第2話 俺とマイ・マスター

~ side:俺 ~


 少し湿った森の空気の中で、揺るぎない地面の存在感を足の裏に感じる。

 乾いた灰の上に膝を突いて立ち上がれば、高く広がる枝葉の天蓋てんがいの隙間から、青く澄んだ空が見えた。

 

『そういえば、空ってあんな色だったよな……』


 何年も、何十年も下ばかりを見ていたから、すっかり忘れていた。


 清涼で。

 爽やか。


 でも遠い。

 

『はは、それにしても随分と久しぶりに、ふぅ、満腹って感じだな』


 体中に力がみなぎってくる。

 痛みに耐え無視する事はできるが、空腹ってやつは本当に無理だった。

 

 人間の時にまともな物を最後に食べたのが何時だったか覚えてないし、あの廃村に辿り着くまでは体の不調も相まって、夢かうつつかさえわからくなっていた。


『腰や右膝の痛みが無いし、腹と心臓の不調も消えた。目もはっきりと見える。人間じゃなくなったが、こいつは規格外の奇跡だ』


 両手の指が痺れずに自由に動く。

 右手で足元の灰を掴むとそれは掌の中に収まり、胸の前で開くと微かな風の中にハラハラと散っていった。


『良いね。何も触れない幽霊でもない』


 こんな化け物になったし、ここは地球のじゃないだろ。

 一昔前に流行った異世界やゲームの中への転生とかの方がしっくりくる。

 もしかしたら天国や地獄に繋がる場所かもしれないが、それも良い。


 人間はもう疲れた。


『しかし、ゆっくり検証する前に、だ』


 心臓、いや俺の核というべき場所に繋がる何かを感じる。

 それは目に見えないワイヤーロープのような存在ものであり、視線を辿らせていくと、大きな水溜まりに尻餅を突いている、魔法使いの格好をした少女の姿が目に入った。


 乱れてぼさぼさの長い金色の髪と、泣き腫らして赤くなった蒼い瞳。


 ボロ雑巾のように傷だらけで汚れまくり、泥水の水溜まりで呆然と俺を見上げる間抜け面を晒している、垢抜けないショボいガキ。


―― だが直感的に、彼女こそが魔法おれ支配の主マスターなのだと理解できた。


 …………チェンジしてぇ。


『はぁ、愚痴ってもしょうがねえか』


 こんな森の中で何ができるでもなし。

 チェンジの方法も含めて、考えるのはここを出てからだ。


 よし!

 まずはマスターへのご挨拶だ。


『よう、初めまして』


 気軽に、気さくに、親し気な感じで少女マスターに近付いて行く。

 今の俺の顔がどういう形なのかはわからないが、多分笑顔になっていると思いたい。


『今にもくたばりそうだな、マイ・マスター』

 

 ん、ちょっとフランク過ぎたか?

 びくっと少女が震えて、警戒心が上がったような気がする。


「あ、あの、あなたは一体?」


 おいおい、鈍い奴だな。

 その頭に乗っかてる、ボロボロの可愛いらしい三角帽子は飾りかよ?


『見てわかれ。お前の魔法だよ?』

「えっ、あ、う、うん」


 目を見詰めての真剣なお話合い。

 だが少女の蒼い目は、す~~っと横に逸れていった。


『ほら、俺とお前が繋がっている感覚があるだろうが。こことそこ』


 右手の人差し指で俺の心臓の辺りを叩き、次に少女の心臓がある場所を指す。

 ま、今の俺の中身は人間とは別物で、あるのは何か別の存在ものっぽいがな。


『お前から流れる魔力が途切れれば俺は消える。こんなナリだが、お前の意志一つでどうとでもなる存在だ。だから怯える必要はない。わかったか?』

「は、はいっ」


 少女がコクコクと頭を振って頷く。

 まるでヘッドバンキングみたいな動きだな。

 破れた服も相まって、ギターを持って「イエェエイッ!」とかシャウトしたらかもしれない。


 ぷっ。


『お前ってロックだよな』

「違うよ。ボクはカナンだよ?」


 ……マジ顔でコメント返すなよ。恥ずかしいだろ、って。


『カナン? カナンと言ったか?』

「う、うん」

『意味は? 〈カナン〉がどういう意味か教えてもらっていいか?』

「え、えっと。物凄く古いお話に出てくる、楽園を指す言葉だってお父さんが言ってたけど」

『そうか……』


 地球で〈カナン〉と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、旧約聖書に記された〈約束の地〉の意味だ。

 勿論人名としての〈カナン〉もあるが、その由来の多くもまた〈約束の地〉からきている。


 意味が偶然一致したと考えるよりも、と考えて行動する方が安全だろう。

 

 まず、この世界に魔法があることは確定。そしていきなり現代兵器と出くわす可能性もあり、と。


「あ、あの、ボク何か変な事言ったかな?」


 心配そうに、いや、探るようにカナンが俺に声を掛けてくる。

 

