第9話 『恩返し完了』
「無理したらだめだよ。少しずつでいいからね」
和架さんの優しい言葉に支えられて、俺は着実に進歩していった。
最初は太郎がいないとなごみを撫でられなかったが、一週間後には一人でもなごみと触れ合えるようになった。
「桜介くん、すごいね!」
和架さんが、嬉しそうに拍手してくれる。
「和架さんのおかげです」
「太郎くんと、桜介くん自身の頑張りのおかげだよ」
そんなある日、二人で近所の公園を散歩していると、野良猫に出会った。だけど俺はもう、逃げ出すことはなかった。
「こ……こんにちは」
野良猫に優しく声をかけると、猫は警戒しながらもこちらへ近づいてきた。
「桜介くん、猫、大丈夫になったんだね」
「和架さんと太郎のおかげです」
野良猫は俺の手の匂いを嗅いで、安心したように「にゃん」と鳴いた。
*
俺は和架さんに提案してみた。
「和架さん、一緒に梨花ちゃんに会いに行きませんか?」
「梨花先生?」
「もうすぐ、予防接種後の検診なんで。和架さんに紹介したいんです」
和架さんは、少し驚いた顔をした。
「いいの?」
「はい。梨花ちゃんに、僕が猫恐怖症を克服できたことを報告したいんです。そして、和架さんを紹介したい」
「そっか。私も、梨花先生にお会いしてみたいよ」
翌週、二人で、太郎を連れてクリニックを訪れた。
「桜介くん! そちらはもしかして……?」
「梨花ちゃん、こちらが、僕の恋人の比良崎和架さんです」
俺の紹介に、梨花ちゃんは目を輝かせた。
「えー! なんだか嬉しい! 桜介くんに素敵な方が居て。よろしくお願いします、幼馴染の坂井梨花と申します」
「こちらこそ、桜介くんがいつもお世話になっております」
和架さんが丁寧にお辞儀をすると、梨花ちゃんは嬉しそうに笑った。
「桜介くん、太郎くんとの生活はどう?」
「おかげさまで、とても幸せです」
「そう。よかった!」
梨花ちゃんは、太郎を抱き上げて診察した。
「太郎くん、大切にされてるねえ。毛艶もいいし、表情も穏やか」
診察が終わると、梨花ちゃんは俺に言った。
「桜介くん、あの時は本当にごめんなさい」
「いえ、もう大丈夫です。むしろ、あのことがあったから太郎に出会えたし、和架さんにも出会えました」
「そっか……きっとラ・フランスも、天国で喜んでると思う」
梨花ちゃんの言葉に、俺は心が温かくなった。
「梨花先生、ありがとうございました」
「こちらこそ。またいつでもいらして」
病院を出ると、和架さんが俺の手を握った。
太郎が「にゃあん」と鳴いて、俺たちを見上げた。
三人で、夕日の中を歩いて帰った。
俺の猫恐怖症は、完全に過去のものとなってきていた。
*
正式にお付き合いを始めてから、一ヶ月が経った。
毎週末、太郎となごみを連れて公園に散歩に行くのが習慣になっていた。外が怖かったなごみは太郎と一緒なら出かけられるようになり、二匹はまるで兄弟のようにじゃれ合っている。
「太郎、なごみと遊ぶの楽しそうだね」
和架さんが嬉しそうに二匹を見つめている。俺も自然に笑顔になった。
もう、猫を見ても怖くない。むしろ、二匹の仲睦まじい様子を見ていると、胸が満たされる。
「あいつら、幸せそうですね」
「私たちも幸せだけど」
そう、和架さんが俺の手を握った。いまだにちょっと、照れて頬が赤くなる。
「はい。こんなに幸せになれるなんて、あの時は思ってもみませんでした」
「あの時?」
「駅で梨を拾ってる、和架さんを見た時です」
あの日のことをよく思い出す。青い梨を拾う、和架さんの後ろ姿。まさかあの瞬間が、俺自身や俺の人生を、ここまで激変させるなんて。
「あの梨のおかげだね」
「本当に、梨の恩返しですね」
俺たちは微笑み合った。
*
ある日曜日の午後、和架さんがクリーニング店での仕事を終えて、俺の部屋を訪れた。いつものように、合鍵で開けて入ってきて、なごみも一緒だ。
「桜介くん、太郎くんは?」
「あ、太郎は窓辺で昼寝してます」
確かに太郎は、暖かい日差しの中で気持ちよさそうに眠っていた。起きる気はなさそうで、なごみも太郎の隣に行き一緒に丸くなる。
「あの子たちは、本当に仲良しだね」
「まるで昔からの友達みたいです」
俺はお茶を入れながら、ふと思った。
「和架さん、俺たちも引っ越すことを考えませんか?」
「え?」
「猫を一緒に飼える、もう少し広い部屋に」
和架さんが、またほっぺたを片方だけ膨らませる。照れてる証拠のやつ。
「それって……」
「はい。一緒に暮らしませんか?」
俺の言葉に、和架さんは頬を真っ赤に染めた。
「でも、お付き合いしてまだ一ヶ月だよ?」
「太郎となごみは、もうすっかり家族同士ですし。俺たちも、家族になりませんか?」
和架さんは、太郎となごみを見つめた。二匹は寄り添って眠っている。どこからどう見ても、すっかり本当の家族だ。
「家族……。ふ〜ん。まあ、いいけどね」
照れてる和架さんは、いつもちょっと冷たい口調になる。そんなところが可愛い。
「本当ですか?」
「うん。私も、桜介くんと一緒にいたいし」
俺は嬉しくて、思わず和架さんの両手を握った。
「ありがとうございます!」
「ただし、条件があります」
「はい。なんでも言ってください。俺は嘘を現実にする男なんで」
「その『和架さん』とか『敬語』、いつまでやる?」
「…………………あっ、」
和架さんが、いたずらっぽく笑う。
その時、太郎となごみが同時に「にゃーん」と鳴いた。まるで俺たちの決定を、祝福しているみたいだった。
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