第3話:絶対的な片恋の色は、


拾われるようレオンの側近として過ごすようになった日々は新鮮さに満ち溢れていた。

 色を求められないことがワタシの視覚に色彩をもたらし、世界はこんなにも輝かしかったのかと目を瞠るばかり。

 レオンの側近にならなければ知ることのなかった世界。

 そんな主従関係の健全さに戸惑うこともあったが、自分が『人間』として扱われていることが知れるこの関係性はワタシの荒んだ心の縺れた糸を少しずつ解いてくれるようだった。

 それでも過去を綺麗さっぱり忘れることなど出来はせず。

 時折不愉快な記憶を夢に見ては苛立ちを募らせる夜も少なくなかった。

 そんな夢を見た直後だけ。自分に充てがわれた部屋のベッドの上が酷く穢らわしい場所な気がしてならず、ワタシは清潔を求めるようリビングルームに足を運ぶのだった。

 初めて過去を夢に見た夜。

 まるで泥土に溺れたような気分になったワタシは、息継ぎが出来る場所を探した。邸の内外を彷徨いて、何となく入ることを躊躇っていたリビングの扉を最後に開けたら、そこには大きなソファに優雅に身を委ねるレオンの姿があった。

 ワタシの気配をすぐに察知したレオンはゆっくりとこちらを向いてから三秒後、無言でワタシを手招いた。

 ソファへ座るようにと眼差しで命令されるがままレオンの隣に座る。それと入れ違うよう立ち上がったレオン。

 何も云わずに隣接する簡易キッチンへ向かい、少しの時間を置いてから湯気の濃いマグカップを持って戻って来た彼は微笑を浮かべながらそのマグカップをワタシの手に握らせた。