『……良い名前だと思ってな。名付けはお前の親父さんか?』

「うん」

『そうか』


 泥水の水溜まりからカナンを抱えて左肩に担ぐ。

 お姫様抱っこは性分じゃないし、何よりもここは〈毛むくじゃらの怪物〉が出るような場所だ。

 備えるためにも、右手の自由は確保しておきたい。


『先ずはお前の治療だな。村か町のある場所はわかるか?』

「カナン。【カナン・ソリティア】だよ」

『ん?』


 同じく泥水の中から拾い上げた杖を、カナンと彼女が背負う背嚢リュックの間に差しておく。


「自己紹介だよ。それと、助けてくれて本当にありがとう。流石にもう駄目かと思ったからさ」


 カナンが笑みを浮かべる。

 泥と傷の付いた様にならない顔で、ああ、化粧をして着飾った女達とは違う、随分と野暮ったい笑みだ。

 だが、優しい日差しのような、心に触れてくる温かさを感じる。


 ……それに、だ。


『「ありがとう」なんて言われたの、何時以来だよ……』


 小さな、本当に小さな呟きが口から洩れた。

 思わず蒼い瞳と目が合うが、カナンは不思議そうに首を傾げるだけだった。


「えっと、何か言ったのかな?」

『何でもない。じゃあ改めて、よろしくなマスター』

「あ、ボクのことはカナンって呼んでよ。マスターは仰々しくて、背中がこそばゆいっていうか」

『はぁ、我侭な奴だな……』

「え? ご、ごめん」


 力強く右足を踏み出す。

 踏み付けた地面から、が噴き上がる。


 よし、この体の熱量コントロールも掴めてきた。

 いきなり派遣でぶち込まれたブラック企業のシステムの扱いに比べれば、簡単イージーで楽勝なタスクだ。


 因みに、俺が担いでいるカナンとその装備品には焦げ目一つ付いてない。

 意識しなくても自然と調が行われており、ファンタジーというよりは寧ろゲーム的だと考えてしまう。


「そ、そうだ! 君の名前をまだ聞いてないよ」

『ステータス・オープン!!』

「ス、ステータス?」

『え?』


 またカナンと目が合った。

 そして宙に情報を記した画面が現れる、というテンプレ展開も無かった。


『……今のは忘れてくれ』

「う、うん……」


 ……もしかしたらレトロゲームという線もあるし、今度試してみるか。


 と、思考が逸れたな。

 ここでの俺の名前、か。

 

 人間の頃の汚物塗れの名前を使う気は絶無だし、俺を表す外付けの記号って、ホント無いんだよな……。


 あとはマイナンバーとか、昔使ってたWEBのユーザー名〈コギオン〉とかか……。


 いや~、しっくりこねえ。

 そうだな、よし、ここは炎繋がりで。


『俺の名はイフリートだ。よろしくなカナン』

「イフリート……。うん、よろしくねイフリート!!」


 差し出しされたカナンの右手を握り返す。

 華奢な少女の手なのに皮ふは硬く、幾つも豆があった。


『さて、獣の気配が近付いているから、少し走るぞ。きつかったら言ってくれ』

「うん」


 〈毛むくじゃら〉よりは弱いが、前世で遭遇したヒグマよりは強い感じだ。

 風下から静かに迫って来ており、この体じゃなかったら気付けなかっただろう。


『行くぞ』


 滑らかに走り出す。

 体に感じる痛みや、胸の苦しさは無い。


 視界の中、流れて行く木々の景色が加速していく。


―― 「我在るは無明天獄むみょうてんごく


 遠い場所から、遠い声が聞こえた気がした。

 それは人間の声で、それは掠れるような弱い声だった。


『わかってるさ』


 俺は誰も信じない。

 この時間いまは、この少女カナンに、この体をくれた借りを返す為のものに過ぎない。


 終われば去る。

 それだけだ。


『俺は壊す』


 虚空を影が走る。

 巨大な木々の間を跳躍し、正面から顎門を広げた獣が襲い掛かって来た。

 大きな牙の生え揃った、畳のような大きさの口が目の前に広がる。


『壊して壊して』


 右手に意識を集中する。

 〈毛むくじゃら〉の怪物達を食って得た力が、炎となって赤く燃え上がる。


『全てをぶっ壊す』


 振り上げた右の手刀が甲高い音を響かせた。

 灼熱の炎が虚空に線を描き、獣の巨躯を両断する。


「す、凄い!」

『当たり前だ。俺はお前の魔法だぞ』


 空っぽライトな言葉が口を衝く。


 軽く、軽やかに地面を蹴る。

 木々の間に一瞬だけ見えた森の切れ目を目指して、俺は少し走る速度を上げた。


◇ ◇ ◇ 


 大陸最強と呼ばれるトギラ王国の王都、その郊外にある館の地下深くで。


 この日、第一王女ウィンテスによる勇者召喚の儀式が行われた。


 巨大な祭壇の上に描かれた五芒星の上で膨大な魔力が渦を巻き、赤い雷が荒れ狂う。

 そして長い詠唱を終えたウィンテスがその手に握る杖を掲げた時、光が弾け、五人の少年少女達が祭壇の上に姿を現した。


「ようこそ! 運命の導きにより我が祈りに応えた、偉大なる宝玉の勇者達よ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る