第16話 夏日

~ side:ケント ~


 ケントは闇の中で、キーボートを叩く音を幻視する。


 せみがまだ鳴いていた一年前の金曜日。

 エアコンの調子が悪くて蒸し暑い生徒会室と、空冷の唸りを上げる古い型のパソコン。


 ケントとアスカだけのいる生徒会室で、ふと、全ての音が止んだ瞬間が訪れた。

 ケントは奇妙な静けさが気になり、パソコンの画面から顔を上げる。

 穏やかな顔のアスカと目が合った。


「昔ね、母さんを殺したんだ」


 まるで現実感の無い言葉が、ケントの耳に入ってきた。


 視界の中の景色が色褪せて、まるで白昼夢のような浮遊感に襲われる。


 いつものふざけたアスカの声とは違う、芯の通った静かなだけが、馬鹿らしいくらいにリアルだった。


「……」


 蝉の鳴声がまた部屋の中に届いて、エアコンの振動が生温い風を送ってきる。


 何かを言わずにはいられなくて、ケントは口を開いた。

 しかし錆び付いた自転車のペダルのように顎は動かず、頭の中は思考の不協和音で溢れている。


「っ」


 やっと何かを喋れそうになった時、生徒会室の扉が音を立て開いた。

 買物に行っていたハルが帰ってきた。

 

「……ただいま」


 白昼夢の景色を洗い流すように、ハルの女の子の匂いが部屋の中に満ちていく。

 

「……お待たせアスカ。はい炭酸水。ケントはファ〇タでよかったかしら?」

「ああ」


 まるで他人の手のように右手が動き、ケントは五百ミリのペットボトルをハルから受け取った。


「うわっ冷たっ」

「……もう。ほらアスカ、こっち向いて」


 噴き出した炭酸水に慌てふためくアスカと、ハンカチを取り出して甲斐甲斐しくアスカの世話をするハル。


 その眺めから目を逸らし、ケントは果汁一パーセントのラベルに視線を落とす。


 蓋を捻ると、プシュと炭酸の弾ける音が顔に掛かった。


 ケントはペットボトルに口を付ける。

 喉につかえたを言葉を、炭酸の効いた甘ったるいオレンジジュースで腹の奥へ流し込んだ。

 

 ……。


 ……。

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