第3話 茜色の空

~ side:イフリート ~


『こいつはまた、すげえ景色だな……』 


 結構長く森の中を走った。

 軽自動車並みの速度を維持し、道無き道をノンストップで。


 そしてやっと森を抜けたと思ったら、視界の端から端まで途切れる事無く広がる、超高層ビルみたいな高さの断崖絶壁だんがいぜっぺきが姿を現した。


『つくづくこの姿で助かったな。人間だったら絶望してたかもしれん。いや、してたな』


 夕陽を浴びて赤く染まる岩肌の近くを中型車みたいなでかさの猛禽類もうきんるいが飛んでおり、所々にある岩の裂け目にはうごめいているのが見える。


「はぁ、はぁ。イフリート、あの上に」

『おう』


 この崖を登った先にある草原から山道に入る事ができ、それを下れば町へ続く街道に出ると、カナンから聞いていた。


『あと少しだ。耐えろ』


 我ながら反吐が出るような、無責任な言様いいざまだ。


「うん。ありがと」

『……』


 何でお前は感謝の言葉を口にして、そんな嬉しそうな顔してんだよ。


 バカバカしい。

 

『……行くぞ』


 両足に〈力〉、カナン曰く〈魔力〉を込め、崖に向かって走る。

 滑空するような速度のまま崖を目の前にし、右足の爪先で斜面のくぼみを蹴って上へと跳ぶ。

 耳元でうなる風の音を突っ切り、今度は左足で僅かに突き出た岩を蹴って更に上を目指す。


 微かに、何かが岩肌を擦る音が聞こえた。

 

「イフリートっ」

『ああ』


 大きな岩の隙間の正面に差し掛かった時、暗闇の奥から大きな赤い塊のような物が飛んできた。


 俺の跳躍の勢いが無くなった瞬間を狙った、実に嫌らしい攻撃だ。


 左肩のカナンが身を強張らせる。


『問題えよ、こんなテレフォンパンチ』


 ジャストタイミングで右手の手刀を振るうと、切断された赤黒い肉塊が俺の右横を飛んでいく。


 そして暗闇の奥に、自分の舌の半分を失ってのたうつ、大蜥蜴おおとかげの姿が見えた。


『俺も伊達にくたばる寸前まで生きちゃいねえってこった』

「イフリート後ろっ!」

『ちっ、次から次へと!』


 カナンの声、そして岩肌を過った一瞬の影。

 体を捻って態勢を崩した俺の額を、バカでかい猛禽の鉤爪が掠っていく。


 ピックアップトラックのような、冗談みたいな大きさのわしが翼を広げ、その目は確かにカナンの姿を捉えていた。


 手を誤れば詰む。

 地面に叩き付けられる前に、大鷲がもう一度襲ってくる前に!


『クソが!!』


 思考をすっ飛ばして、気付けば俺の右手は大鷲の鉤爪を掴んでいた。


「ピギッ!?」

『かはははっ。こうなったらいっちょ上まで頼むわ!』


 暴れながら翼をはためかせる大鷲は一気に高度を上げていき、あっという間に茜色の雲が流れる場所に着いてしまった。


「イ、イフリートっ」

『っ、大丈夫だ問題えっ』


 俺の体は魔法であり、要はコロンブスの卵だ。

 使い方はイメージ次第。

 そして人間としての実生活では役に立たなかったが、紙や画面に描かれた空想イメージは覚えている。


『先ずはクソ鷲野郎、ここまでの駄賃だ。受け取れ』

「ピグィッ!?」


 俺の右手の中から噴き上がった猛火が大鷲の鉤爪から右足、そしてその体へと走る。

 一秒も経たずに羽毛は炎に包まれ、俺は火達磨となった大鷲から右手を放した。


『目的地は、あれか……』


 眼下、百メートル以上先に見える、茜色の光に染まる広大な草原。


『魔力は、何とか足りるっぽいか?』


 魔力を集中し、取るべきアクションのイメージを選択する。

 足の裏から炎を噴射して空を飛ぶ、そう、10万馬力の鉄腕ボーイのような感じだ。

 

『……なあ』

「うん?」


 少しだけ気になった。


『何でお前はそんな落ち着いていられるんだ?』


 泣き叫んだり暴れたり、「神様仏様」とぶつぶつ言うような言葉も聞こえない。

 俺とこいつが出会った時はそんなだったのに、今は静かにその蒼い目で俺を見ている。

 

 まるで別人のようで、それが少しだけ気に食わない。


「そんなの決まってるよ」


 カナンの口角が少し上がる。


「イフリートがボクを助けてくれた最高の魔法だからだよ。だから『大丈夫だ問題え』、ってね」


 ……。


 わからねえ。

 胸がざわつく。


 こんな感情を、俺は知らねえ。


『ああそうだ。この程度』

 

 俺の両足の裏に炎が灯る。

 イケると、確信がある。


『行くぞ』

「うん」


 両足の裏から炎を噴射した瞬間、俺の体は斜陽の光に染まる風の中を突っ切った。


 飛行しているというよりは、落ちる場所を調整している感じだが問題無い。間に合う。


「「ギピイイイイッ!!」」


 甲高い、猛禽の鳴声が空に響いた。

 目を向ければ、西日の先から迫って来る、翼を広げた複数の影が見える。

 

『大丈夫だ』

「うん」


 満身創痍まんしんそういの少女が頷く。

 ボロボロのショボいガキで、俺の主。


 自分が死ぬのは怖くない。

 だがこいつが死ぬのは、少しだけ嫌になってしまった。


『来いよ鳥野郎』


 右手に力を込める。

 カスカスの魔力が持つかはわからない。


 だがそれでも!

 ここは押し通ってやる!!

 

『覚悟しろ。俺は焼き鳥が大好物だ』

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