第7話 『優しい嘘をつくタイプ』


 桜介くんを追い出したあとで、私は一人でソファに座り込んでいた。なごみが心配そうに、膝に飛び乗ってくる。


「なごみ、私、ひどいことしちゃったかな」


 なごみは「にゃあ〜」と鳴いて、顔を擦り付けてくれた。でも胸のもやもやは消えない。


 桜介くんの慌てた顔が、頭から離れなかった。嘘をついていたみたいだった。それなのに、太郎くんを見つめる目は、やっぱりとても優しかった。


「でも、嘘は嘘だもんね」


 携帯が鳴った。明日香ちゃんからだった。


「もしもし」


『和架ちゃん、お疲れさま。あの件、どうだった?』


「あ、明日香ちゃん……」


 明日香ちゃんは、みどりの森クリニックの受付で働いている友達だ。いつも私のことを心配してくれる。


『なんか元気ないね。やっぱりあの人、怪しかった?』


「うん……嘘、ついてた」


『やっぱり!』


 明日香ちゃんの声が一段と大きくなった。


『和架ちゃん、あのね、もうちょっと調べてみたの。心配になっちゃって』


「え?」


『保護猫カフェの「ねこのおうち」に、また電話してみたんだ。草留って人についてもっと詳しく聞いてみたの』


「明日香ちゃん、そんなところまで……」


『だって和架ちゃん、すぐ人を信じちゃうんだもん。心配になるんだよ』


 確かに明日香ちゃんの言う通りだった。私はよく、人に騙される。仕事先でも「和架ちゃんはお人好しすぎるから気をつけなさい」って、店長さんに言われるくらいだ。


『それでね、聞いてびっくりしたんだけど、その草留って人、最初は猫を怖がってたんだって』


「え……怖がってた?」


『そうなの。店員さんが言ってたけど、最初に来たときは猫に近づくのも怖がってて、遠くの席にひっそり座ってたって。でも何でか、太郎って子だけには慣れたんだって』


 私は混乱した。桜介くんが猫を怖がってた? でも太郎くんとあんなに仲良くしてたのに。


『和架ちゃん、その人とはいつ知り合ったの?』


「えっと……先月の終わりかな。梨を駅で拾った日の夜に」


『やっぱり! お店に来て太郎を引き取ったのと、ほとんど同じ時期だよ』


 明日香ちゃんの指摘に、胸がドキッとした。


『つまりね、和架ちゃんと知り合ってから、急に猫を飼い始めたんだよ。なのに最初は、「猫を飼ってる」って嘘ついてたんでしょ?』


「うん……」


『絶対おかしいって。普通、飼ってない人が急に猫飼う? しかも猫を、怖がってた人なんだよ』


 明日香ちゃんの言葉を聞いていて、確かに、やっぱりおかしいという気持ちが強くなる。


『でもね、和架ちゃん』


「なに?」


『店員さんが言ってたけど、その草留って人、太郎のことはすごく可愛がってるみたいなんだよね。最初は怖がってたけど、引き取るときやそれからも、飼い方についての質問とか、よく聞きに来るんだって。とにかく太郎のためにって、毎回一生懸命だったんだって』


「そうなの?」


『うん。だから完全に悪い人ってわけじゃないのかもしれないけど……でも嘘をつくってことは、何かよくない事情があるってことだから。絶対信じたらだめだよ』


 私は、桜介くんが太郎くんを撫でてるときの、あの優しい表情を思い出した。


 あれは、嘘の表情じゃなかった。


「明日香ちゃん、ありがとう。調べてくれて」


『いいんだよ。和架ちゃんのこと心配だもん。でも、どうするの?』


「わからない……だけど今日は、桜介くんを追い出しちゃった」


『そっか……もしも連絡するとしても、なんか変だし。もう少し、時間をおいて考えてみてからにしようね』


 電話を切った後、私はなごみを抱きしめた。


「なごみ、桜介くんはなんで嘘をついたのかな」


 なごみは「にゃあ〜」と鳴いて、私の顔を見上げた。まるで『ママ、どうするの?』と聞いているみたいに。



   *



 翌朝、クリーニング店に向かいながら、私は昨日のことを考え続けていた。


 明日香ちゃんの調査で、桜介くんの嘘ははっきりした。でも同時に、桜介くんが太郎くんを大切にしているのも本当だってことがわかった。


「おはようございます」


 店に着くと、店長さんが心配そうな顔で言う。


「和架ちゃん、なんか昨日から元気ないわね」


「すみません。ちょっと悩み事があって」


「男の子のこと?」


 店長さんはいつも鋭い。私が何を隠そうとしても、すぐにわかってしまうんだ。


「はい……素敵だなって思ってる人がいたんですけど、嘘をつかれてたみたいなんです」


「あらあら。でも和架ちゃん、嘘にもいろいろあるのよ」


「え?」


「悪意のある嘘と、優しい嘘と。聞いたことない? 和架ちゃんは、その男の子は、どっちのタイプだと思う?」


 店長さんの言葉に、私ははっとした。『優しい嘘をつく、タイプ』?


「優しい嘘って?」


「相手を傷つけたくなくてつく嘘とか、相手に良く思われたくてつく嘘とか。まあ、嘘は嘘なんだけど。でも、つく気持ちが違うじゃない?」


「……でも、嘘は嘘ですよね」


「そうねぇ。でも和架ちゃん、その人は嘘をどうしたの?」


「え?」


「何か嘘をついたなら、少しはそのことを隠そうとしてたのかしら?」


 嘘を隠そうとした。桜介くんは、明らかに嘘を隠そうとしていたと思う。


 でも、それがどうして、『優しい嘘』ということになるのだろう?


「悪意のある嘘をついたなら、和架ちゃんが騙されてるのを見て、平気そうな顔してるものよ。でもその人は、嘘を隠そうとしてたんでしょう? だから和架ちゃんも、まだ気になってるのよね」


 店長さんの言葉で、私の中で何かが変わった。


「私、その人と……もう一度、話してみたいかもしれないです」


「話したらいいわよ。でも今度は、ちゃんと本当のことも聞いてあげるのよ」


「はい」


 私は決心した。桜介くんと、もう一度向き合う機会があったなら。


 そのときは、ちゃんと、すべての理由を聞いてみよう。

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