉まった戸の音が虚しく部屋に響く。

 思わず零れたのは、複雑な色をした細長い溜息だった。

 

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