29.


 ステージライトに照らされた舞台。その場にいる人たちすべての視線を、その場所が占有していた。肉声が、一滴の絵の具のように響き、静寂が断絶する。不思議な緊張感があった。観劇は、観る側にもエネルギーを要求される。ということを僕は学んだ。


 遠目からだと、およそ高校生の手作りとは思えないほど立派なドレスを纏ったカオリは、映えていた。容姿もさながら、威風堂々とした立ち振る舞いに心を惹きつけられる。普段は無表情で感情を表に出さない彼女が、まるで別人のように活き活きと、ジュリエットになりきっている。幕が閉じた後の拍手喝采も、社交辞令ではないんだろう。

 舞台を降り、周囲の生徒たちとリラックスした表情で談笑しているカオリの姿は、女子高生然としていた。黒のワンピースを纏い、真摯に黙とうしていた彼女の姿がおぼろげに重なる。僕はパイプ椅子から腰を上げ、入り口で手渡された劇の冊子本を後ろポケットにしまう。彼女の元に寄った。


「カオリ」名前を呼ぶと、こちらを向いた彼女が目を見開いた。声を失い、全身に力が入ったのがよくわかる。でもあの時、バイク事故の現場に花束を持って現れた時と同じよう、すぐに彼女はふっと息を漏らした。すべてを悟ったような顔で、「ダイスケさん」と僕の名前を言う。

 何事かと視線をさ迷わせている周囲の生徒たちが、でも気を遣ってかそそくさと僕らから離れた。カオリがゆっくりと僕に向かう。

「よく校内に入れましたね。受付でチェックがあるので、関係者以外は入れてもらえないはずですが」

「ちょっと、ツテがあってね」

 あえて得意げに言うと、「ツテ?」カオリが不思議そうに返す。すぐ、冗談っぽく表情を崩して。

「存外、お顔が広いんですね」

「まぁね。でも裏技ではあるから、あんまり長居はしたくない。ので、用件だけ言うよ。君と話したい。確かめたいことがある」

 ステージライトから漏れた光が、カオリの顔を半分だけ照らす。光と影に二分された彼女が、薄く笑ってうなずく。

「わかりました」

 舞台上で演じている時と同じ。急な来訪にも彼女は萎縮を見せず、堂々としていた。

「さすがにこの恰好のままというわけにはいかないので、少し時間をくれませんか? 裏門を抜けた先に小さな公園があるので、そこで待っていてください」

 淡々と言った彼女の提案に、僕はうなずく。手筈の良さに、少しだけ違和感を覚えた。カオリはもしかしたら、今日僕が訪れることを予期していたのかもしれない。僕は彼女に背を向け、うす暗い体育館を後にした。




 カオリに指定されたその公園は、『夜中のカオリ』と過ごしたそれとは違い、こじんまりとしていて遊具の設置もなかった。ポツンと置かれたベンチが一つと、誰が利用するのか一人用の個室トイレがあるだけで、簡易休憩所といった方がしっくりくる。僕はそのベンチに腰をかけ、彼女が現れるのを待った。


 ほどなくして、制服に着替えたカオリが現れる。髪だけはロールアップされたままで、いつもよりも快活な雰囲気があった。普段は隠れている首元や耳が、あらわになっている。

「お待たせしました」

 彼女は一席分あけて僕の隣に座った。わずかに沈黙が間延びし、口火を切ったのはカオリだった。

「『カオリ』のことで、私があなたに伝える事柄はもうありませんよ。彼女はもう、この世界にはいないのだから」

 体温のない口調だった。

 出来事が終着した以上、僕との関わりに線を引きたい――という、明確な彼女の意志表示を感じた。

「じゃあ、僕の話を聞いて欲しい」

「ダイスケさんの?」

 こちらに顔を向けたカオリが、不可解そうに首を傾ける。

「『夜中のカオリ』は成仏していない」

 僕はまっすぐに言った。

「というか最初から、死んでなんかいない。彼女が幽霊だというのは、僕を騙すため、君やショウタの作った嘘のエピソードだ。僕はそう考えている」

 一呼吸の間が空く。僕は彼女から目を離さない。

「急になんですか。ショウタと言われても、そんな人私は」

「口を挟まないで」

 あえて強く、声に声を重ねた。

「とにかく最後まで、僕の話を聞いて欲しい」

 少し不快そうに顔をしかめた彼女だったが、ふぅと息を吐いたのち、こくんと首を縦に振った。

「ありがとう」僕も一息を吐き出す。頭の中で組み立てた道筋を、一つ一つ順序立てて、辿っていく。


「僕が君の名前を、珍しい三文字の書き字の『果生莉』だと知ったのは、君と同じ姫先学園の生徒にそう教えてもらったから。でも、彼女たちは姫先の生徒じゃなかった。ショウタに頼まれて姫先の生徒の振りをしていた、いわばサクラだった」

 ショウタの知り合いに偶然姫咲の生徒がいたり、すんなりと名前を教えてくれたり、今思うと、事がうまく運びすぎていた。でも、はじめから台本が用意されていたのなら話は別だ。

