第14話 ある町の地下で

~ side:老人 ~


「やれやれ、年を取ると見回りも一苦労でございますな」


 ゲビーヤは使い古された木のテーブルの上に、夜食のパンを入れた布包みを置く。

 水で薄めた葡萄酒を注ぎ、一息吐いて最近背もたれを直した木の椅子に腰を下ろした。


「大いなる風の聖霊カロペーよ。今日の糧を感謝でございます」


 布包みを開いた黒パンを千切って葡萄酒に浸し、それを口に入れて咀嚼する。


「うむうむ」


 ゲビーヤはこくり、こくりと頷きながらパンを食べる。

 だが、ドンドンドンッという荒々しい扉を叩く音が、ゲビーヤの食事を中断させた。


「おいゲビーヤのジジイ、交代だ」


 乱暴に扉を開き、赤ら顔の青年が部屋の中に入ってきた。

 鼻を突くようなアルコール臭が、あっという間に部屋の中に充満した。


「バーホン、また仕事中に酒を飲んだのでございますか」

「あ? 何だよクソジジイ、文句あんのか?」

 

 バーホンが酒に濁った目を細め、詰め寄ってくる。


「付き合いだよ。つ――き――あ――いっ!」


 靴底で石の床を苛立たしげに叩きながら舌打ちしするバーホンの顔が、椅子に座る小柄なゲビーヤを蔑むように見下ろしてくる。


「そもそも貴族様から勧められた酒を断るなんて事できるわけねえだろうがっ。ああん?」

「まあそうでございますねえ。いや、お気に障ったなら悪うございましたです」


 ゲビーヤの首元が、バーホンの右手に掴まれる。


「おいジジイ、おめえな、何年この仕事をやってんだ? 気に障ったなら悪うございました、だ? そうなる前にわかれってんだよ!」


 酒臭い声を怒鳴らせたバーホンの左手が拳を握った時、〈カーン、カーン〉と鐘の鳴る音が部屋の中に響いた。

 

「おいおい、今帰ってきた馬鹿がいんのかよ、ったく。誰だってんだ」


 ゲビーヤは壁に埋め込まれた水晶の画面を見て、そこに浮かぶ〈紋章〉を確認する。


「これは、シルヴェリ家のバルナバ様でございますな」

「何だと!」


 歓声を上げたバーホンに突き飛ばされ、ゲビーヤは床の上に転倒した。


「おいゲビーヤ! 何番だ!」


 鍵を納めた棚の前でバーホンが叫ぶ。

 

「三十一番でございますよ」


 「よっこらせ」とゲビーヤが立ち上がり、テーブルの傍らに立て掛けていた杖を手に取った。

 魔法使いの杖ではない、普通の老人などが使う、何の変哲もない木の杖だ。


「早くしろゲビーヤ!」

「そう急かさないで欲しいでございます」


 ゲビーヤがパンを包み直そうとしたが、バーホンの右手がテーブルの上を薙ぎ払った。

 木杯と包みが床に落ちる。

 床の染みとなった葡萄酒と、転がって汚れたパンを見たゲビーヤは、小さく溜息を吐いた。


「今日のはカナンなんだよ、カナン!」


 鼻息荒くバーホンが吠える。


「バルナバの旦那は飽きたら俺達にも抱かせてくれるからな! ったく、本当に待ってた甲斐があるってもんだぜ!!」


 町で見掛けて一目で気に入っただの、イライラを娼館の少女にぶつけただの、実にらしい言葉をバーホンは喋り続ける。


「ああ堪らねえ! よし、俺は先に行ってるからな! お前もすぐに来いよ!!」


 鍵を引っ掴んだバーホンが、一人で部屋を出ていった。

 乱暴に廊下を走る音が響き、それはすぐに遠く、聞こえなくなった。


「はぁ、あと少し若ければ転職を考えていたでございますかね……」


 杖を突き、ゆっくりとした歩みで、ゲビーヤは部屋を後にした。

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