 ふわりと香ったのは優しいミルクと甘いハチミツの匂い。

 レオンは相変わらず無言のまま、静かにワタシの隣に腰を落とし、飲みかけていたらしい琥珀を口に含んだ。

 そんなレオンとマグカップの中身を数度交互に見てから、そっとマグカップの中身を舌先で舐める、が……。

「……ッ、」

 すぐにマグカップを口許から離したワタシを横目に、レオンが小首を傾げる。

「どうした、シルヴ?」

「な、んでもない……です」

 小さな声で不変を唱えるけれど、数瞬後に、レオンは僅かに肩を揺らして苦笑した。

「少し熱かったかな?」

「…………」

 無言は肯定。そんなワタシにレオンはまた軽く苦笑を滲ませつつも、それ以上は何も云わずにテーブルに置いてあったニュースペーパーを広げた。

 それがレオンの優しさなのだと気付くのに時間は必要なかった。

 その夜と同じようにリビングへ赴く夜半の大抵はレオンがソファに居て、無言でワタシにハチミツ入りのホットミルクを出してくれる。

 二回目から早速ぬるめに入れられたホットミルクがワタシの穢れを流し落とすよう。

「……ありがとう、ございます」

 殆ど消えそうな声で紡いだ謝辞は、何のことかな? とでも云うように淡い微笑で受け流された。

 こんな風に深くを詮索してこないこの主人の気遣いはありがたく。ワタシがレオンのことを改めて信用しようと思ったキッカケのひとつでもあった。

 レオンはしばしば悪戯に嘘を吐くことがあるけれど、それは決して疾しさを隠す為の嘘ではない。揶揄を含めてワタシを試す、じゃれあいのような嘘だ。

「オレはね、本当はお前に田舎暮らしをしてもらいたいと思ってるんだ」

「……レオンは、ワタシを側近にしたことを失策だったと考えているのですか?」

「ははっ、そんな風に怖い顔をするものじゃないよ。嘘に決まってるだろう? オレはお人好しじゃないからね。お前のことを不要だと感じていたら、さっさと見捨てているさ」

「…………」

 むぅ、と軽く唇を歪ませるワタシを見てカラカラと笑うレオンはとても楽しそう。

 レオンの嘘はワタシとの仲を深めようとする為のコミュニケーションツールのひとつなのだ。

 そんな嘘をひとつ吐かれる度に、ワタシはレオンへの信用を深めていく。

 別に自分に心を預けなくたって良い。本当に信用出来る人間なんて一人か二人居れば充分じゃないか? と。そうキッパリ云い放つことが出来る人だからこそ。

 ワタシのレオンに対する信用度は右肩上がりになる一方なのだった。

 心がピタリと寄り添わなくても、同じ道を歩む約束を交わせば、それはもう家族という間柄と変わらない。

 そう云われ、そういうものなのか、と唇を舐める。

 でもワタシは出来ればレオンに寄り添いたい。

 寄り添った上で『家族』という繋がりを作りたいと思った。

 レオンに拾われたことでワタシは失くしてしまった家族という関係性に自分が飢えていたのだと気付いたから。

 だからワタシは真っ直ぐにレオンを見詰めて云ったのだ。

「ワタシはあなただけの家族になりたい」

 素直に、そして強く願いを込めたワタシの言葉はレオンの胸裡にちゃんと届いたようで。

 レオンは少しだけ目を細めてからワタシの頭をくしゃりとひと撫でした。

 その手は驚く程に温かく。あぁ、この夕焼け色を纏う人は紛れもなくワタシの太陽だと思った。

 生まれて初めて『売買が繰り返される玩具』としてではない存在価値をワタシに与えてくれたレオンに溺れるな、なんて。そんなことを云われる方が無理な話ではないだろうか。

 何人目だったかは記憶にない男の家で読んだ哲学書の一文を思い出す。

『青少年期に抱く同性に対する慕情は得てして憧憬と混同されるものである』

 慕情と憧憬。コインの表と裏を眺めるようなそれ。

 どちらが表で裏なのか。

 深く思案することもない。

 ワタシのレオンに対する想いは『憧れ』ではない。

 遠くからその魅力を眺めていたいのではないのだ。

 ワタシの心は確かにレオンの心に近付きたいと想っている。それは理性的な思考ではなく、本能的な希求。

 レオンの傍に居たい、というワタシの気持ちは決してビジネスライク由来のものではなく。もっとずっと子供っぽい独占欲に満ちた感情なのだ。

「シルヴと二人きりの時間は平和で悪くない」

 昂った気持ちが落ち着くからね。

シルヴと二人になると、良い具合に冷静な自分へスイッチング出来る。

 バカラの中で氷を鳴かせるレオンの言葉はまるで胸の奥深い中核部へと染みていくようだった。

 海辺でそよぐ風が乾き始めた頃。レオンは時折ワタシを夜の散歩に誘うことがあった。

 海岸沿いをゆっくりと歩くだけの散歩。

 その『時折』がどんな時なのかを知ったのは大分後のことだったのだけれど、それでもワタシはレオンの隣を歩くことが許されているという事実だけが嬉しかった。

 さらりと髪の毛を揺らす風に溶かすよう、小さく呟く。

「ワタシは、」

 ほんの少しだけレオンに視線を遣って緩く瞬く。

「うん?」

 小首を傾げたレオンを視界の端に映しながら、今度はもう少しだけ声を大きくする。

「レオンは、初めて会った時にワタシの目を宝石のようだと云いましたよね……」

「そうだったかな」

 わざとらしく肩を竦めて見せるレオン。

「忘れたのですか」

 思わず眉間に小さな皺を一本刻んだら、レオンはふふと悪戯めかして笑う。

「覚えているに決まっているだろう? 今だってシルヴの目は宝石のようだと思っているよ」

 奥深くに小さな星が煌めく、とびきり高価な宝石のようだとね。

 また戯れな嘘を吐かれたことに嫌悪感はない。

 他人とは常に一定の距離を置くレオンのパーソナルスペースの内側に、片足だけでも踏み込ませてもらえているようだと思えるからだ。

 ねぇ、レオン、と。

 ワタシは胸の裡でそっと語り掛ける。

 あなたが真っ先に気に入ってくれたワタシの瞳は、さながらラピスラズリのようだとは思いませんか?

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