「つまり、君は『果生莉』ではない別の名前を持っている。そうとも知らず、君の名前が『須永果生莉』であると信じた僕は、Facebookのアカウントページを発見し、その後、『須永香織』……『夜中のカオリ』のプロフィールへとたどり着いた。でも、そのどちらのアカウントページも、君たちによって用意された捏造のページ。僕に、『夜中のカオリ』が過去に死んでいると信じ込ませるための、ミスリードだったんだ」

 ようやく、カオリがこちらを向く。何かを言いたげに口を開き、でもすぐにつぐんだ。僕の最初の言葉を守って、口を挟まないでくれているのだろう。

 だから僕は、彼女の言わんとしていることを、あえて口にする。

「最初はそう考えたけど、一つの疑問にぶつかる。Facebookの投稿日時は確かに、過去のものだった。未来を予見して偽のアカウントを用意することなんて不可能だ。……でも」

 自分のスマホをポケットから取り出し、画面をカオリに向けた。

「僕はある仮設を立てて、実験を行った」

 画面に表示されているのは、『ダイスケ』の名前で作ったFacebookのアカウントページ。よろしくお願いします、と一文のみ書かれた投稿記事が一件。

「実験は成功した。仮説は立証されたよ」

 その画面を見たカオリの目が、わずかに揺らいだ。

「Facebookの投稿日時は、後から編集できる。作成者以外がその投稿を見た時、あたかも過去にアップされた記事のように見せかけることが可能なんだ。君たちはその機能を利用して、Facebookの投稿を偽造した」


 彼女の表面にはじめて、焦りの色が滲む。

「僕は、ショウタからLINEで送られてきたバイク事故のネットニュースを見て、この事故の被害者は『須永香織』かもしれない、と連想した。事故の日付と、『須永香織』の投稿が途切れた日時が合致したから。でもそれが、逆だったとしたら」

 僕はスマホをポケットにしまい、つづける。

「僕たちが足を運べる範囲である『都内』であり、『被害者の名前が公開されていない』死亡事故――つまり君たちは、僕を騙すのに都合のいい、まったく無関係の過去のニュースを先に探した。その後、辻褄を合わせるようFacebookの投稿日時を設定したんだ」

 顔を俯かせているカオリに、僕の声が届いているのかは定かでない。それでも僕は言った。

「僕とショウタは二手に分かれて事故現場を探した。発見したのはショウタだ。たぶん、事前に調べておいたんだろう。そして彼は、あたかもその場所をその日のうちに発見したように見せかけ、僕に報告した。

 偽りの事故現場、偽りの命日。黒服をまとい花束を持って現れた君を見て、僕は『夜中のカオリ』の死を確信した。でもあの時、目を瞑って両手を合わせていた君は、誰の死を偲んでいたわけでもなかった。そういう、振りをしていた」

 さっき観た舞台上での演技と同じ。

 物語上の恋人の死を嘆き悲しみ、観客の心を揺さぶったよう、彼女は見事に、大切な人を想う演技をして見せた。

「僕の話は終わりだ。ここからは質問になる。長々と喋ったけど、僕が訊きたいことは一つだけ」

 顔を上げたカオリが僕を見る。虚ろな目をしていた。

「君たちが、君とショウタが、僕に嘘を吐いた理由。Facebookを偽造してまで、僕を真実から遠ざけた理由、僕はそれが知りたい」

 ――私、本当は、いちゃダメなんだ。

 あの台詞の、真実は。

「私は、カオリです」


 目の前の彼女が、まっすぐに言う。

「私はあなたに嘘の名前なんて教えていない。あなたが先ほど言ったことは、すべて勘違い。『夜中のカオリ』の死を受け入れたくないがため、都合よく解釈した妄想です」

 声が、震えている。

「ショウタなんて人知らない。Facebookで投稿日時を編集できることも知らない。私はカオリ、スナガカオリなんです」

 口調が乱れている。

「なんなら、今から学校に戻り、あなたの目の前でクラスメートに確認して見せましょうか? 私の名前は? って、そう訊いてみましょうか。誰に訊いても同じ答えが返ってきますよ。私の名前は、確かにカオリだと」

「うん」

 今にも壊れそうな彼女の声音を、そっと包んだ。

「知っている。君の名前はカオリだ」


「はっ?」

 カオリが目を大きく見開いて。

「さっきと言ってること、違うじゃないですか。自分は、嘘の名前を教えられたって」

「知っているというか、さっき知った」

 僕は、後ろポケットにしまっていた劇の冊子本を取り出す。開いて、出演者と役名の書かれたリストを指差して言った。


 ジュリエット役 二年一組 須永


「珍しい三文字の書き字である『』は、どこにもいない」

 真実を吐かせるには、現場を押さえるのが手っ取り早い――それを教えてくれたのは外でもないショウタだ。

 須永香織は死んでいない。だって、僕の目の前にいる。

 カオリは最初から、一人だった。

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