第10話 『蛇足みたいな、アレやコレ』
数週間後、桜介と和架は二人と二匹で住める少し大きなアパートに引っ越した。
「太郎、なごみ、新しいお家だよ〜」
和架が嬉しそうに声をかけると、二匹は興味深そうに部屋の中を探検し始めた。
「広くなったから、なごみと太郎ももっと自由に遊べるね」
「そうだねえ。キャットタワーも置けるね!」
荷物を運び終えると、みんなで新しいリビングでお茶を飲んだ。太郎は桜介の膝に、なごみは和架の膝に座っている。
「何か、だいぶ本当の家族って感じだねえ」
和架が幸せそうに呟いた。
「うん。俺も同じこと思ってた」
桜介は太郎の頭を撫でながら、あの日のことを思い出していた。
駅で梨を拾った和架。あの優しさがなかったら、今の幸せはなかった。
そして太郎。恐怖心を克服させてくれた太郎がいなかったら、和架と一緒にいることもできなかった。
「太郎、ありがとう」
太郎は「ゴロゴロ」と喉を鳴らして、桜介の手に頭を擦り付けた。
「なごみもありがとう」
なごみも負けじと「ゴロゴロ」と鳴いた。
和架が桜介を見つめて言う。
「桜介くん、本当に変わったよね」
「そう?」
「うん。最初の頃は、なごみのことこわばった顔で見てたのに」
確かにそうだった。あの時は猫を見るだけで冷や汗をかいていた。
「今じゃ、なごみも太郎も、どっちも大事な家族だからね」
「愛してるんだね」
「うん。太郎もなごみも、そして和架もね」
和架の頬が赤くなった。
そのまま見つめ合っていると、太郎となごみが同時に「にゃーん」と大きく鳴いた。
「あ、やきもちだ」
和架が笑いながら二匹を撫でた。
「太郎もなごみも愛してるよぉ〜」
二匹は満足そうに「ゴロゴロ」と喉を鳴らした。
*
夜、ベッドに入ると太郎となごみは迷わず間に割り込んできた。
「あらら、二匹とも甘えん坊だなあ」
「でも嬉しいね。こうやって四人で眠るの」
桜介は太郎の温かい体温を感じながら、幸せをかみしめていた。
あの青い梨を拾った和架。
恐怖心を克服させてくれた太郎。
桜介を受け入れてくれたなごみ。
過去を清算してくれた梨花先生。
すべてがあったから、今の幸せがある。
「和架」
「なに? 眠いよ」
「梨の恩返し、完了したね」
和架がくすりと笑った。
「そうだね。でも、これは始まりなの」
「始まり?」
「私たちの本当の、家族としての生活の……始まり」
桜介も微笑んだ。確かにそうだ。これまでは恩返しかもしれないが、これからは自分たちで作っていく幸せだ。
「うん。がんばる」
「むにゃ……」
太郎となごみが「にゃーん」と鳴いて、まるで「僕たちも」と言っているみたいだった。
こうして、青い梨が結んだ奇跡の恋は、新しい家族の幸せな生活へと続いていった。
*
それから半年後。
桜介と和架は、よく二匹を連れて近所を散歩していた。困っている人を見かけると、自然に手を差し伸べる。
「あの、落し物ですよ」
ある日、和架がレジ横に落とされた財布を拾って、慌てて立ち去ろうとしている男性客に声をかけた。
「ああ、ありがとうございます! 助かりました」
走って戻ってきた男性客は、深々と頭を下げて感謝した。
「いえいえ、お気をつけて」
その様子を見ていた桜介は、あの日の梨のことを思い出していた。
「和架は、もともと困ってる人を放っておけない性格なんだね」
「そうかな? でも、桜介くんも同じだよ」
確かに桜介も、和架の影響で積極的に人助けをするようになった。
「和架のおかげ」
「違うと思うなあ。桜介くんの心にもともとあって、それが目覚めただけだと思う」
太郎となごみが「にゃーん」と鳴いて、二人を見上げた。
「太郎となごみも、そうだって」
「そう? 俺、そんなにお人好し? 和架みたい?」
*
家に帰ると、和架が台所で梨を切っていた。
「今日は青い梨が手に入ったよ」
桜介の心が温かくなった。あの日と同じ、青い梨だ。
「あの時を思い出すね」
「そうだね。でも今度は、ちゃんと美味しく食べてあげようね」
和架が切った梨を差し出してくれる。桜介が一口食べると、甘くてみずみずしい味が口の中に広がった。
「美味しい」
「よかった」
太郎となごみも興味深そうに梨を見つめている。
「太郎、なごみ、お前たちは猫用のおやつね」
桜介が二匹におやつをあげると、二匹は嬉しそうに食べ始めた。
いつものように、和架が桜介の隣に座る。
「桜介くん、幸せ?」
「うん。こんなに幸せになれるなんて、思ってもみなかった」
「私も」
二人は手を繋いで、窓の外を見つめた。夕日が部屋を優しく照らしている。
「あの青い梨に、感謝しなくちゃね」
「そうだね」
太郎となごみが二人の膝の上に飛び乗ってきた。もうすっかり慣れた光景だ。桜介にとって、猫恐怖症は思い出すだけの記憶になっていた。
「太郎、なごみ、ありがとう」
二匹は「ゴロゴロ」と喉を鳴らして、幸せそうに目を細めた。
桜介は思った。
梨の恩返しは確かに完了した。でも今度は自分たちが、誰かのための『梨』になる番なのだろう。
小さな親切、優しさ、愛情。
それらを次の誰かに恩返し、つまり渡していくことで、大切な幸せの輪が、少しずつ広がっていく。
太郎となごみと一緒に、和架と一緒に、そんな生活を送っていこう。
青い梨が教えてくれた、小さな奇跡を守りながら。
窓の外で、どこかの誰かがまた小さな奇跡を、誰かに届けているかもしれない。そんなことを思いながら、四人で静かな夕暮れを過ごしていた。
梨の恩返しは続いていく。続けていこう。
これからも、ずっと。
― 完 ―
『梨の恩返し』 今砂まどみ @tanak_a_g9
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