第15話 闇風の剣魔

~ side:バルナバ ~


 底の見えない闇の中を落ちていたバルナバの体が、石の床の上に転がった。


 バルナバの黒い瞳に、火晶石の灯りに照らされた石の天井が映る。


―― バルナバの鎧に隠れた胸元で、何かのひび割れた音が鳴った。


「……」


 無言で立ち上がったバルナバは、床に倒れたままのノエミとボニートを一瞥だけし、助け起こす事も声を掛ける事もせずに、部屋の外へと出た。


 部屋の外は天然の洞窟の中のような光景が広がっており、壁に付けられた火晶石が人気の無い空間を照らしている。


 バルナバは口を閉ざしたまま、整えられた道をゆっくりと歩く。

 所々に置かれた案内の看板通りに進んでいけば、すぐに広間へと到着した。


「おや、バルナバじゃないかい。ここに来るなんて珍しい事もあったもんだね」

「……」


 鷲の羽を付けた帽子を被り、狩人の装いをした貴公子がバルナバに話し掛けてきた。


「今日は例のカナン嬢だったんだろ。狩りは上手くいったのかい?」


 柔らかな光を宿す貴公子の目がバルナバの壊れた鎧を映し、バルナバの顔に刻まれた火傷を映した。


「ま、聞くまでもない事かな」

「……」


 広間に〈リーン、リーン〉とベルの音が響いた。

 出入口を閉ざしてた重厚な鉄の扉がゆっくりと奥に開いていく。


「「お帰りなさいませ!!」」


 水桶とタオル、美酒の詰まった瓶を乗せた台車を押して、使用人の男達が入ってくる。


 ブラシと布を持つ男が手早くバルナバ達の靴の泥を落とし、別の男が貴公子の服と髪を手際よく整えていく。


「お帰りなさいませバルナバの旦那!」


 開き切った門の影から現れた下男がバルナバへと近付いてくる。


「……バーホンか」


 陽気な太鼓持ちとして知られる男であり、バルナバも気に入って、親しく付き合っていた。


「今日は、おっと、相当大変だったようですね! 〈魔風の王鷲〉にでも出くわしたんですかい?」

「……」


 バーホンの陽気な声が広間の中に響く。

 口を開かなくなったバルナバに使用人の男達は互いの顔を見合わせ、喋り続ける赤ら顔の下男に貴公子は眉を顰めた。


「いやあ、〈魔風の王鷲〉は最悪ですからね。戦場で名を上げた騎士様でも、返り討ちに遭って雛鳥の餌にされたって話ですからね~。ほら、〈大剣位〉を持ってるとか吹かしてた、あのいけ好かないキルダー卿ですよ!」


 〈大剣位〉は個人の武力の度合いを表すものであり、古くに定められた〈武剣評価基準〉によって測られたものだ。


 その下には〈中剣位〉と〈小剣位〉があるが、並みの実力者では〈小剣位〉を取るのさえ難しく、英雄に準じる力を持つと称されるバルナバでさえ、持っているのは〈中剣位〉だった。


「ま、だからこそ餌にする〈大冒険〉としては最高なんですがね。夢見る〈おぼこ〉を軽く一本釣りってね。いや、勿論バルナバの旦那の実力があってこそですが!」


 バーホンの口が滑らかに、止まらずに動く。

 体に残った酒気と、毒牙に掛かったカナンを思う興奮によって、バーホンの思考のたがは完全に外れていた。


 少し後ろから右手を伸ばしてバーホンの体を揺する、ゲビーヤの制止に気付きもしない。


「で、バルナバの旦那。カナンはどこです?」


 バルナバの右手がアイス・ファングの柄を握り、瞬時にその刃を鞘から抜き放った。


「え?」


 斬り飛ばされたバーホンの上半身が宙を舞う。

 呆然とした顔のまま凍り付いたバーホンは、そのまま泣き別れの下半身の上へと落ちる。


 硬質な物同士がぶつかって砕ける澄んだ音が響き、真っ赤な破片が広場の中に飛び散った。


「片付けておけ」

「「は、はい!」」


 顔を青褪めさせた使用人達が悲鳴のような声を上げる。


 バルナバは砕け散った〈バーホンだったもの〉を踏み付けて、ゲビーヤを見た。


「カナンを殺す。手を貸せ」

「申し訳ありません、シルヴェリ家のバルナバ様。この老骨に戦働きはもう無理でございます。荷物持ちですら、もう体が言う事を聞かず」


 ゲビーヤの言葉を聞いたバルナバの口角が上がる。


「ほう、たかがE級冒険者一人を殺すのに、〈戦働き〉とはまた仰々しく言ったものだな?」

「……」


 床に膝を突いて頭を垂れるゲビーヤへ、バルナバはアイス・ファングの切先を向ける。


「勿論報酬は出すぞ。そうだな、〈深紅こきくれないの剣魔〉の居場所なんてどうだ?」


 ゲビーヤの肩が僅かに揺れた。


「……それは、以前、あなた様にお伺いしました時に、ご存知無いと仰ったのを、私奴わたくしめは、覚えてございます」

「俺はな」


 一部の貴族の間では有名な話だ。


―― 冥宮ダンジョンで働くゲビーヤという老人は、〈深紅こきくれないの剣魔〉を探している。

―― ゲビーヤを貶してもいい、蔑んでもいい。だが決して剣を向けてはならない。


「カミラが知っていた。「隠してても物凄い必死さが伝わってくるのよね~。だから寧ろ黙ってた方が、とっても面白いと思うのよ♪」、だそうだ」


 柔らかな風が、閉じられた広間の中に吹いた。


「そうですか、【愚の麗氷】めが……」


 杖を突き、ゲビーヤが立ち上がる。

 垂れていた頭がゆっくりと上がっていき、開かれた瞼の奥で、赤い瞳がバルナバを映し出した。


「ようござんす。そのお話、お受けするでございます」

「それでいい」


 アイス・ファングの剣身が柄から滑るように落ちる。

 床に触れた瞬間、それはまるで角砂糖が砕けるように、粉々に散っていった。


「期待しているぞ〈闇風の剣魔〉、【雲斬りのゲビーヤ】」


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